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太宰府駅から歩いて十分ほどのところに、ウカさんたちのお店はある。自宅が併設されているらしく、忙しい時はほとんど家から出ないのだとか。俺も家と畑と小川くらいしか行かないので、同じようなものだな。
立派な店構えの呉服屋は、ウカさんたちが営んでいる。従業員はみんな人間で、神様に近い存在なのはウカさんたちだけらしい。
「あぶ、ぶぶ」
「うう……しらたき……」
「あむー」
宇海にヨダレまみれにされたしらたきは、さっそく洗濯され庭先に干されている。おみは、ぷらぷら揺れる尻尾を切なげに見つめていた。織田さんに託されたお土産を手渡し、荷物を片付け。ようやく足を伸ばしてゆっくり出来た頃にはおみの機嫌も治っていた。
相手が赤ちゃんだからなのか、泣くことも拗ねることもしない。かっこいいお兄ちゃんでいたいんだろうな。
「明日は太宰府天満宮に行きましょうね。平日だから、今日よりは人も少ないず」
「懐かしいなぁ。俺、受験生の時に行きましたよ」
あれから十年近く経っているが、今でも学問の神様は忙しいようだ。近くには大きな博物館もあるし、見どころは多い。それに、参道での食べ歩きも。
明日は迷子にならないよう、抱っこしたほうがいいかな。
「うみちゃーいいこしゃだねー」
「あうー」
「おてて、ちっさいねー」
「あぐ」
「みえええおみのおててたべないでー!」
うん、やっぱり抱っこしよう。少しは成長しているけれど、不安の方が大きい。人も多いだろうし。
別に甘やかしではない。
決して。
「おみちゃん、おやつがあるからこっちにいらっしゃい」
「おやつ!」
「でも食べ過ぎちゃだめよ」
「うぃ」
「本当にわかってるのか……?」
返事だけは立派だが、両手にはさっそくおやつの丸ボーロが握られている。さっきまで宇海に手を齧られて半べそだったのに。元気なやつ。
軽くて柔らかい口触りの丸ボーロは、見事おみの好みにあったらしい。同じくらい目をまん丸にして、もりもり食べている。
「よく食べるわねぇ」
「疲れたんだと思います。人混みとか新幹線とか、慣れないことばっかりだったから」
「大変だったのに、ありがとう。どうしてもここを離れられなくて」
「何かあるんですか?」
「そうなの」
ウカさんは、少し目を細めて宇海の頭を撫でる。嬉しそうに笑う宇海はねだるように腕を伸ばし、それに答えるようにウカさんは抱き上げた。
なんだかおみと姿が被るけど、おみの方が年上なんだよなぁ。
「実はね、私たち人間になるの」
「えっ?」
「眷属の力を返上して、ただの人間になる。だから挨拶をしておきたくて」
「なんで、急に……」
眷属の力を返上するということは、織田さんとの関係が途切れるということだ。霊力も、寿命も、ただの人間と同じになる。
純粋に、デメリットの方が多いのだ。眷属が人間になるなんて。ほとんど誰もしようとしない。なのに、どうして。
「眷属同士の間にできた子供って、ほとんど眷属と同じ力を持つの。でもこの子は……人間として生まれたのよ」
「じゃあ宇海に霊力はないんですか」
「ただの人間よりはあるけれど、成長したらほとんど無くなるでしょうね」
霊力が無くなるということは、今のようにウカさんや織田さん、おみと触れ合うことが難しくなる。俺には室生の血が流れているからある程度は大丈夫だけど、宇海の場合は難しいだろう。
そうなると、宇海は一人になってしまう。
「だから、私たちが人間になることにしたの。そうしたらこの子を抱きしめることができる」
「織田さんは、何て?」
「理由を言ったら分かってくれたわ。私に心配させたくなかったみたいで、泣きはしなかったけど」
絶対、一人になってから泣いただろうな。
イネとマイが居るとはいえ、ウカさんは織田さんにとって一番近い眷属だった。娘みたいなものだといつも言っていた。
だからこそ反対はしなかったし、涙も見せなかったのだ。ウカさんが安心できるように。ウカさんが幸せに生きていけるように。
「それで最近バタバタしていたの。飛梅の神様に話をしたり、店長と連絡したり。あとは、私たちの戸籍を作ったりとかね」
「大変だなぁ」
「人間って大変よね。ただここに居るだけなのに。それはずっと変わらないことなのに。色々な人がそれを証明してくれないと存在していることにならないなんて」
それでも、ウカさんの横顔には絶望や後悔は見えなかった。満足しているのだろう。永遠の命よりも大切な存在を守れることを。
これが家族なのかと、改めてその絆の強さに驚かされる。ふと、なんだか急に実家が恋しくなった。父さんも母さんも元気にしているだろうか。
「りょーた、おみもぎゅーして」
「うん。おいで」
「んふふ」
俺はおみを守るために大切なものを手放すことになった。それまで当たり前だった生活も、親と暮らすことも、結婚したり子供を作ったり。便利で快適な生活も全部手放した。
でも、それを後悔はしていない。
代わりにたくさんのものを受け取った。普通とは違うけれど、おみと家族になれた。これ以上の幸福があるだろうか。
俺たちの間には乾いた風に乗って、ふわりと梅の香りが漂っていた。
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