なみだ

1/1
前へ
/41ページ
次へ

なみだ

春日部市の郊外のマンションに里美と航は暮らしている。 そこから車で10分とは掛からない場所に里美の実家がある。 ひとり娘の里美は、これまでに散々、両親を困らせて来たが、 今では長沼の会社へ就職して、航を育てている。 両親にしてみれば、 高校在学中に航を授かり、だらしのない旦那と結婚そして離婚。 若くしてハンディを背負った娘が、これほどまでに立ち直ってくれた。 ありがたい事である。 「お母さん、航をちょっとお願い出来るかな?」 土曜日の昼に里美は実家を訪れた。 「構わないけど、三上さんていう方とお付き合い?」 里美は、両親に三上の事を話していた。 これから、三上と久しぶりに会う。 「航、おばあちゃんと一緒に今夜は寝ようね。」 「嫌だなお母さん。そんなに遅くはならないわ。」 「お酒臭いママは嫌いだよね航。」 そう言うと、航の手をひいて家の中へと入って行った。 兼子は、三上へ別れた夫である祐二の事を話すつもりでいた。 スーパーでの待ち伏せは、あれからも度々あった。 さすがに家までは、今のところないが、祐二と面と向かって話す気持ちにはなれない。 三上さんは、何と言うだろうか。 兼子は、ちょっぴり不安もあるが、三上の言葉に期待もしている。 新都心駅に兼子は午後4時半に着いた。 約束の時間まで30分もある。映画館の前が待ち合わせ場所。 兼子は、ゆっくりと映画館の方へ歩き出した。 師走の街は、例年通り慌ただしい。 後、10日もすればクリスマス。 兼子は、三上と迎えるクリスマスを楽しみにしている。 プレゼントは何が良いかな?私へのプレゼントは何かな? でも、あの人センスないからな。そう思うと可笑しくなる。 体裁にこだわらない。 一途で正直な三上の性格は、自分への愛情と合致する。 祐二とは全く違う。やはり持って生まれた性。 でも、本当に祐二がやり直したいと言う気持ちがあるならば、どうしてもっと自分の気持ちをぶつけてくれないのか? きっと、私が誘いに乗るのを待っているつもり。 あれこれ考えながら映画館までの路を歩いた。 辺りはすでに薄暗く、街灯が次第に点されて行く。 今夜、三上と観る映画はラブコメディ。ハリウッドの大物女優ふたりが共演する。 建物はひとつであるが、上映される映画により入口は異なる。 映画のタイトルを確認すると、三上へ到着メールをしょうと、携帯をバックから取り出した時、 「里美ちゃん、随分と早いね。」後ろから三上の声がした。 兼子は、ゆっくり振り返ると、 「あなたに早く会いたかったから。」 三上を見詰めて言った。「僕もだ里美。」 三上は、そっと兼子を引き寄せると、冷えきった手を握った。 こんな些細な、手を握られただけで愛情を感じる。 「チケットはもう買ってあるから。」 三上はそう言うとふたりは、列に並んで入館を待った。 その間、三上は兼子の手を離さない。しばらくすると入館が始まった。 少し出遅れた為に、中段の真ん中付近は逃したが、やや後ろの中央付近に座った。 そして映画が始まった。 兼子は、コートを脱いで膝掛けにすると、三上の右手を引き寄せて、膝の上に置いた。 両手で三上の手を軽く包み込んだ。その温もりは、三上の優しさを感じさせてくれる。 離れたくない!この人と・・・ずーっと一緒に居たい。 映画が終わり、外に出ると師走の街に吹く風が冷たい。 でも、三上の手の温もりは、それを打ち消してくれる。 ふたりは、スーパーアリーナの方へと歩き出した。 三上、お勧めの中華料理屋があるらしい。 少しばかり値は張るが、お茶や料理は一流で、フカヒレが有名な店である。 エレベーターを二階へ上がると、ふたりは中華料理屋へと入った。 店内は、中華料理専門店と言った雰囲気ではなく、店員も、普通の装いでメニューを運んで来た。 「アルコールは控えてお茶を楽しもう。」 三上は、そう言うとメニューに書かれている原産地や香等を確かめると、数種類のお茶を注文した。 名前すら聞くのが初めてのお茶もある。 そして、この店自慢のフカヒレスープのセットメニューを注文すると、 「冬の賞与が出たからね!今夜はご馳走するよ。」 三上はそう言うと、さっき観た映画の話しを始めた。 兼子は、祐二の話しを三上に話すタイミングを図っていた。 そして、「哲哉さん、私、私ね・・・」 珍しく言葉に詰まった兼子に三上は少し戸惑った。 「どうしたの里美ちゃん。」 三上は、兼子の名前を呼ぶ時に、ちゃんを付けたり、呼び捨てにしたりする。 ストレートな三上の性格でも、雰囲気によって変えている。 兼子は、意を決して三上へ話した。 「別れた旦那に復縁を迫られているの。」 ・・・ これは、三上へ誤解を与える言い方である。 「航君の幸せを考えれば、それは・・・」 三上も言葉に詰まったが、 「それは、幸せな事かも知れない。」 ・・・ さらに三上は言った。 「里美ちゃんの気持ちはどうなの?」 「私は 、そんな気持ちは、これっぽっちもないわ。好きな人が居るから。」 「お待たせしました。熱いのでお気を付け下さい。」 店員がお茶のセットとフカヒレスープを運んで来た。 「里美の好きな人が僕ならば、そんな話しはもう終わりだ。さぁ食べよう。」 三上は、お茶のティーバックを開けてポットへ浸した。 「私がするわ。」兼子も笑顔になっている。 「僕は、里美ちゃんが大好きだ。君を愛してる。」 そして、 「僕は、君と結婚したい!航君の父親に成れる様に頑張るさ。例えダメでも男同士。友達には必ず成れる。」 さらに、 「子供の幸せは親次第だと思う。金銭的にも精神的にもね。僕は、両親の離婚を経験している。だからねだから、絶対に君を不幸にはさせたくない!もちろん航君にも。」 三上は、兼子にプロポーズした。兼子は、瞳を潤ませて三上を見詰めた。 将来設計のない出産。結婚そして離婚。 確かに祐二も、四年前に比べたら大人になっているのかもしれないが、もう祐二を愛する事は出来ない。 それは、三上の存在で揺るぎのない確かな気持ちとなっている。 「里美ちゃん、僕が話そうか。君の前の旦那さんに、僕達は結婚するって事を。」 兼子は、ついに堪えきれなくなった涙を流して、 「三上さん、ありがとう。」 そう言うと、 「うちの課長へ感謝だね。うちの課長が岸本さんと知り合ってなければ私は、あなたに会えなかった。」 三上は軽く頷くと、 「そんな奇跡に、お茶で乾杯しょう。」 そして、翌週の日曜日の午後、 いつもの通り兼子は、航と一緒にスーパーへ買い出しに出掛けた。 勿論、三上も同行するが、別行動である。 兼子里美の元旦那。小宮山祐二。 さいたま市に住んでいる。 今風のイケメンで遊び人。しかし、悪ではない。 典型的な親のすねかじりで、兼子と別れた後も女性をきらしたことはない。 そんな祐二も、いつまでも仕事を持たずに遊んでいるわけにもいかず、 父親の知り合いが経営する自動車販売の営業を、今年の3月から始めている。 さすがに世間を知ったのだろう。 女性を口説く時と違って、車は簡単には売れない。 信頼、協調、誠実・・・ バランスのとれた営業マンを目指していた。 兼子や息子の航の事も忘れ掛けていたが、最近、高校時代の悪友から兼子の事を知らされた。 息子と買い物してるところを見掛けたけど、益々美人になってる。 祐二にとっては、兼子の容姿も気になったが、息子の成長が見たくなった。 親としては、至極当たり前の事である。 そしてスーパーでの待ち伏せが始まった。 航が無事に成長している事にホットしたが、兼子の容姿は、それ以上に興味を持った。 昔の様に、自分の女にするのは容易いと感じてしまう。 自惚れは直らない性であるが、祐二には自信があった。 しかし、兼子の方のが、ずっと彼より成長していた事を祐二は知る由もなかった。 この日も何気なく兼子へ近づくと、 「里美、考えてくれたか?航だって。」 そう言い掛けた時、 「小宮山さんですね、ちょっとお話しが。」 三上であった。祐二は慌てて、 「誰だお前は!」 そう言うと里美の顔を見た。 「その人の話しを聞いて、その通りですから。」 兼子は祐二へそう言うと、航を連れてその場を離れた。 三上は、小宮山を屋上の駐車場へ連れて行くと、 「小宮山さん、僕と兼子さんは婚約しました。ですから、もう彼女へは近づかないで欲しい。」 三上は、小宮山から視線を外さない。 「俺は、航に会いたくて来たんだ!」祐二は、三上を直視出来ない。 「小宮山さんは、航君の実の父親です。でも、これからは僕が父親になります。兼子さんをどうか苦しめないで欲しい!」 祐二は、何も言えない。 「兼子さんの気持ちをどうか分かって欲しい。」 三上は、そう言うと厳しい表情を和らげた。しばらく沈黙が続いたが、 祐二は、下を向いて肩を震わせて、すすり泣きを始めた。 「どうしてだろう・・,何でこんないい加減な考えしか俺は頭に浮かばないのか!」 さらに、 「素直になれないんだ!いつもそうだ!」 この男は、少しばかり目が覚めたらしい。 何のために、誰のために流している涙なのか。 きっと目の前に居る三上と自分のハートの重さを天秤に掛けると、はるかに自分のハートが軽い事に気付いたのだろう。 「航の事、宜しくお願いします。あなたなら安心して託せそうな気がします。」 そう言うと祐二は、帰ろうとした。 「良いのですね!小宮山さん。」 三上の言葉に祐二は頷くと、深々と頭を下げて立ち去った。 なみだ・・・それは心の汗である。たっぷりとかく事で人は成長する。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

61人が本棚に入れています
本棚に追加