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「…戻ろう」
車に乗り込み、帰路を急ぐ。
しばらくは、どちらも言葉を発しなかった。
やがて、樹が沈黙に耐えられず、口を開いた。
「伊庭さん…。桐生颯斗は、何を送ったんだろう?」
「おそらく、金だろう。山形の男から300万を受け取っている。自分の死期を悟って、願いと共に金を託した、と考えるのが妥当だろう」
「どうするの?」
伊庭は、正面を向いたまま、
「とにかく、会ってこよう。正直に話してくれるかどうかは、分からないけど」
と、言った。
「…紫乃は大丈夫かな?」
「今すぐ、どうこうと言うことはないだろう…。でも…そうだな」
何か、胸に靄るものが引っかかっている。それが、本当に大丈夫なのか?と伊庭の頭に警鐘を響かせる。
「念の為、三浦に連絡を取っておくか…」
紫乃は千隼に、先日警察が押収して行った、手紙の写真をスマホの画面で示して、説明していた。
「それでね、コラムで相手に呼び掛けるの。『あなたへの返事を埋めましたよ、あの場所に』って。そうすれば『街の灯り 県南版』が出た日に、あそこを見張ってれば、相手が来るはずでしょ」
千隼は聞きながら、不安を隠せなかった。
「そんな事して、危険はないの?」
「だから、千隼に頼んでるんじゃない」
「あの人は?この事を伝えないの?」
「言えば、絶対反対される。これは、私がやるしかないの。お願い、協力して!」
千隼は、難しい顔をしたままだ。
「発売日は、いつ?」
「3月31日」
「俺、そんなに暇じゃないよ」
「だって、春休みじゃない」
そこまで、畳み掛けられたら、もう反論できない。気が進まないが、他に相談されるのも嫌な気がする。特に、あの若いイケメンが気に入らなかった。
「…分かった。で、どうすればいい?」
「バイト終わりの30分前に迎えに来て。今日、あの場所に行くわ。もう準備はできているの」
伊庭の運転する車は、県を横断する高速道路の下り口まで来た。途中、事故の渋滞に巻き込まれて、随分時を費やしてしまった。
見慣れた風景が、現れる。しかし、市の中心街でなく、山側とは反対の住宅地に向かう。
おそらく数年前までは、田園風景が広がっていたのだろうと思われる平らな土地だ。そこに、新しい家々が軒を並べている。街路樹が植えられ、公園が整備されている。住宅街の中を、教えてもらった住所へと走る。
同じようで微妙に違う外観の家を、幾つも通り過ぎて、目指す家の前に車を停める。
伊庭に続いて、樹も車から降りる。
「ここだな…」
インターフォンを鳴らす。
「はーい」
と、女性の声が応ずる。
「こんにちは。伊庭です。お休みの日にすみません」
「あら、こんにちは」
玄関ドアが開けられる。
「御堂早苗さん。…旧姓、高塚早苗さん。ですね」
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