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 季節の隙間を縫うようにするりと抜けていく、秋。秋の匂いが香って、特段この公園沿いの道を覆う葉の暖色はそれを漂わせる。しがない少年は(彼は坊主頭であった)秋を踏みしめて歩き、公園の入口の斜路へと差し掛かった。これを大股で上り切り、広場の端に沿って俯き加減で歩く。自分の遣る足を、見つめているのである。遣る足が、遣る度、地を沿って進んでいく。それが面白いともつまらぬとも自覚しないうちに、少年は俯いていた。  目当てのベンチへと辿り着くと(少年はこの公園の常連であった)、それに靴を浮かせるくらい深く腰を掛けた。広場にはちょうど、東西南北の方角に二つずつ、背もたれ付きの共用ベンチが設置されていた。『ボール遊び禁止』の張り紙虚しく、野球にサッカー、バドミントン、テニスと種々のスポーツの遊び場となっているこの広場だが、今日のこの時間には、残念ながらそういった姿は見られなかった。実際、少年はその見学の為に、わざわざここへ座りにきたのである。見学し、あわよくば仲間に入れてもらおうかという魂胆であった。……当ては外れたが、少年はその視界に、一人の少女を捉えることができた。少女は、公園の周囲に生えている樹木を見上げていた。少年は「何をしているのだろう」と興味本位に観ていたが、やがて少女が、その首から立派なカメラを提げていることに気がついた。それから、少女は、喜色湛えて、どうやらそこらの景色をその箱の中に写し、そして満足気な表情を浮かべてみるのであった。  少年はそれを目撃して、ゾクと身体に冷ややかな、ふるえるものを感覚した。それは生まれて初めての感覚であった。彼女の表情に、少年は高揚していた。まだ、年端もいかない少年である。けれども、年齢が同じか、少し上かといったその程度の少女に対して、抑え難いものの胎動を感じていた。彼女を、自分のものにしたいといった、そんな、忌まわしい望み。それは本来、彼女の許しがなくては、叶えられない望みである。しかし、少年は彼女を一方的に自分のものにしたがった。少女は、そこら中の景色を欲しいままにしていた。そのカメラのレンズの中に、たった今目にする景色を捉えることで、永久にそれを、自分のものにしてしまえる。そんなことが、少年にも直感的に理解できた。むくむくと、彼女への気持ちが膨らみ出した。  少女は依然、撮り続けていた。少年は徐に立ち上がると、この少女へと近づいた。周辺には誰も見当たらなかった。少女ばかりが、ここらの景色を独り占めにしている。少年は、必要のないことを考え始めた。つまり、もし自分にレンズが向けられたらどうするだろうということだ。そういった事態は、どうやらこの上なく喜ばしいことのようだった。求めるものに求められる悦び、それは換言し難い類のものであった。ひょっとすると、その時に初めて、彼女は自分のものになるのかもしれなかった。なるほど指を差して「自分のものだ」と言い張ったところで、認められ難い話である。少年が少女の側にまで辿り着くと、ようやく少女は不思議そうな目をこちらに向けて首を傾げた。 「何撮ってんの?」  少年は心持ちと裏腹に、自分でも驚くほど平静に、酷く理知的に言葉を投げかけた。 「景色」と彼女はほとんど掠れた、消え入る声で呟いた。少年は「ふうん」と相槌を打った。 「何年?」と次に聞いた。思いつく順番に、会話を途切れさせぬようにと問いをかける。 「六年生」と彼女は、さっきよりもはっきりと受け応えた。少年の方は五年生であった。すなわち、自分の方が年下だ。けれども何を思ったか、見栄を張り「俺は中一」と余計なことを言った。せめて同い年くらいにしておけば良かった、いやそれじゃああっという間に発覚してしまうか……と考えた時、彼女がクスと笑った。自分の嘘が、今この一瞬にして判明したのだと思った。形容し難い羞恥に駆られ、少年は今にもここを逃走しようとした。が、次に少女が口を開いて言うには「中学校って、どんな感じ?」と。少年はあっという間に得意になって「そんな変わらないよ」などと宣った。少女は「へええ」と感心した。  会話の途切れそうな気がしたので、慌てて少年は、目に入るものから話題を探す。 「そのカメラ、どこで買ったの?」  少女は大して面白くもなさそうに「ううん」と俯いてそれを見た。 「覚えてない」 「そっか」  少年は続けて「良さげなカメラだね」と言う。 「うん」と少女は元気良く答え、カメラを掲げてみせた。 「見る?」と真っ直ぐに少年を見据えて聞いた。少年はどきりという胸の高鳴りを覚えた。上の空で頷いた。  その中に蓄えられた写真を次々めくってみると、随分美麗であった。この公園の景色から、山の紅葉狩りへと移る。その中に、ほとんど人の写り込まないことに、少年は初めに気がついた。なぜなら、この撮影された中には、きっと彼女の屈託ない様子を写した画が隠れているはずだと内心期待を寄せていたためである。ところが、少女の姿はどこにも見当たらなかった。 「どう?」と少女は純粋に感想を求めるように聞いた。そこには何らの期待も臆病も潜んではいなかった。つまり、少女には写真を、褒められるとも貶されるとも、覚悟ができていなかった。そして少年は真っ先に「あんまりつまらない」という感想を呟きかけた。が、奇跡的に彼はこの時、その言葉が彼女に及ぼす影響について考察を至らせることに成功したのである。 「綺麗」と少年は、これまでの人生に二度も発したことのない言語表現をした。すると彼女は律儀に笑顔を作って「ありがとう」と言った。  少年は、このままだと絡め取られそうであった。知りようもない相手の心中を慮るばかりに、一歩も踏み出せなくなる。元来、少年は何事も自身の足を動かし見聞きし、試す性質であった。ここに、大きな岐路を迎える。足が竦むのか、それとも失敗をものともせずに踏み込んでいくのか……相手が、もう二度と会わぬとも知れぬ少女であったことが幸いした。いや、幸いなのか災いなのかは実際のところ良く分からない。しかし、結果的に少年は、元来の性質を曲げることなく貫き通し得た。 「何でお前が写ってないの?」  少年のぶっきらぼうな言い方に、少女は一旦きょとんとした。程なくして「そんなこと、思ってもみなかった」と言った。 「撮るばっかりで、撮られるのは嫌なの?」  彼女はううんと唸った。 「撮る必要が無いっていうか、わざわざ撮ることも無いっていうか……」 「勿体無い!」と少年は声を上げた。それから「撮ったらいいのに……」とぼそりと言って、取り繕った。 「考えとくね!」  少女の返事は判然としていて、明るかった。そのせいで、少年はまた身体中火照り出した。
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