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カッコウの子供
まず、私には一人娘がいた。
妻には先立たれた私は、何よりも娘を大切にすると心に決めていた。
そんな大事な娘を奪われた父親の気持ちなんて、誰が分かってくれるだろう?誰にも分かってもらえなくて結構。こんな思いをするのは、この世界に私一人だけで十分だ。
不幸な事故や災害、そんな理由があって、どうしようもなかったと自分に言い聞かせることができたなら、まだほんの少しでもこの心は救われただろうか。しかし、現実はそうではない。私の娘は、とある男に殺されたのだ。
なぜ私の娘を殺したのか。頭に血の上っていた私は聞いてやる余裕も無かった。見つけ出し、必ず殺してやろう、地獄へ落とし報いを受けさせてやろうとだけ考えていた。娘の仇を討った後は、娘のいないこの世に未練も無いだろうと思っていた。
だが、娘を殺した殺人鬼の家には娘がいた。私の娘ではない、娘を殺した男の子どもだ。この男にも娘がいたのかと、腸が煮えくりかえる思いがする。部屋の奥で隠れもせず、ただ私をじっと見つめていた。生気のないその目は私を恨んでいただろうか。私の娘が生きていれば、その子は娘と同い年だ。この子も、同じように手にかけよう、という気にはなれなかった。
その子の手を繋ぐと、抵抗もせず私についてきた。私は彼女を連れて帰り、自分の子どもとして育てることにした。男に情けをかけたわけではない、ただ、子どもに罪はないからだ。殺人鬼の娘よりはいいだろう、と考えたが、私も殺人鬼だった。なら、死んだ殺人鬼より生きた殺人鬼の方がまだ、父親としての働きはできるだろう。
一人暮らしにはもはや大きすぎる家で、明かりの下で彼女を見れば、その服は大変みすぼらしかった。あの男は娘にすら苦労をかけていたようだ。私は彼女を風呂に入れ、娘のものだった服を着せてやった。少しばかり大きいようだったが、成長すればちょうどよくもなるだろう。娘は悲しそうに一度顔を伏せてから、すぐに顔を上げて「ありがとう」とか細い声で礼を告げた。
私は、娘に買い与えたものを新しい娘に譲ってやった。娘の残した服、鞄、帽子に靴。勉強道具にぬいぐるみ。娘は律義にも、一つ一つの施しにお礼を言っていった。娘の部屋で、娘のベッドに座らせ、ついに一度も背負われる事のなかったランドセルを見せてやる。これを彼女に背負わせるのは少し躊躇われる気もしたが、彼女に、私の娘になるかどうかを問うてから考えることにした。
「私は、お前の父親を殺してしまった。見ていたからわかっているだろう」
娘は、こくんと頷く。
「お前の父親は大罪を犯した。それは私にとって、到底許せるはずもないことだ。手にかけたことだって、今も悔いてはいない。だが、娘であるお前に罪はない。私の娘がそうであったように。どうだろう、私の娘として、生きる気はないか?」
娘は少しだけ目を見開いて、私を見上げた。
私の目を見ながら、焦点は会わずその目は虚空を見つめている。
「私の娘になるのなら、私はお前を幸せに育て上げると約束しよう。あの男よりも裕福で、暖かな暮らしを約束する。将来もだ。このランドセルも、娘にプレゼントする予定だったが、君が新たに私の娘になると言うなら、譲ってもいい」
娘は二度瞬きをして、それから俯いてランドセルを見つめた。
長く長く考えて、娘は「わかりました」と言い、ランドセルを受け取った。私に、新たな娘が生まれた瞬間だった。
娘は私の娘になっても、変わらず礼儀正しい子だった。食事を与えれば毎回「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、新しく何かを買い与えようとすれば「結構です」と遠慮しながらまた頭を垂れるのだ。元父親の教えがそうだったのかはわからないが、過剰だと思えるほどだ。
きっと、あの男は娘を大層厳しく育てていたのだろう。着るもの一つ、良いものを与えなかったくせに躾だなんて図々しい。私が代わりに、この子を大切に育ててやろう。大事に育てて、お前が奪った私の幸せは、お前が手に入れるはずだった幸福で補ってやる。その一心で私は、娘に人生を捧げるようになった。
娘は成長しても礼儀正しく、私が躾などをする手間などまるでなかった。こんなにも良い子を、本当にあの気狂いの殺人鬼が育てたのだろうか?ひょっとして、私のかつての娘のようにどこかから攫ってきて、娘と同じ末路を歩ませる気だったのではないだろうか。そう思えるほど娘は気高く、美しく育った。私の期待通り、裕福な暮らしは彼女の頬をふっくらと色づかせ、彼女の将来とその幸福を約束した。私は鼻が高かった。
娘のために稼いでいた富は湯水のように使った。金を使った分だけ彼女はずっと立派に育った。教育に金を使えば学業でその賢さを評価され、美容に使えば誰もが振り向く美女に育ち、ただ与えるだけでも娘はなんにでも才能を露わにした。
大学で偉大な成績を残し、仕事でもその力量を発揮し、その成果を世間一般も認めるようになった頃。娘のおかげで私は「素晴らしい娘を育てた素晴らしい父親」として評価されるようにもなっていった。テレビの取材を受ける度に、私はこう答えていた。
「娘は私の理想です。私の期待したとおりに育ってくれました。彼女の才能を育てるだけの財を持っていたことを、誇りに思います」
そんな娘が、とある大きな番組に出ることになったから見てほしい、と照れくさそうに教えてくれた。全国放送の人気番組で、娘の特集が組まれるそうだ。生放送で出演すると言うので、私は娘を抱き締め、必ずリアルタイムで見ると約束した。そこで私は、素晴らしい娘となった彼女の真実を知ることとなる。
「私がここまで努力してこられたのは、ある目的があったからです。寝る間も惜しんで勉強をし、何一つ妥協せずここまで来られたのは、偏にその目的のためだけ……それは、復讐です」
「私の本当の父親は、今、私の父を名乗る男に殺されました」
娘はカメラに向かって、殺意のこもった目を見せた。それは間違いなく私を見ていた。今まで娘と接してきて見てきた、どの目よりもしっかり私を見据えながら語ったのは、私が殺した彼女の父親の話だった。
彼女の本当の父である男は、私の失った妻を愛していた。器量のよい妻だったが、同時にずる賢さもあった。私と男と同時に付き合い、天秤にかけ、最後には私を選んだ。ただ選んだだけでなく、あの男を上手く騙して金をも巻き上げていった。
騙されたと気づかず妻と結婚できると思い込んでいた男は一変、どん底の生活まで落ちぶれた。そんな男を支えた別の女が娘を生み、母となったそうだが、その貧相な暮らしのために病に倒れ、ついには事切れてしまったそうだ。
どうしてそこまで耐え続ける必要があった、人でも政府でも頼ればよかっただろうに、と私は画面を睨みながら思ったが、ふとある記憶が私の脳裏によみがえった。男は、私の家に一度だけ来たことがあったのだ。妻のために金が必要だと、騙され奪われた金を少しでいいから返してほしいと。
当時私は妻の行いを知らず、妻がそいつよりも私を選んだことを鼻にかけていた。昔の女にすがりつく哀れな男だと一蹴し、追い払おうとした。働け、真っ当に働いていれば金くらいあるだろうと。てっきり物乞いの類いだと思い私は話を聞かなかったが、男は足を悪くしており、仕事をも失くしていたのだという。
その後に私は妻の行いを知ったが、彼女が巻き上げた金すらせせら笑って、妻と一緒に使い切ってしまった。旅行で豪遊し、そのときに娘を授かった。男に金がないことを知りながら見下し、私は結果として彼の妻を見殺したのだ。
画面の中の娘は、私を睨みながら全てを包み隠さず話した。
そうして、最後にこう締めくくった。
「私はあなたの理想の娘になったでしょう。あなたの持つお金を浴びるほど使って、傲慢なあなたが自慢したくなるような、期待通りの素晴らしい娘に。なぜだかわかる?」
私は歪な笑みを浮かべる娘を見つめ、次の言葉を待った。
「私はあなたから、あなたの本当の娘の面影を奪おうと思ったの。父の復讐のために。父はあなたから大切なものを奪って復讐を遂げたわよね。そしてあなたは父の命を奪って復讐を成した。私は二人の父から“復讐”を学んだの」
「もう何も思い出せないでしょう。あなたが娘さんに買ったものも、私の父から奪ったお金で買ったものも全て、あなたは私に寄越してしまった。そのお礼に私は、私の功績であなたの家を埋め尽くした。あなたの娘の部屋はもう、「娘の部屋」ではなく私の部屋にしてしまったし、あなたが今テレビを見ているリビングも、私が受けたトロフィーや賞状まみれ。奥さんや娘さんの写真すら、飾る隙間もないほどにね」
「あなたはもう、本当の家族の墓参りに行く権利すらないのよ。私という娘に、人生の全てを捧げてしまったのだから。薄っぺらい幸せを与えてくれてどうもありがとう。このご恩は、もう十分返したわよね」
私は黙ったまま、画面を見つめることしかできなかった。
頬杖をついた手が震え、冷や汗が背筋を伝う。私は、私の実の娘がこうであれば幸せだったろうにと、いつから思わなくなっていた?
顔を上げ、辺りを見回しても娘の言うとおり、賞状やトロフィーで溢れかえっていた。もう、かつての娘の顔や名前を示すものなど、何も置かれていない。ずっと飾っていた家族写真が、棚の上から消えていたことに、私はどうして気づけなかったのだろう?
階段を駆け上がり、娘の部屋の扉を勢いよく開く。そこには時間を忘れたような、空っぽの部屋が残されていた。娘の持ち物だった物は全て「娘」の物にすり替わり、そしてなくなっていた。引っ越しのために運び出したか捨ててしまったか、目の前にはぽっかりとした空間だけしかない。彼女は、この家を出て行ってしまったのだと気づく。私はようやく、これが彼女の長い長い復讐だったのだと思い知った。
部屋の前で膝から崩れ落ち、私はいよいよ家族を全て失ったのだと気づく。這って部屋に上がり込んでも、もう家族の痕跡は何もない。
私はいつから、娘を失っていたのだろう?
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