1人が本棚に入れています
本棚に追加
そんな場所に上り詰めた男は、この世界のことが大嫌いだった。
妹を助けなかった世界。
男が変えようと足掻いた世界。
上り詰めた崖の上にいたのは魔女だった。
「やはり、来てしまいました」
男の言葉に魔女は少し悲しそうな瞳を落とし、男を引っ張り上げた。
昔、会ったことがある。
魔女にとってはほんの少し前。
男にとっては、ずいぶん昔。
「お久しぶりです」
「あなたはわたしを魔女として扱わなかった数少ない人間。魔女狩りを止めさせるように働いた人間」
真っ直ぐに注がれるその瞳は、光の中にある若い葉の色をしている。そして、長い茶色の髪が、瞳に陰を作った。変わらない姿の魔女と、年老いた男が寂しく笑う。
「あなたの大切な世界を変えて欲しいとは望みません」
ただ、夢を見たいのです。
「代償は、あなたの記憶よ」
「えぇ。忘れることになるのでしょうね」
男の生きてきた過去は、全てが不幸だったわけではない。
この魔女に会えたことも、男にとってはとても大切な記憶。
出会った者たち全てが男にとって不幸をもたらすものでもなく、楽しい記憶すら作ってくれるもの。
同僚がいて、上司がいて、友人と呼べるものもいる。彼らの家族とともに喜怒哀楽を共にした。
笑顔に溢れる日々すらあった。
大嫌いな世界でも、かけがえのない記憶だと、そんな大切な時を過ごしたのだと思っていた。
生きた道に後悔もなかった。
だけど、どうしても。
「夢を見たくなりました」
最初のコメントを投稿しよう!