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「わざわざ来てもらって、悪かったわね」
三浦が、県警の建物から出てきて、伊庭の姿を見るなりそう言った。
「こっちこそ、事件を抱えているお前を煩わせて、すまないと思ってる」
三浦が、一枚の写真を差し出した。それを受け取って、眺める。
「この写真、どうした?」
「2ヶ月ほど前に、隣県の病院に担ぎ込まれた男がいた。末期の癌で、もう助けられない状況だった。3週間後、亡くなったその男の持っていたものよ。『山本寿』と名乗っていたが、偽名だった。身元が分かりそうな手掛かりとして、うちの県警に問い合わせがあった。そこの出身じゃないかと」
写真は、建物を背に7人の子供達と中年の男性が写っていた。伊庭は、自分のスマホを取り出して操作した後、三浦に差し出した。
「…同じね」
「ああ、『陽だまりの家』だ」
「その時、連絡を受けたこちらの担当が、調べて判明したことを連絡した。たったそれだけのことだから、誰も気に留めなかったのよ」
「土曜日に、奴の顔を知ってる男を連れて、その病院に行ってみる。この写真を持っていたというだけじゃ、桐生本人かどうか分からないから」
三浦の表情が陰る。
「もし、桐生だったとしたら、振り出しに戻るわね。怪しいと思われる人物が、いなくなる」
「ああ…。全く違う観点から、推理を組み立て直すしかない」
三浦が、伊庭を見つめながら、フッと口角を上げる。
「まだ、刑事の仕事に未練があるみたいね」
「いや、そうじゃない。自由に動ける今の方が、ずっと楽だ。…それに、俺には警察官でいる資格はないよ。誰かに殺意を抱いている者が、法を守る事はできない」
伊庭の暗い瞳が、三浦を見つめ返す。底知れない闇を内包した眼差しだ。
二人の間に、沈黙が落ちる。
やがて、視線を逸らしながら、三浦が口を開く。
「真実が分かったら、記事に纏めるんでしょ」
「そうだ。もう掲載される誌も決まってる」
「その後は、東京に戻るの?」
その問いに、しばらく躊躇った後、
「いや…」
と、答えた。
「じゃあ、天海さんとこのまま一緒にいるの?」
「…そうじゃない」
伊庭は、目線を上げて、空を仰ぐ。3月の花曇りの空が広がっている。
「南米に行く。出版社と既に契約済みだ」
「帰って来るの?」
「さあな…」
それ以上、会話を続けることはなかった。
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