1.置きピン

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1.置きピン

4日間の日程で開催される冬季スキー国体、1日目。 ジャンプ競技の公式練習日。 アプローチレールを滑る選手の姿が一度、踏切台の死角に入って消える。 ごう、とレールが(こす)れる音から0.5秒。 選手が大空に飛び出し、頭上に姿を現した。 体をぐっと前に倒し、空を駆けていく――。 「わぁ、すごい」 呑気な声が聞こえて振り返った。 望遠レンズのカメラを持った女性が滑空する選手を見上げていた。 女性は颯の視線に気付くと、にっこり笑った。 「お疲れ様です。ここ、いいですか?」 「どうぞ」 (もり)(みやこ)日報と印字された腕章が、カメラのストラップにくくり付けられていた。 「わざわざ宮城から?」 女性はぱっと顔を輝かせた。 「はい。社会部の神永(かみなが)優里(ゆうり)といいます」 名刺を差し出され、颯も自分の名刺を手渡した。 優里は2つ下の階段から腕をいっぱいに伸ばした。 両の手がぶるぶる震えていた。 「『長野群峰(ぐんぽう)新聞』の写真報道部……あぁ、カメラの方なんですね!」 改めてぴょこんと頭を下げた優里は、翌日のジャンプ競技に備えて撮影の練習に来たと話した。 尋ねられるより先に、わざと両手をひらひらと振って見せる。 「震え以外の症状はない、原因不明の病気なんです」 本態性振戦(ほんたいせいしんせん)。初めて聞く病名だった。 「それで撮れるのか?」 言ってからしまったと思った。 「その震えで『置きピン』は難しいだろう」 置きピン――マニュアルフォーカスを設定し、被写体が近づく前にあらかじめピントを合わせておく技術。 優里は明るい表情を崩さなかった。 「実はまだ分かりません。発症したのはつい数か月前で」 その声には潔さと諦めが共存していた。 「これも何かのご縁! 間宮(まみや)選手を撮るのに失敗したら、瀬崎さんから写真提供してもらっちゃおうかな……なんて」 「間宮――」 颯はよく知る名前に口をつぐんだ。 宮城県勢のエース、間宮(まみや)開斗(かいと)。 ワールドカップや世界選手権で日本の団体優勝に貢献していた。 オリンピックに2度出場した実績を持つ、国内屈指のジャンパー。 しばらく悩んで、小さくため息をつく。 「……そしたら、交換条件」 ひょうと寒風が鳴った。蹴散らされた雪が舞い上がった。 「もしきみが俺の分も取材(インタビュー)してくれると言うなら、代わりに俺が写真を撮ろう」
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