第15話 決着

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「どうぞ。お入りください。今、主人と子供達は出かけてるから」  彼女は、二人をリビングに案内した。気持ち良い空間が広がっている。ここで、堅実な家庭生活が営まれていることが、一目で分かる。  ソファに座るように、促される。  キッチンでお茶を入れながら、伊庭たちに話し掛ける。 「よく分かったわね。…さすが、もと県警の刑事さんね」  リビングテーブルの上に、紅茶のカップが置かれる。 「どうぞ。こちらが、噂の日下部樹くんね。会うのは初めてね。『街の灯り』編集部で経理を担当している、御堂早苗です。伊庭さんとは、もう何度もあってるわね」 「あなたが、高塚沙也加の母親だということを、大垣さんは知ってるんですか?」  伊庭が、問い掛ける。 「いいえ。15年も前の事件ですもの。大垣さんもマスターもUターン組だから。事件後にここに戻ってきたのよ。わざわざ自分から、話すことでもないわ」  事件の鍵を握る人物が、こんなにも近くにいたなんて…。戸惑いが先に立って、何から聞けばいいのか、伊庭の頭を混乱させる。 「桐生颯斗と、連絡を取り合ってたんですか?」 「たまに、忘れた頃、ポツリと便りをよこす程度よ。颯斗くんは、沙也加のことを妹のように思ってくれていた。一時期、同じ団地に住んでいたしね。あの事件が起こった時、あんな形で娘を失くして悲しくておかしくなりそうだった。颯斗くんは、ずっと側で慰めてくれてた。彼も絶望していたのにね。優しい子だった」 「その後は?」 「団地が取り壊されて、仕方なくアパートに移った。彼は彼の祖父母が相次いで亡くなって、また施設に戻った。中学卒業して、大阪に行った後も、たまに連絡をくれた。そのうち、私が再々婚して、ここに引っ越した後も。私、3回結婚してるの」  紅茶を一口飲んで、しばらく黙っていたが、また話し出した。 「沙也加の父親とは、19で沙也加を産んだ後、すぐに離婚した。お互いに子供だったのよ。沙也加を連れて、実家に戻った。その後、しばらくして、2度目の結婚をした。…でも、これが大きな間違いだった。そいつが、まだ7歳だった沙也加に目を付けた。だから、児童養護施設に預けるしかなかったの。粘着質な男で、きちんと別れるまでに、5年もかかった。やっと、親子二人の生活が始められると思ったのに…」  声が、掠れる。そのまま沈黙が続く。 「犯人のことは、許せない。死んだと聞いても、憎しみは残る。この思いは、死ぬまで消えない…」  同じ思いを抱えた者同士が、今、向かい合っている。 「紫乃ちゃんを見た時は、心底驚いた。沙也加が戻って来たのかと思ったほどだった。この子だけは、不幸な目に遭わせてはいけない。絶対に守らなくちゃと思った。紫乃ちゃんがあのコラムを書いたのは、偶然だったけど、何か不思議な縁を感じたわ。『陽だまり園』の子供達が、あんな事をしているなんて知らなかったから。沙也加を供養してくれてるのかなと思った」  今まで、黙って聞いていた樹が話し出した。 「あれを言い出したのは、あの中で最年長の桐生颯斗だった。施設を出て、大阪に向かう時に、俺たちと約束した」  樹が感情に声を揺らす。珍しい事だ、と伊庭は思った。 「アイツは、肉体労働なんて、向いていないのに、無理を重ねたんだ、きっと。…自分の体が保たないことに気付いて、約束が守れなくなる事を恐れて、自分の戸籍と使命を人に託した。そして、一人で死んだんだ。別人として」  ポツンと、一粒だけ、樹の手の甲に涙が落ちる。  伊庭は、気付かない振りをすることにした。
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