迷い家

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迷い家

 久しぶりの登山はとても快適な出発だった。  地元の気温は20℃近くまで上がり、一合目の駐車場に車を止めた時にはネルのシャツも脱いで、半そでのTシャツになっていた。  しかし、山登りに過信は禁物だ。  車に物を置いて行くことはせず、とりあえず、気温が高い間はリュックに脱いだ服を入れて、出発した。  今日の清掃登山は山の会のメンバー5名。  男性3名、女性2名のパーティーだ。  みんな10m位の間隔をあけて、横並びになり、なるべく広い範囲のゴミを集めながら登っていく。  最初は軽口をたたきながら楽しいハイキングと言った体だったが、ガラの多い登山道に入ると横に広がって登ることもできないので、何本かある登山道をとりあえず、二手に分かれて、登っていった。  毎年に比べると結構な量のゴミがあったが、順調に登って行った。  だが、空模様がだんだん怪しくなってきて、山小屋に到達する前に雨が降り始めた。  俺と同じルートには男性の山の会の一人が一緒に登っていたが、少し俺が遅れてしまったのか姿が見えない。先に山小屋に入っているだろう、と思いながらチラホラと落ちているごみを拾いながら進んでいった。  あぁ、山小屋が見えた。  山小屋に着けば、一休みだ。  歩きながらでも早めにシャツや雨具のヤッケを着ればよかったのだが、ゴミ袋を持っていたこともあり、俺はそのまま歩き続けた。  俺は、段々と冷えてきた体で朦朧としながら山小屋に入った。  まだ、山小屋の管理人は来ていない時期だが、勝手知ったる場所である。  冬の間に窓を破って入った人がいるようで、窓が割れていた。  先についていると思った仲間はまだいなかった。  おかしいな、俺より先に歩いていたのに。  抜かしていないよな。  そして、別ルートでのぼったはずの俺達よりは緩やかな登山道を登ったはずの女性会員二人と男性会員一人も来ていない。  何かトラブルでもあっただろうか?  とにかく俺は、山小屋を少しでも居心地よく整えようと準備を始めた。    山頂近くに来ての雨。それに割れた窓ガラスだ。  冷たい風が入ってきて、山小屋の中も屋根があるだけで外と同じだ。  窓ガラスのあった場所に山小屋のストーブに使う板を当て、その辺にあったガムテープでふさぐ。  俺は登ってきた分の汗がこれ以上冷えないうちに、ネルのワイシャツとトレーナーを着なおした。だが、まだ寒い。そこで、リュックに入っている筈の少し厚手のジャンパーを着ようとリュックを手探りで探した。  だが、ない。  おかしいな。前のリュックから全部入れ替えたはずだったが、入れ忘れてしまったか。あぁ、寒すぎて朦朧とする。  気温はどんどん下がって、雨はみぞれになり、やがて雪に変わった。  山の上では珍しいことではないが、ジャンバーが見つからない間に汗が冷えて、体温がどんどん奪われて行く。  ストーブをつけようと思ったが、マッチが見当たらない。子供が生まれたのを機にタバコをやめたので、普段持っている筈のライターもなかった。  火をつけるための道具は、いつも身に着けていたライターだったので、何か入れておかなければいけなかったのだが、さすがにこの時期の蓼科山では必要ないだろうと思い、入れてこなかったのだ。  もともと、ボランティアの清掃が目的の登山なので、無理をする必要はない。 『これは、山小屋で休んでこのまま下山することになりそうだな。山の会のみんなが着くまで待つか。』  蓼科山の麓は結構開けているし、山小屋まではスマホの電波も届く。  何かあれば、途中でスマホに連絡が入るはずだが、誰からも連絡がないと言う事は、みんな山小屋目指して歩いている筈だ。  俺は冷えた汗に震えながら、昼ご飯をみんなの到着を待たずに食べることにした。何かお腹に入れれば少しは暖かくなるだろう。  しかし、これがいけなかった。久しぶりの登山で疲れたうえ、ジャンバーを忘れたことに焦り、お腹がいっぱいになった俺に、眠気が襲ってきた。  こんなに寒い中で眠ってしまったらよくない事は流石にわかっていたので、なんとか眠気と戦いながらこれ以上体温を奪われないように、山小屋の一番奥の頑丈な板張りの場所に移動して体をぎゅっと縮めていた。  すると、なんだか音がする。  シュッカ シュッカ シュッカ・・・  そして、『フ~~ン』という老婆の声。  いったいどこから?山小屋は一応人が泊まれるように簡単な仕切られた部屋があるがどうやらその一つから聞こえる。 『俺はいつの間にか眠ってしまって、その間に山の会の仲間が来たのか?』  そう思い、その音のする部屋に近づくと、真っ白な髪をボサボサに振り乱した老婆が大きな包丁を砥石で砥いでいる所だった。  よく砥げたか、指で包丁をチッチッと触って、また砥ぎ始める。  俺はぎょっとして、 『おいおい、昔話の鬼婆じゃあるまいし。俺より先に誰か山小屋にいたんだな?』  と、自分を落ち着かせようとした。  だが、相手の素性が分からないし、包丁は怖いので、そっとその場を離れて、元通り山小屋の一番奥の頑丈な板張りの場所に移動してまたしても体をぎゅっと縮めていた。  すると今度はなにやらグツグツと音がする。  そして、何となくそっちから暖かい気配がするではないか。 『あぁ、やっぱり、俺眠っていたのかな。山の会の誰かが何か煮ているのか?』  そう思い、暖かい気配のする方に近づくと、灰色の髪をボサボサに振り乱して、鼻が顎に着きそうに曲がった老婆が大きな鍋にお湯を沸かしている。  そして、言った。 「そろそろ茹でようかねぇ。」 『え?魔女?まさかな。西洋と東洋のおとぎ話の混ざったのじゃあんまりだよ。俺やっぱり眠ってるんだ。夢だな。』  俺は自分にそう言い聞かせて、さっきいた山小屋の一番奥の頑丈な板張りの場所に移動してまたもや体をぎゅっと縮めていた。  すると、包丁を持った山姥が俺の方に向かって歩いてきた。  近づいてくると、大きい!顔が人の3倍はあるし、身体もさっき包丁を砥いでいた時の2倍はある。 「まぁ、この程度の大きさでも、二人で食べるのには十分かねぇ。最近は迷い家(まよいが)に来る人間も減ってしまったから西洋も東洋もないわなぁ。助け合わないと食べるものも来ないわ。」  そう言うと、お湯を煮立てていた魔女も俺の方に近づいてくる。 「あぁ、私達の事を知っている人間が少なくなったからねぇ。この人間はどちらの存在も知っているらしいから運よく迷い家に入ったねぇ。」 山姥が言った。 「わしは古い日本家屋の迷い家しか作れないからねぇ。今時は誰も入ってくれないんだ。」 魔女は言った。 「山小屋程度なら私でも何とかなるからねぇ。でも、年を取りすぎて人間でも丸のままじゃ嚙み切れなくてね、包丁があって助かったよ。」  そうして、二人で顔を見合わせて不気味に笑うのだった。  俺は震えながら近づいてくる二人を見ていた。  足はすくんでしまって、逃げられなかったし、まだ夢を見ていると思いたかった。 「さぁ、じゃ、まず食べやすい様に刻もうか。そうして、よく茹でてからいただこう。最近は悪い病気が流行っているっていうからね。」  山姥と魔女は声を合わせてそう言った。  俺は震えるままよく切れる包丁で刻まれた。あまりに切れ味が良かったので痛みも感じないくらいだった。  いや、すでに痛みを感じることはできなかった。  寒さで、恐怖で、凍り付いて凍死していたのだから。  
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