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今日は飛ぼうとしている。
私が独り暮らしをしているアパートの部屋で、とりのぬいぐるみが喋りはじめたのは、先々月のことだ。
どこで買ったのかも覚えていない、何のキャラクターでもない、ちょっと間抜けな顔をした白いとりのぬいぐるみ。
大きさは、ちょうど片手に乗っかるくらい。
喋り始めた時は、私の頭がおかしくなったかと思ったけど、どうもそうじゃないっぽい。だって、喋るだけじゃなくて動く。実際にとりがぶつかったコップが床に落ちたので、私の幻覚ではないみたいだ。
これ、ネットとかにあげたらバズるんじゃないの。
そう思って、まずは友人に見せようとしたら、このとり、そういうときだけはピクリとも動かなくなる。
結果、私の社会的信用が壊滅しそうになったので、こいつを人に見せるのはやめた。
ネットにあげたところで、加工してるだけと思われて終わりだろうな、と思ったら途端にめんどくさくなって、それ以来喋るがまま、動くがままに任せている。
こいつには別に名前はない。確か、商品名も「とり」だったはずだ。
だから私もとりと呼んでいる。
仕事から帰ると、とりはこたつの上でこちらに背を向けてごそごそしていた。
「ただいま、とり」
私が声をかけると、とりはふこりと振り向く。
「おかえりー」
そう言って、こちらにふよふよと歩いてくる。
「遅かったな。仕事頑張ったな、マキ」
偉そうに私を呼び捨てすると、とりはそれで自分の仕事終わり、とでも言わんばかりにまたこたつの隅っこに戻っていく。
「そこで何してんの?」
私が覗き込もうとすると、とりはぬいぐるみにあるまじき速度で振り向いた。
「見ちゃだめ!」
「何よ、怖い顔して」
いや、別に怖い顔はしていない。喋るし動くのだが、顔の表情は一切変化しない。だから、声もどっから出てるのかは正直分からない。
全部お前の幻聴だ、と言われても返す言葉もない。
「また何か悪だくみしてんの?」
こないだ、テレビに影響されたとりは部屋の一角を占拠してとり帝国を建国しようとして私に阻止されたばかりだ。
「何もしてないしー。っていうか悪だくみとかしたことないしー」
とりはそう言ってふこふこと身体を揺らす。
いや、してるな。
まあいいや。
部屋着に着替えながら、こっそりとりを観察する。
「とりさん、いいよー」
こたつの下から声がする。
あれは、ねこの声だ。
とりよりも一回り小さいねこのぬいぐるみ(これも間抜け顔)は、ひと月前から動くようになった。
喋り出した先輩であるとりにいつもついて回っているが、とりもそう悪い気はしていないようだ。
「いくよー」
とりがそう言って、とうっ、とこたつから飛び降りた。
短い羽をふかふかと揺らしている。
ぼてっと床に落ちると、下で待っていたねこと、
「どうだった?」
「もう少しかも!」
とか二人できゃっきゃ言ってる。
何してんだろ。
すると、とりはまたこたつの上によじ登ってきて、下で待つねこのところへぽてぽてと飛び降りる。
飽きずに何度も同じことを繰り返している。
それを見ていて、やっと私にもぴんと来た。
あ、これ、あれか。
さてはこいつ、飛ぶ練習してんな。
ぬいぐるみとはいえ、とりだけに、飛びたい本能のようなものがきっとあるのだろう。
喋って動くだけでも結構うっとうしいのに、飛ばれたらどうしよう。
そう考えて、止めようかどうしようか少しだけ悩んだが、とりが一瞬たりとも浮く可能性を見せずにぼへりと床に落ちたのを見てどうでもよくなった。
飛べるようになるとしても、この調子じゃずうっと先だ。
そんな先まで練習を続けるような、できたとりじゃないしな。
私は冷凍庫を開けてカップアイスを取り出す。
「はあっ」
掛け声だけは勇ましく、とりのふかふかとした身体がこたつの下に消えるのを見ながら、私はバニラアイスの甘みを味わった。
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