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* * *
帰り道は会話もなく、帰宅してからもしばらく無言の時間が流れた。
祥馬はなにかを考え込み、ソファの上に行儀良く座ってもそもそとからあげ串を食んでいる。平素なら『うめー!』と歓喜し、頼んでもいないのに『やらねーよ』と不安そうな顔をしているのに、いまは見る影もない。放心したままからあげ串を食べきり、油にまみれた空の串を手に持ち静止していた。
「祥馬、おい……」
見かねて声をかけると、ハッと焦点を合わせて口のなかに残っていたひとくちを嚥下した。
「なに」
「ぼーっとしてんぞ」
原因なんて分かりきっているのに、明るい調子でそう言っても痛々しい空回りになるだけだ。
祥馬は心ここにあらずというふうに、串の切っ先を眺めている。やがて気が済んだのか、それを袋に落とし、ゴミ箱に捨ると小さくなって膝をかかえた。疲弊した仕草だった。
「どうしたんだ? 言いたくなければ、いいけどさ」
ココアを入れたマグを差し出すと、素直に受け取ってくれた。朋坂も自分のぶんのコーヒーを用意して、隣に腰を下ろす。
いつもなら、すぐに『気色悪いから離れて座れ』とでも悪態を吐くくせに、無反応だった。それどころか、ぬくもりを求めるように、ほんの数ミリではあるが、身体を寄せてくる。手負いの獣のような仕草で、存在を許してくれる。
こちこちと時計が鳴き、マグは冷めていく。カップの内側に、ココアの円が土星の輪のような層を刻んでいく。
これはもう話すつもりは無いのだろうなと諦めかけたとき、
「いや、さっきのさ、なんとか先輩」
祥馬はぽつりと言葉を漏らした。
「上津田先輩、だな」
「うん。そのひと……、おれたちアルマのせいでひどい目に遭ったんだろうなあって」
横目で見やると、祥馬はひたすらカップの内側ばかりを見ている。まるでそれ以外に視線を移せば、涙が零れてしまうんじゃないかと信じているように。
「――――あの人、このあいだ来たんだ。俺の働いているコンビニに」
「……そっか」
いつぞやに、職場のビルの駐車場で警官に詰められたことを思い出した。
あのとき、警官は明らかに上津田を探していた。そして、上津田らしき不審者がコンビニで店員を恫喝していたとも。
「上津田ってヤツ、〝アルマ〟っていうことばを知っていた。お前らアルマはバケモノだ、って、言ってた」
祥馬の瞬きが、二、三度だけ速まる。
「きっと、強烈なトラウマがあの人をおかしくさせたんだ。俺たちアルマの戦いに巻き込まれて。――――俺たちのせいだ」
はあ、というため息が熱くて、まさに魂が吐き出されているかに思われた。
朋坂は胸が潰される思いで、祥馬の頭に手を乗せた。そして、ちからを喪いつつあるその瞳を覗き込む。
違うって信じてほしくて、――祥馬が負うべき咎は無いはずだと信じてほしくて、言葉を紡ぐ。
「ちがう。それは違うよ、祥馬。君たちのせいなんかじゃない。先輩はたまたま襲撃現場に居合わせて、たまたまマーテルに飲み込まれてしまった。祥馬のせいじゃない。アルマのせいじゃない。ファミリアのせいだ。そうだろ?」
運が悪かったと言葉で片付けるのは簡単だが、上津田本人はたしかに彼だけにしか解らない痛苦と地獄を味わい、苦しみ抜いた。果てのない怒りや苦しみはどこまでもどこまでも彼を苛み、時とともにどんどん澱の嵩を増やしていくのだろう。
しかし、その怒りをぶつけるべき対象はすでにこの世界から消え去ってしまっている。
アルマが、倒したのだから。
世のため人のため、身を挺し、彼らも痛苦を負いながら、滅した。
「気の毒だとは思うよ。俺は、元気に仕事をしていたころの上津田先輩を知っている。新人にもやさしくて、失敗に怯えていても、『はじめてのことの連続なんだからミスするのなんて当たり前だ。むしろそれをフォローしたり修正したりすることで、自分たちにとっても復習になるし戒めにもなるんだ』って、本心から言ってくれていた。飲み会でも終電に間に合うようにうまく切り上げてくれたり、……そんな、やさしい人だったんだよ」
言葉を重ねるたび、かつての上津田の姿が次々に浮かんで参ってしまう。
そんなに優しい彼の姿を知っていて、たくさんの思い出を所持しているくせに、なにもできない。彼に届く可能性のあることばを知らない。伝えられない。
胃の底が重くなる。呼吸を忘れてやるせなさをやり過ごすと、祥馬はやおら立ち上がってしまう。
「しょう、ま……?」
朋坂の目の前に座り込んで、相変わらず不安げに膝をかかえたまま、祥馬は眉根を寄せた。
「そんなに優しいひとを、まともじゃいられなくさせてしまったのは、……やっぱり、俺たちアルマにも責任があるんじゃないの? 街にだって被害が出てるけど、ファミリアだけのせいじゃないだろ。俺たちアルマの攻撃で建物が崩れたりさ、救えた命より、救えなかったもののほうが多いよ、絶対に」
「それは……」
ニュース番組で最近になって頻出する話題のひとつに、アルマに対する攻撃的な内容があった。実際、逃げ遅れた人が崩れた瓦礫の下敷きになったりというケースがあるのだが、その責任はアルマの無差別的な広範囲攻撃のせいだと唱える者が増え始めたのだ。
「正直言うとさ、最初はあんまり意識してこなかった。被害がどうとか、それより早くファミリアを倒さねーとって、そればっか考えてた。実際、いまは避難経路が確立しているから逃げ遅れるなんてこと自体があんまりないだろ。そもそも地下の整備も進んでいて、居住をそっちに移している人も多いしさ」
区画整備と地下に都市を移す計画もずいぶんと進んでいる。しかし、それでも被害がゼロというわけではない。実際に、ずっと地下でばかり暮らしてはいけないのだ。生活のため働かなければならない。地方に引っ越していくひとが大半だとしても、そう簡単にいまある生活を捨てられない人だっている。その理由は、ひとの数だけ、思い出の数だけ、記憶の数だけ存在する。襲撃だって、ほんの数十分でアルマが片付けてしまうのだし、目を詰むってやり過ごす選択を取る人だっている。
とはいえ、マーテルとアルマの攻防戦によって被害に遭い、怪我をしたり、亡くなってしまう人は確かに存在している。彼らにだって唯一の人生があり、そしてその人生に関わる人が網目状にどこまでも広がっている。
人が亡くなるということは、そういうことなのだ。
その人が亡くなって、はい終わり、なんてことにはならない。
襲撃によって亡くなった人を悼み、怒りをぶつける先が見当たらなかった者の溜飲はどうしたら下げられるだろう。
――――自分たちとおなじように生きていて、実際に不可解な力を使い、魔物と対等に戦っている〝魔法少年〟へと向けられるのは不思議なことではないのだ。
強大で残酷で非現実的なファミリアへと立ち向かうより、〝魔法少年〟を攻撃するほうが、圧倒的に現実的だ。
その気持ちが全然わからないなんて、実際に当事者となってアルマの実態や苦しみを知った朋坂にだって、言えない。
「ヨリ、最近ニュース番組が始まると、さりげなくチャンネルを変えるだろ」
「あ? ああ。……気が付いていたか」
「当たり前だろ。露骨すぎ。……やっぱりさ、世間的には〝そういうこと〟になってんの?」
〝そういうこと〟というのは、ファミリアの襲撃に怯え、逃げ惑い、そして奪われた人たちの憎悪がアルマに向かっているのか、ということだろう。
ちがうと明確に言い切りたいが、――――ウソは吐けない。
その場しのぎの安心と引き換えにして適当に片付けて良いことではない。
「一部の間では、な。だけど、……だからって、祥馬が恨まれる謂われはないだろ。上津田先輩の不運に、祥馬は関係ない」
「ヨリ……」
「俺は、思ってる。ずっと、思ってる。すべてを救えるのならこの上ないって。だけど、……満身創痍のなかで掬った砂粒のうち、たった一粒でも取り逃したら重罪だなんて、あまりにもむちゃくちゃだよ。もしも祥馬が拾えなかった一粒のせいで、おまえが罪人になってしまうなら、俺はもう、そんな世界は救わなくていい」
祥馬に向き合って、しっかりと瞳を見て断言する。
「祥馬が一粒を取り逃したら。そのことに、祥馬が罪を感じたとしたら」
たとえ祥馬が望まなくても。
「そのときは、俺も一緒に罪人になるから」
だから、一人で背負い込まないでほしい。
一緒に背負わせてほしい。
契約だとか、マスターだとかアルマだとかそんなものは一切合切関係なく、ただのちっぽけな人間同士、罪悪感に潰されながらも共に罪を背負いたい。
それで、すこしでも祥馬が救われるなら。
「――――ありがとう、ヨリ」
いまにも泣き出してしまいそうに顔を歪ませて、祥馬は笑った。
きっと祥馬は、朋坂に罪を分配しない。
それが痛いほどに分かってしまう、そんな表情で笑った。
「……もう一度なんとかセンパイが俺んとこに来てくれたらさ、……どうにかしてやりてえよな」
刺されかけたくせに、〝来てくれたら〟と言葉にする祥馬に、泣きたくなる。横柄な態度やがさつな言動で翻弄するくせに、その本質はいつだって、尊い。
だから朋坂も、縋り付きたくなる気持ちを抑えて穏やかに笑んだ。
「――――そうだな。俺も、次は諦めずにきちんと誠心誠意、上津田先輩と話してみたいな。きっと先輩はまだ一人で苦しんでいるんだ。……助けられたら、いいよな」
「うん。――――頼んだぜ、ヨリ」
信頼を言葉で表されると一気に照れくさくなる。あまりにも面映ゆいやりとりと空気感に耐えきれなくなったのか、祥馬はバネのように立ち上がるとコンビニの袋を漁って次々にお菓子を取り出し始めた。
「よっし。くっそうぜえマーテルどもを沈めるためにも、しっかり体力を付けとかねーとな! ほら、ヨリも食えよ!」
わざとらしくすら聞こえる明るい口調で祥馬はカラフルなグミを取り出す。袋の口が固かったのか、力任せに開封しようとする祥馬の手の中で袋は勢いよく弾けた。
「あ」
グミの雨が降り注ぐ。
色とりどりのグミが飛び散るさまが、スローモーションで頭上に浮遊する。
それはまるで戦場で祥馬が生み出すパステルスターのようで、朋坂はすべてを忘れて見惚れてしまった。
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