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「結局そのあとどうしたんだっけ」
小峰に聞かれて駒井も首をひねる。そもそもそんな話、四年の今日言われるまで思い出したこともなかった。ソファーで目を覚ましたばかりの小峰も唐突に思い出した顔だった。
学祭二日目の佳境は、もうすぐ特設ステージでのライブが始まり慌ただしいはずだった。
複数の軽音サークルからなる合同バンドが、学祭の特設ステージで始まるところだった。合同だから部室棟の人間はみんな出払ってしまっている。
あ、携帯置きっぱなしだ、とバタバタ部室に戻った駒井が、ソファーで嘘みたいにすやすや寝る酔った小峰を発見した。肘置きに頭を乗せ、反対側に足を乗せ、両手はお腹の上に乗せている。
それがあまりに気持ち良さそうなので、この忙しい時に何やってんだと叩き起こしたくなり、別に忙しくはないかと思い直して、でも特設ステージだし起こしてあげるかと思って声をかけた。
小峰は酔うとすぐ寝る。それも微笑ましいくらいにぐっすり安眠という感じ。寝起きも悪くなくて、打ち上げの居酒屋でたたき起こされても目をしょぼしょぼさせながら財布を取り出していたりする。
寝ている小峰の横で椅子に腰かけたら、立ち上がるのがちょっと億劫な誘惑が芽生えた。おーい、合同ライブ始まるけど、起きなくていいの。本当は起きなくてもいい気もしながら。
学祭にしかない特設ステージを見損ねたと知ったら、小峰はいつもの人の良さそうな笑顔半分、困り顔半分という顔をするだろう。目で笑ったまま眉をしかめて、起こしてよ、とちょっと文句を言ってみる。怒るわけでもない。そうやってライブの興奮の残る仲間に慰められるのだろう。
自分だったら絶対に観たいライブの前でなんて絶対寝ないけど。と駒井は思う。
そんな絶対なんてなさそうな、それならそれでまあいいかという小峰のおおらかさには苛ついたりヤキモキしたりしたこともあったけど、結局こっちが馴染んだ。
何度か呼ぶとようやく小峰が寝顔を歪ませた。ぱちと目を開けて、直前の記憶と目の前の状況を照らし合わせている。えーと、俺何してたんだっけ。
「もうすぐ合同ライブ」
声をかけると、「おう」と眠そうな顔のままやっぱり返事はいい。
さて、起こしたことだし、と思いながらも不意の静けさを駒井も少し楽しんでいた。
学祭はずっと騒がしい。
まず始まる前から騒がしい。夏が終わるころから練習時間の確保だ、ステージ設営の人員だ、去年まで使えてたはずの機材の不調だ、駒井さんって去年のPAリーダーでしたよねって言われても全然覚えてねーとか、練習時間残り少ないのに小峰が来ないとか、と思ったらまたソファーで寝てるとか、ずっと誰かの楽器が鳴って、ずっと誰かが何かをして、いろんなことが起こる。OBOGとか、学外のバンド仲間とか、いろんな人にも会う。
「え、なんかさあ」
急ぐ様子もなく、悠長に小峰が言った。普段の講義の合間に昼寝した後みたいな声だった。
「なんか、前にもこういう状況なかった?」
目が合うと寝転んだ体勢のまま可笑しそうに笑った。
こんな時に何言ってんの。とは、なぜか駒井も思わなかった。その代わりに、言われてみれば、と応じた。
「俺がソファーで寝てて、駒井がそっちにいてさ」
小峰が笑って続けた。
結構前だよな? 記憶を巡らせる。
一年の時? たぶん、夏。待って、なんで二人しかいなかったんだ? 早朝? 一限の練習? ああ、そうそう!
要不要で言えば絶対に不要な記憶だった。なんだ、まだ捨ててなかったんだ、と苦笑いして取り出した記憶だった。ひとつ思い出すと残りはつられてするすると出てきた。
「思い出した。小峰、あの後爆睡してた」
「そうだっけ?」
「それから人が来て練習始まって、その後は知らないけど、どっかのタイミングで起きて帰ったんじゃん」
「そうだったような気がする」
小峰はソファーの上で上体を起こすと、他人のことのように笑った。座面の端に誰かが置いた単行本の漫画が落ちて、脱ぎ捨てた靴下でも拾うような手つきで小峰がほいと拾って戻した。もともと年中散らかっている部室は、学祭の慌ただしさでさらに物があふれていた。寝足りなさそうに小峰があくびをする。それが駒井へ伝染する。寝起きの気怠さが静かな部屋をひたひた満たしていた。合同バンドだから全ての軽音サークルが自分たちのライブを空けていて、部室棟は台風の目の中にいた。
「いや、でも分かんないな」
駒井が呟いた。
「何が」
「同じようなことありすぎて、違う記憶かも。朝じゃなくて夜だった気もするし。夏じゃなくて冬だった気もしてきた」
「俺じゃない人との記憶かもしれないしね」
小峰が笑って応じた。なんでも良さそうだった。
「このソファーで寝たの、もう合計何時間か分かんない」
「小峰は何時間っていうか何日ってレベルじゃん」
「そーかも」
遠くでギターが鳴った。
「あ、始まる」
反射的に二人とも顔を上げた。
プロも呼べる特設ステージの音響設備の音は、離れていても鮮明だった。駒井がソファーの上の小峰を置いて立ち上がって出ようとして、あ、携帯取りに来たんだったと一回部屋に戻って、散らかった荷物に二回くらい躓いてからドアに向かった。まだ眠そうな小峰をついで急かした。
出ると模擬店の呼び込みの声が聞こえた。だいぶ日が落ちた夕方の学祭会場を照らす照明で、部室棟の前まで明るかった。模擬店エリアを過ぎた向こうには、特設ステージの照明が明々としているはずだった。一年に一度しか見られないステージの明るさ。
「ここからでも聞こえるんじゃん」
駒井の後ろを歩く小峰が、なおも悠長に言った。
はあ? と思って振り返ったら、いつもの部室棟の日に焼けた壁と喫煙所と、そこにいる小峰が目に入った。学祭の照明で無駄にドラマチックな陰影がついていた。
一年に一回しか見れないだろという気持ちがなぜかなくなった。小峰があんまりにもいつもと変わらない顔をしていたからかもしれない。
最前列で見る特設ステージが一年に一回なら、ステージの音が聞こえる部室棟も一年に一回で、一年に一回のステージがあることも含めて結局毎日あるいつものサークルの風景だなと思った。
いつも同じような顔ぶれで、同じような話をして、同じようなことばかりしていたけど同じ日はなかった。大事なのは同じようなの、ような、の部分だった気がした。
「うわでも観ないのやっぱもったいないわ。俺先行く」
小峰が急に走り出して、駒井を追い越していった。おい急にテンション上がんな。
「起こしてやったのにおいていくなよ」
後ろから叫んで追いかける。模擬店の人ごみをつっきり、特設の照明が照らす中庭へ、追い立てられるように二人で飛び込んだ。
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