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絆
新しい年が始まった。
真田は、正月休みを埼玉の実家で過ごすと、松本へ帰るその日に直美達と会った。
いつもの新都心の中華料理屋である。
真田が店へ入ると、直美、木下、兼子が待っていた。
「愛ちゃん!痩せたんじゃない!」真っ先に兼子が真田へ抱きついた。
「先輩、相変わらず女磨いてますね。」そう言うと直美へ向かって、
「課長、お久しぶりです。」
そして木下へ微笑み深々と頭を下げた。
「真田さん。松本での活躍は支社長から聞いているわ。それに水沢先生との事もね。」
直美は、真田の活躍が凄く嬉しかった。
もし上手く行かなかったらと思うと全ての責任は、自分にあると思っていたからである。
それに、本当の妹の様に可愛い存在でもある。
「課長。松本へ帰りましたら早速、安曇野の美術品をお送りします。楽しみにしていて下さい。」
真田には自信があった。
それは、俊太郎も認めた作品だからである。
「真田さんのサンタクロース!楽しみだわ。」
「どうしてそれを?」
真田は不思議に思ったが直ぐに察した。
「あっ、岸本さんですね。」
「水沢先生が携帯を持ったでしよ。情報は早いわ。」
「真田!陽はまだ沈まないけどビールで乾杯しょう!」
兼子の音頭で、直美達は真田との再会を楽しんだ。
そして、いよいよ直美達の企画による新しい仕事への挑戦が始まった。
直美達の企画課はすこぶる忙しくなった。
全体会議で直美は、美術品の提供サービスに関する内容を、営業部の全員へ説明した。
「私達の仕事はあくまでも清掃作業です。絶対に本来の業務を忘れてはいけません。しかし、掃除ロボットに次ぐサービスとして美術品の提供を行いたいと思います。松本支社へ出向した真田さんの協力で、安曇野の芸術家達の作品を提供したいと考えています。」
直美のこの発言で、木下と兼子は絵画を立てたり、ガラス細工を机の上に置いた。
営業部員達から歓声が湧き上がった。
「原田課長、いけそうだね。」社長の長沼が言った。
「これらの作品を全て持ち運んでの営業は無理ですので、ここにパンフレットを用意しました。でも、出来る限り本物を見せたいと思います。」
直美がそう言った後に、木下と兼子がパンフレットを配り始めた。
こうしてライバル会社SKS社と争う事になるビルやオフィス、工場、事業所への参入が開始された。
会議が終わると長沼は、社長室へ直美を呼んで、
「直美君。新人を採用しょう!既に募集をかけてある。」
そう言うと、十数名の履歴書を直美へ渡した。
「採用はひとり!慎重に頼むよ。」
直美は、ソファーへ座ると履歴書を見ながら、次々と分けて行く。
そして、一枚の履歴書を見た瞬間に手が止まった。
「彼女、SKS社の社員ではないのかしら。」
美容院で、直美を強引に誘って営業部長に合わせた女性。
直美は、履歴書の経歴を見た。
そこには仕事歴はなかったが、驚いた事に直美と同じ短期大学を卒業している。
住まいは、川越から20Km西に位置する入間郡越生町。
家族構成は両親と姉の四人暮らし。
そして趣味にはスキーとテニス。
スキーは一級の資格。テニスは高校時代にシングルスで関東大会へ出場とあった。
小平啓子 21歳。
面白いかも。
あの時にライバル会社の営業部長と一緒に居た事は気になるが、
「社長、この女性と面接させて下さい。」
そう言うと、小平の履歴書を長沼へ渡した。
「この娘で良いんだね。直美君も一緒に面接してくれよ。」
そう言うと、秘書へ履歴書を渡して、面接日を決める様に指示すると、
「真田君は松本で大活躍だね。影山君も仕事よりは、安曇野の芸術家達の実力を世間に認めさせる事に懸命の様だ。」
長沼は、そう言うとパンフレットを開いて、
「岸本さんの叔父。水沢俊太郎はただ者ではないね。先日、松本の影山君から、彼の作品のひとつ、ガラスのオーケストラを写真で見たが素晴らしいの一言に尽きる。」
長沼は、上機嫌である。
「社長、小平さんとの連絡がとれました。いつでも大丈夫だそうです。」
秘書が受話器を押さえながら言った。
「明日で良いかな直美君?直美は、軽く頷いた。
「それでは、明日の朝10時に約束してくれ。」
そして翌日。
出社すると、長沼が企画課へ顔を出した。
「直美君、急に仕事が入ってしまった。今日の面接は直美君に任せる。履歴書を見たが、直美君の後輩。それにスキーの腕前は一級。だかそれだけで直美君が選んだとは思えないがね。」
長沼はそう言うと、秘書を伴って外出した。
午前10時。
直美は、総務課長である大久保と一緒に面接会場である応接室へと入った。
小平は立ち上がると、2人へ一礼した。
大久保が応募のお礼と、採用された場合の待遇と、不採用の場合の処置を話す。
そして、ひと通りの質疑応答を始めた。
直美は自分の部下になる人物を観察する。
そして、わずかな時間でその人物の人間性を把握する。
「小平さん、あなたとは一度お会いしてますね。」
直美の質問に大久保は、いささかびっくりした表情になった。
「はい、あの時は申し訳ありませんでした。」
小平は、立ち上がると深々と頭を下げた。
「あなたは、SKS社の方ではなかったのですね。」
この質問に大久保は、さらにびっくりした表情で直美を見た。
「あの時は、わけがわからないままでした。本当に申し訳ありませんでした。」
小平は、立ち上がると再び頭を下げた。
「小平さん、どうぞお掛けになって。」
小平は、申し訳なさそうに椅子に腰掛けた。
そして、
「ライバル会社が欲しがる存在である原田さんと御一緒に仕事が出来たらこの上ない幸せです。」
「小平さんは、もしかしてSKS社の回し者かしら?」
直美の言葉に小平は、
「本当にそう思っているのでしたら私は多分、ここには居ないと思います。」
直美は、微笑んだ。そして言った。
「良い仕事したい?」
「はい!原田さんと御一緒させて頂ければ!そして私自身の為に良い仕事がしたいと思っています。」
さらに小平は言った。
「私は、SKS社に内定していました。そして原田さんに近づいて・・・あんなやり方は卑怯です。そんな会社、居たくは有りません。」
直美が小平に会って見たくなった理由は、あの時の物怖じしない彼女の態度に興味があったからである。
「小平さん、仕事でも何でも、私はいちばん大切なものは絆だと思います。宜しくね。あなたと仕事がしてみたいわ。」
こうして、小平啓子の採用は決まった。
小平は今後、直美の片腕となり大いに活躍する事となる。
いよいよ、工場への清掃サービスの営業が展開された。
ターゲットは、ISO14000を取得している企業である。
環境を重要視する企業は、当然の如く清潔さで企業イメージを維持しょうと考える。
横浜にある精密機器メーカーへのアプローチが成功し、直美達は横浜支社の営業マンと、その工場を訪れた。
直美に同行したのは木下、そして新人の小平である。
支社で営業マンと事前に打ち合わせはしたが、初めてのコンビである。
それが少々不安でもあった。
横浜支社の営業マンは、桜井と言う40半ばの男で、ポストは部長代理。
人の良さそうな男ではあるが、実力は分からない。
工場へ着いた直美達は、応接室に案内されて総務部長を待った。
さすがにISOを取得した企業だけあって、隅々まで清潔さが行き届いている。
ドアがノックされると直美達は一斉に立ち上がった。
「お待たせして申し訳ない。総務の宗田です。」
名刺交換の後、商談が始まった。
「掃除のプロとは頼もしいですな。どのようなシステムなんですか?」
宗田の質問に桜井は、パンフレットを渡して説明を始めた。
「お勧めプランは、週に3日の徹底掃除です。主要なロビーや応接室、会議室をメインに短時間で清掃します。私たち掃除のプロが承ります。」
宗田はパンフレットを次々に捲り、独り言の様に言った。
「掃除ロボットに美術品のレンタル・・・掃除だけじゃなくて色んな事をするんだね。」
「基本的には清掃業務が主体なのは言うまでも有りませが、美術品の無料レンタルでイメージを変えてみては如何でしょうか。ここにカタログを用意致しました。」
桜井は、そう言うと安曇野の風景画やガラス細工の写真入りのパンフレットを宗田へ渡した。
宗田は、ページを捲りながら、
「これは田園風景だね。見事な絵だ!原田さん、作者は有名な画家なのですか?」
「その絵は信州安曇野の画家の絵です。彼等は有名ではありませんが、絵が好きな学生、会社員、主婦の方もいます。」
「そうなんですか。それは面白い。」
宗田は、笑みを浮かべて楽しそうにページを捲っている。
「この絵はありますか?現物を見てみたい。」
宗田が望んだ絵は、白馬岳を背にした八方尾根スキー場と、白馬ジャンプ台の風景画である。
直美の合図で、木下と小平は予め用意していた好まれそうな絵を車まで取りに行った。
「私は若い頃、いゃ、今でもスキーは楽しみますが、まだ白馬では滑った事が有りません。長野オリンピックの滑降コース!一度は滑ってみたいものだね。」
宗田は、そう言うと再びページを捲った。
「これは凄い!ガラスのピアノに、バイオリン!演奏者付だね。」
直美は、バッグからスマホを取り出すと、車まで絵を取りに行った木下へ電話を掛けた。
「ガラスのピアノとバイオリンもお願い。」
直美は、そう言うとスマホを閉じた。
「実はね。お宅達と同じ商売をしている会社が一昨日だったかな、今、流行りの有名な日本人画家の絵を持ち込んで来たけど、どうも私には分からなくてね。確かに有名な画家なんだけど、私には分からなかった。」
SKS社である。
木下と小平が、絵とガラス細工を持って部屋へ戻った。
木下が、厚いダンボールに挟まれている絵を静かに開いて宗田へ見せた。
宗田は、ほどよい距離を探すために絵を見詰めながら体を動かすと、
「趣と言うのかな・・・素朴で美しい。」
宗田は満足そうである。
そして小平が、クッション材に守られたダンボールの箱の中から慎重にガラス細工を取り出して、
テーブルの上に並べた。
「素晴らしい!」
宗田の瞳は、ガラス細工のピアノとバイオリン、そして演奏者の輝きに釘付けである。
素直に表現された絵やガラス細工の作者の心は、そのまま宗田へ伝わった。
「桜井さん、原田さん契約しましょう!」
名もなき芸術家の描く絵、それは、有名な芸術家の描く絵には到底及ばないのかも知れないが、地元でいつも見慣れている風景を誇らしげに描かれた彼らの素直な作品は、宗田の気持ちを動かした。
こうして、直美が企画した信州安曇野の名も無き芸術家の作品は、関東圏内のビル、工場、事業所、オフィスの玄関、ロビーに飾られて行った。
ガラスのピアノとバイオリンは、真田愛の作品である。
俊太郎は、自らの技術を真田へ教えた。
ガラスの吹き方と窯の温度、湿度、良質の材料など。しかし、芸術家としての感性は教えるものではない。
真田は、俊太郎の代表作であるガラスのオーケストラをモデルに、自分なりのピアニスト、バイオリスを作った。
俊太郎と真田の感性は異なるが、求めるものは同じである。結果として、その作品を見た人が好きになってくれれば良いのであって、お金を払ってまでも自分のものにしたくなる。
俊太郎は、それを否定はしないが、自らの作品はそれをしない。いや、したくない。
長沼と直美の企画は、これまでSKS社に圧倒されていた事業所、工場、ビルのオフィスの清掃業務請負を拡大し、遂には同業他社を圧倒するまでになった。
埼玉にある精密機器の大手会社である社長は、真田愛に会うために、わざわざ松本まで足を運び、愛の作品は勿論、水沢俊太郎の作品にも触れて心を奪われてしまった事もあり、是非、ガラスのオーケストラを作って欲しいと俊太郎へ懇願した。
ガラスのオーケストラは俊太郎の代表作であり唯一無二の作品である。
とんでもない金額提示はあったが、社長の根気に負けて転売しないという約束を交わし無償で引き受けた。
これが結果的には、長沼の会社の利益となるが、そんなつまらない野心は存在しない。
自分の作品を欲しがる人へ提供する。それが、その人の心を支え、癒しや勇気を与えるならば幸せな事である。
もう直ぐ春がやって来る。
直美と修一は、入間川のサイクリングロードを愛車で駆け抜けて行く。
ふたりは、もう直ぐ恋人から夫婦へ。確かなものはお互いを信じあう心。
それは絆である。人と人とを結びつける絆!
恋愛、友情、仲間・・・絆に程度などは存在しない。その深さは、はかることが出来ない。
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