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4.ペン記者
「おい、入るよ」
颯は紙皿とレジ袋を持って隣室のドアを開けた。
「『デキない記者は飯も食えない』って言葉、知ってるか?」
上司の宴会から頂戴したオードブルの唐揚げ。サンドイッチ。お茶のペットボトル。
それからコンビニでもらった使い捨てのフォークと、ストロー。
「飯はちゃんと食えよ。これならいけるか?」
優里が驚いて固まっている隙に、颯はかがんで机のパソコンを覗き込んだ。
「30行もないんだから、雑観くらいパパッと終わらせようぜ」
誤字や表現上のミスを次々と指摘する。
「ここも違う。『精一杯』は『精いっぱい』、『松葉杖』は『松葉づえ』。記者ハンは持ってきてるか? 確認してみな」
「どうして、そんなに表記ルールが頭に入ってるんですか」
優里は記者ハンドブックをめくってから、颯をじっと見た。
漢字、送りがな、記号の使い方――新聞記事の様々なルールが辞書のように細かく掲載されたハンドブックは、記者のバイブルだった。
「瀬崎さん……もしかして元々はカメラじゃなくて、ペン記者だったんですか」
ペン記者。
社会部や政治経済部などの、記事執筆を中心に活動する記者。
優里の質問を、颯ははぐらかした。
「別に。きみより少し経験があるだけ。今だってまともな記事を書けないよ」
「……そっか。だから」
優里の目がみるみる潤んでいった。鼻の上が赤く染まった。
「瀬崎さんは両方やってきたから、私が記者としてやっていけないって分かってるんですね? だから言い返さなかったんですよね? 私の上司に」
「……聞こえていたのか」
颯は優里の真っすぐな瞳に耐えられなかった。
「ごめん。だって、その手じゃ、無理なんだよ」
優しい人間には、なれなかった。
「きみが撮りたいのって何だよ? 読者に見せたいのって何だよ? 現場で誰かに助けてもらうのを待つつもりか?」
優里の瞳が揺れた。視線が床を向く。
「……追いかけたいんです」
父がカメラマンでした、と優里は静かに語った。
「もう、この世にはいませんが」
残酷な現実も、微かな希望も、文章で伝えるには限界があった。
色のある写真に込めたい思いがあった。
「夢とか希望とか、仕事に持ち込まない方がいい」
胸の奥がぎゅっとした。
「撮影はできないと認めた方が、自分のためだよ」
震戦のせいで叶わない夢。
現実を突き付けるしかできない颯は、おそろしく冷たい人間になってしまいたかった。
いっそ心を捨ててしまえば、意地悪な人間になってしまえば。
どんなに相手を傷付けても、救いを求めずにいられるのだろうか。
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