一、初夏、小さな果樹園《ヴェルジェ》にて

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「鯉?」 《庭の小川の清掃をしていたら見慣れないのがいてね。どこからか迷いこんだのか、うちでは飼っていないんだよ。とりあえずギヨームに見てもらうよ。仕事の方はどう?続けていけそうかい?マルコに初日からこき使われて疲れただろう》  先程から一生懸命言葉を追っていたけれど、途中で言葉が聞き取れなくて、急いでスマホの翻訳アプリを開いて会話させてもらう。 《そんなことないです。すごく貴重な技術をたくさん教えていただけて勉強になります》 《君は根性あるよ。ポールの後がなかなか決まらなかったのはみんなマルコの鬼指導に一日でへたって辞める奴が多かったからさ。いきなり脚立から泉にひっぱり落とされてべそ泣いて帰る奴もいたよ》 《本当ですかそれ?!》 《嘘だよ、ははは、君は騙されやすいみたいだねぇ》 《もう、本当かと思いました》  私達は顔を見合わせてくすくすと笑った。オトュールさんもマルコさんに似ている。ブラックジョークを言う人なのだな。  聞けばオトュールさんは新婚で奥さんが臨月らしい。最近はより道しないでまっすぐ家に帰らないと怒られるんだ。だから好きな本も買いに行けないと言いながらバケツを小屋の隅に置いて、鞄からバゲットを出してちぎると鯉に与えた。  文句を言いながらもどこか嬉しそうな顔つきをしているオトュールさん。産まれてくる子の誕生をとても楽しみにしているのだろう。それから彼は外に停めてあった二輪のオートバイで帰って行った。  私も帰ろう。バスの時刻を調べようとスマホを取り出した時、更衣室を出て来ていたのか、アルマさんが私の横を通り過ぎて行った。
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