マジカルは突然に

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マジカルは突然に

 夜ごとカラフルな肉塊を身体にこびりつかせて俺の元へと帰ってくる魔法少年。 『昨今の魔法少年は傷つけられてこそ強くなれるんだよ』  あっけらかんと言い放ち、彼は燕尾服に似た黒いコートの裾をひらめかせ、手にした杖を振るって真紫の返り血を玄関に飛び散らせた。文句の一つでも言ってやろうかと口を開いたが、結局はつまらなそうに眉根を寄せる彼の頬を両手で挟み込んで引き寄せ、緩慢に抱き締めた。こき、という小さな音と、呻く声音。肋骨がめちゃめちゃに折れているのだろう。  彼の身体がへし折れようと、えぐれようと、俺にはどうすることもできない。この世界を侵略しに襲来する化け物相手に、特別な力を持った正義の味方を守ってやることなんてできるはずもない。所詮、俺は契約者とは名ばかりのただの傍観者にしか過ぎない。  この世の平和を守ってくれる彼のために俺がしてやれることはひとつ、目を閉じて振り上げた手をその滑らかな頬に打ち付けること、ただそれだけだ。    *   *   *  ダッシュボードに手を伸ばしかけ、やめた。買い置きの煙草が一箱、未開封のままいざという時のために出番を待っていたはずなのだけれど、結局一度も〝いざという時〟は訪れないまま朋坂(ともさか)は禁煙に踏み切ったのだった。  狭く、たばこ臭い社用車に乗っているとどうしても誘惑が断ち切れない。それでも煙草を禁じてからなんとか数週間は持ちこたえているので、はじめての禁煙にしては上々なのではないかと密かに思っていた。  旧い文具メーカーの下請け会社に就職してから、慣れない営業部門に配属されて煙草を覚えた。本当は事務仕事を担当するつもりで面接し、実際に一年間は経理として納品書や請求書の山に囲まれていた。しかし、営業の先輩がとある事件によりこころを弱らせてしまい、急遽当面の代役として朋坂が充てられた。そこまではいい。数週間、長くても一月経てば元の部署に戻してやるからと言われ二つ返事に承諾したのだが、結局はずるずるとそのまま営業として走り回されている。同僚も最初こそ同情してくれていたのに、今ではすっかり朋坂のことを指すときには〝営業の朋坂〟と称するのだから裏切りも甚だしい。もはや緊急の代役ではなく、単なる〝部署異動〟なのだと会社ぐるみで錯覚しているのではないかと朋坂はひそかに疑っている。  けれど、いざ就いてみればあんがい営業仕事が嫌いではなかった。事なかれ主義で、意図せずともついつい他者をヨイショしてしまう気のある朋坂は得意先でもかわいがられていたし、仕事にかこつけてかわいい受付嬢や事務の女の子と世間話が出来るのもうれしかった。交際には至らなかったものの、何度かデートをさせてもらったこともある。穴埋めとしての役割以上の成果も出せたと思っている。営業成績がよく、周囲に感謝もされた。  ――――ツキは巡っている。それなのに煙草の本数が増えていくのは、ひとえに充実感とはべつに、朋坂自身が理想の自分像とは遠いところでこころをすり潰しているという証明に他ならなかった。性格上、腰を低く対応してしまう、おだてるという行為を無意識にこなしてしまうのに、内心そんな自分に辟易している。苛立ちを覚える。そんな節が、朋坂にはあった。  煙草を求めてさまよう指を無理矢理制し、助手席に投げていた携帯端末を取る。このまま車を会社に戻したら直帰する算段でいたので、定時よりほんの少しだけ時間が空くのだ。 (高積さんたちはまだ仕事だろうな。忙しそうにしていたし、残業かな……。飲みに行きたい気分だったんだけど)  連絡帳の上で指を滑らせるが、誘えそうな相手はいなかった。一人で飲みに行けるような小料理屋を知っているわけでもないし、朋坂は大人数で飲むほうが好きだったのではなから一人飲みは選択肢に入っていない。 (山辺とあゆみさんなら――――)  人恋しさからか、一度はしまいかけた端末をもう一度操作し、諦めが付かず同期のふたりを思い浮かべたが、あわてて除外した。今夜はクリスマスイブなのに、どう考えても交際一歩手という仲の男女を誘うほど朋坂は無神経ではなかった。 (イブ、か…………)  十二月二十四日と刻印された液晶は、気温と等しく冷たい。ほう、と吐いた息は車内で凍った。今年もむなしく、アパートでチキンに歯形を付ける夜が訪れるのだろう。 「っしゃいませー」  いつもの癖で煙草の陳列棚をきょろりと見回すと、ヤンキーふうの店員が三白眼気味の瞳で宙を見やった。 「あー、なんだっけ、二十四番?」 「あ、ハイ。……じゃなかった。今日は、煙草はナシで」  禁煙中なんだ、と小声で付け足すと、店員は興味なさそうにかすかに鼻をぐずつかせた。 「お会計ぜんぶで、四百五十七円っすね」  やけに馴れ馴れしいけれど、そういえばこの店員はいつだってそうだった。些細な買い物できつく畏まられるのも息苦しく感じてしまうし、べつにこの接客態度が不愉快というわけでもあるまい。学生のアルバイトなのだろうが、どれだけ混み合おうとレジ捌きもほかの店員よりも格段に早く、また厄介そうなチケット発券や小包の郵送処理も淀みなく承っているので頼もしいことこの上ない。常連でもないのに贔屓している煙草の銘柄を覚えてくれているという驚きとうれしさもあって、朋坂はこのヤンキー店員をひそかに気に入っていた。  イブなのにお疲れ様、と内心で労いつつ、慣れない笑顔を作って小さく礼を述べると会計を済ませて自動ドアを潜った。『あざっしたー』という気の抜けた声音が背後に流れ、一気に冬の冷気が身体を包んだ。冬は、磨き上げられたシルバーが凍ったようなにおいがする。  街は橙と紫のネオンが煌めいて、うすぼんやりとした光暈がいくつも生まれては闇夜に消え落ちる。ちかちかと点滅し始めた信号機に乗り遅れまいと、ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま足早に横断歩道を駆けて天に白い息を吐いた。  今夜はうつろう雑踏もどこか浮ついていて、街中、男女交際の香りに満ち満ちている。一人侘しく家路を急ぐ。金もなければ彼女もいない朋坂の背は次第に丸まっていき、哀愁の姿は今にも木枯らしに吹かれて飛び失せてしまいそうだった。帰宅してからはきっと、あまりおいしくないチキンにかぶりつきながら、やけにアンニュイなBGMの『あしたの天気予報』を眺めるのだ。  代わり映えのしない毎日が退屈だと言う人も大勢いるだろう。けれど、朋坂はそんな不変の毎日にこそ安心を覚えるたちであった。何か新鮮なワクワクを求めて思案するより、どこのスーパーでどんな惣菜を買うかという小さな事で頭を悩ませていたいし、その小さな悩みこそ小市民の幸せであり、延いては無二の安寧なのだと信奉している。 『――……またもやファミリアの襲撃があったということで、A地区の住人たちは緊急避難を余儀なくされております。付近では家屋が倒壊するなどの被害が確認されており、逃げ遅れた人の救助が急がれています――……』  頬を刺す冷たい風に身を竦めながら足早に歩いていると、暗がりに埋もれるようにして佇むくすんだ電気屋の前で気になるニュースが流れてきて、思わず足を止めてしまった。街頭モニターからは神妙な声音でアナウンサーが緊急速報を告げていて、ただならぬ気配を漂わせている。がたがたと揺れる映像は荒く、現地から中継しているリポーターのはるか向こうで黒く巨大な影がうねるように蠢いていた。紐状の身体と、節足動物のように身体の側面からびっしりと伸びている無数の足。擡げた頭がゆうるりと辺りを見回し、口と思われる切れ目から赤いヘドロ状の泡を吐き出している。硬質めいた殻に覆われた姿はつるりとしていて、足下をわらわらとした小型の蜘蛛に囲まれながら、幾本もの細長い足を不揃いにばたつかせていた。 「先輩――――……」  帰宅中に異形に襲われ命からがら逃げおおせた営業部門の先輩を思い出し、眉根を寄せて苦い顔をした。その日以来先輩は訳の分からないことをぶつぶつと呟いたかと思えば大声でわめき、我を忘れたように暴れるそうなのだ。発見時、先輩は異形に一度飲み込まれ排泄された状態だったらしく、粘液や汚物にまみれて目を覆いたくなるほどの惨状だったのだと聞き及んでいる。トラウマから錯乱状態に陥るのも、無理はないだろう。生きていただけで良かったなんて、とてもではないが本人の前では口にはできない。できるはずがない。  画面が上空からの映像に切り替わる。異形の行進は遠い場所からヘリで中継されているのか、解像度が荒くぼやけていてなおさら不気味だ。  朋坂のみならず、先ほどまで浮かれ気味に手を繋いで歩いていたカップルも一様に足を止めて携帯端末でニュースを追っている。この瞬間、もはやクリスマス前夜という華やいだ特別な日は、暗澹たる空気にはるか遠くへと押しやられてしまっていた。  ――――ファミリア。数年前に突如現れた、異界の生き物の総称だ。ファミリアの襲来に規則性はなく、小さな地震のあとに稲光と共に空間をこじ開け――、まさに大気を割るようにしてこちらの世界への侵略を始める。一度の襲来でやってくるファミリアは、全長十~十五メートル級の大型異形、通称〝マーテル〟一体と、マーテルから生み出される一メートルにも満たない小型異形、〝レモラ〟が約数百体、一つの群れを形成して襲来するという統計が取れている。過去のデータにより重火器の類いはほとんど効果を得られないということも判明しているために、ファミリアを打破する手立ては現状、一つの手段に限られている。 『――……なお、既に魔法少年の活動も確認されており、事態は終息に近付いている模様です。現場からは以上です、スタジオにお返しいたします――……』 (今回の魔法少年は対応が早いな……)  感嘆し、朋坂はようやく街頭モニターから視線を外してゆっくりと歩を進めた。ほうと吐いた息が遠くのモニターを霞ませる。  魔法少年。ファミリアの襲来と共に現れた、異能力を扱いそれらを排除する謎の少年たち。素性はすべて謎。複数の魔法少年が存在していることは確認されているのだが、彼らが単独でファミリアと対立しているのか、それとも組織的な形態を取っているのかすら判明していないというのだ。分かっていることと言えば、 『人類の味方である』 『非科学的な力を駆使してファミリアを殲滅する』 『魔法少年のだれもがみな、十代後半の様相』  ということだけだ。ほぼ未知の存在と言ってもいい。朋坂自身、かなり遠くからビデオで撮影された影のひとひらしか見たことがないのだ。もっとも、ワイドショーで取り沙汰されたその映像はピンボケが甚だしく、影とすら言えないようなドットの集合体という有様であったのだが……。それでも、朋坂はそのぼんやりした曖昧なドットが、今夜の凍てつく冬の大気に馴染むネオンの光暈と引けを取らないほど煌めいて見えていた。得体の知れない秘密の少年たち。影さえ捉えさせてくれないほどのスピードで駆け、謎の侵略者を跡形も残らないほど木っ端みじんにしてしまう。まさに、光速のヒーローだ。幼い頃に憧れた変形ロボットでも、それを操るパイロットでもない。パーソナルカラーを持つ戦隊ヒーローでも、大剣を持つ勇者でも怪獣を操るコンダクターでもない。魔法少年という、一種少女漫画めいた名称を冠した小柄な身体。成熟しきらない、未成年。朋坂はひそかに、〝魔法少年〟に焦がれていた。一度で良いから、動く姿を鮮明に見てみたい。近くで、応援してみたい――――……。 「痛って……っ!」 「あ、す、すみませんっ! ぼんやりしていて……」  夢に浮かされたように歩いていると、後ろから歩いてきた若者と盛大に肩がぶつかった。慌てて頭を下げ、窺うようにちらりと視線を上げる。 「あっ!」  思わず大声を上げてしまった。 「コンビニの店員さん!」 「あ? ……、ああ、さっきの客」  ぶつかった相手は、コンビニのヤンキー店員だった。夜ですら眩しいほどの金髪に、隙間なく開けられたピアス。輪の形にぽっかりと開いた片方の耳たぶは、見ているこちらの方が痛くなってしまう。そして、いやに目に付くのは彼の首元で光る宝石だ。男が身につけるにしては、ましてや彼のような刺々しい外見の男子の装飾にしては少々乙女趣味すぎる、きらきらとした特大クリスタルチャームがついたチョーカー。まるでままごとのようなアクセサリーだけれど、ベルト部分は本革のように見えるし、宝石をがっちりと支える金色のツメは華奢で繊細な細工があしらわれていて案外高価なものなのかもしれない。街の掃きだめにうろつくシンナー臭いヤンキー集団に混じっていてもおかしくなさそうな彼の首元で唐突にきらめく、ファンタジックでガーリッシュなそれは明らかな異物だ。透明なクリスタルが今日の凍てつく冷気と相まって、まるで氷の塊のように思えてしまう。宝石に接した皮膚が寒そうだ。  あまりまじまじ見るのも失礼だと、視線をぐるりと引き剥がした。片手にはスマホを持っていて、おそらく歩きながら端末を操作していたのだと窺わせる。そう認識する一方、彼の持っているスマホケースが異常にゴテゴテしていて、よく分からないが巨大なウサミミのような物体が邪魔くさそうに付いているものだからついつい目線もそちらに誘導されてしまう。 「は? さっきからなに」 「えっ!? あ、いえ! あの、それ。そのスマホケースが重そうだなって……」  低い位置から剣呑な瞳に睨み上げられ、たじろいでしまう。朋坂よりずいぶん年下だろうに、胡乱げにガムを噛んで目を眇めている。沈黙が続く。 (怖……っ!)  突然スマホケースの話をされて困惑しているのかもしれないが、事なかれ主義の朋坂は機嫌を損ねてしまったのではないかと内心胃を痛めていた。しかし、店員――ヤンキーふうの青年はしばしの沈黙の後、 「ちょっと、重いかも」  と、手の中のスマホを上下に振って見せた。やっぱり重いんだ、朋坂は口の中で唱えて得心する。それっきり言葉がでてこなくなってどう別れを切り出すべきか迷っていると、青年がふいに背後を振り返り、そして微動だにしなくなった。  つられて朋坂も彼の背後に目をこらす。相変わらずネオンが瞬き、車道を行き交う車のヘッドライトやテールランプが赤や黄に光っては流れるばかりで別段目を引くようなものはなかった。 「……?」  冷たい冬風がびゅうびゅうと耳の傍で音を立てる。さっきまで感じていた冷たさより一等冷たく、それは吹き荒れるさなかですら一度、また一度と冷感を帯びていく。歩道で立ちすくむまばらな人影の中には、地面にうずくまる者もいる。尋常ではない事態が起きているのではと心臓がバクバクと収縮する。小さな悲鳴がいくつも聞こえる。カップルが寄り添い、互いに歯をガチガチと鳴らす。  いくら冬まっただ中といえど少し前までは我慢できないほどの寒さではなかったはずなのに、いまやその冷気は氷そのもので、鋭い氷の破片すら突風に乗り頬を裂くほどだ。息を吐いた端から凍ってぽろぽろと地面に落下していくような気さえする。 「な、に……っ?」  あまりの極寒に、瞼を開けることが出来ず、手探りで伸ばした指先が空を切る。それでも追いすがるようにして足を踏み出しさらに手を伸ばせば、それはようやく温かいなにかに行き着いた。必死で掴み、無我夢中で引っ張った。ヒギャ、という潰れた声を捉える。 「ちょ、ちょっと! くるし、……ッ苦しいって!」  指先で掴んだそれが縋り付く朋坂をつっぱね、やがてはブチンという音とともに一切の抵抗をやめた。それと同時に朋坂も行き場を失った力の反動で倒れ込み、派手に尻餅を突いた。尾てい骨が割れそうなほどの衝撃に、暗い瞼の中で火花が散った。 「ぅぐッ……!」  痛みに声すら上げられず、呻くのが精一杯だ。続けざまのストロボ、フラッシュ。カッと光が咲いた。 「えっ、ちょ、なんで!?」  素っ頓狂な声と眩しすぎるほどの閃光に、閉じた瞼の向こう側が赤く燃える。燃えていると思ったのは錯覚で、それは瞼を奔る血流の赤色に違いなかったのだけれど、何も見えない朋坂は半ばパニック状態で閃光をやり過ごした。凍る夜気すら蒸発させるほどの光が終息し、融解したまつげの氷がぽたりと雫を垂らし、朋坂はおそるおそる瞼を開いた。そして――――。 「え――?」  眼前に、よくわからない人がいた。知らない人ではなく、〝わからない人〟としか形容できない。その人はぽかんと口を開けて、困惑したように朋坂を見詰めている。瞳がちらちらと揺らぎ、頬がひくついている。わななく唇から何度も何度も『は?』『え?』と疑問の声を漏らしては頭を抱えたり首を傾げたりとしていたが、ついには助けを求めるように朋坂に瞳をぴたりと合わせた。尻餅を突いたまま微動だにせず事態を見守っていた朋坂も思わず肩を揺らしてびくつく。 「ちょっと待って、本当に訳がわかんねえ。ねえ、なんで俺、変身しちゃってんの?」  ファンタジックでマジカルなコスチュームに身を包んだヤンキー店員が、はらはらと落ちる雪を灼く光の中で魔法少年に変貌していた。
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