流れる

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「皆で考えましょう!」直美は、やや興奮気味に言った。 「まずは、水本いや園柴(そのしば)さんに会うことだな!」 そう言うと修一は冷めた珈琲を一気に飲み干した。 「園柴さんは、喫茶室を経営しているんですよね。それならお客さんを装って伺うというのはどうでしょう!」 木下が言い掛けたが、ひとり事の様に言い直した。 「でも、彼女が仕事中ならば迷惑を掛けることになる。それにゆっくりと事情を話せないわね。」 「どうでしょう。アルプスタイムスの守山さんにお願いして取材というのは!」 小平がそう言うと、真田が素早く反応した。 「私もそれを考えていました!」 「それが一番良いわね。真田さん、守山さんにお願い出来るかな?」 真田へ皆の視線が注がれた。 「大丈夫です!今度の調査も快く引き受けてくれましたから。」 真田は自信たっぷりである。 「ところで、どうして私を除け者にして皆さんは集まっていたの?」 直美は察しがついていたが、わざとらしく、悲しげな顔をした。 「課長もお人が悪い。思っている通りですよ。」 「木下さんありがとう期待していますからね。」 「任せて下さい。企画課の名誉にかけて頑張ります!」 木下達と別れた直美と修一は、マンションへ引き返すと、早速、ネットで水本弥生を検索した。 期待通り関連しそうな情報が掲載されていた。 ブログはしていないが、彼女の作品の画像や、経歴、そして彼女がオーナーを務める喫茶アトリエの紹介があった。 「顔写真はないかしら。」修一も、それを探していた。 「写真は掲載されていないけど、水彩画では、童話の挿し絵ばかりではなく、水彩画集出版もしている。」 直美は修一の後で腕組をしてパソコンを覗いている。 「園柴弥生で検索してみて修一さん。」 「分かった。」 園柴弥生で検索した。「本名では何もないな。」 直美は、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注いで修一へ渡すと、ゆっくりとソファへ座った。」 直美は、困惑した顔である もし、本名ならば俊太郎がネットを使いこなしていたら確実に消息が分かる! 俊太郎は、携帯電話も最近やっと持った程度で、メールすら書いて送信した事もない。 ましてやインターネットなど論外ではあるが、今の時代ならば捜索は容易である。 「直美、時代が違うよ。あの時代にはそんな概念はないし、今だってペンネームは当たり前だろ。」 「そうね、新聞記者の守山さんだから探し出せたのよね、でも園芝さんが水沢俊太郎で検索したら安曇野を訪ねれば俊太郎さんは探し出せたはずよ。」 水沢俊太郎はネットでは代表作のガラスのオーケストラは勿論、数々の作品が掲載され、ウィキペディアにも載っている。 「それは園芝さんに会って聞いてみないと分からないな。会わない幸せって事もある。」 会わない幸せ・・・ふたりはそれを否定した。想いはひとつ、水沢俊太郎と園芝弥生の再会である。 松本へ戻った真田は、早速、アルプスタイムスの守山へ連絡をしたが、出張で数日間は戻らないといった事で肩透かしをくらっていた。 その知らせを聞いた直美は、守山のスケジュールに合わせて、松本へ行く為に有給休暇の許可を得ようと長沼の部屋のドアをノックした。 直美は、有給休暇の取得目的を長沼へ話すと、 「それなら松本支社の影山君に、この資料を渡して内容を検討して来てくれないか。サポートに木下君を伴って行くと良いよ。」 直美は、長沼から渡された資料を開くと、真田愛の出向期間の検討に関する調書であった。 「直美君、真田君の希望をしっかり聞いて来てくれ。私は彼女の希望通りしてあげたい。それから、水沢先生には私、いや、我社が大いに助けて頂いた。直美君達の願いが叶う事を応援している。」 長沼はそう言うと秘書に電車と宿を手配させた。 直美にとっても木下の存在は有難いし、真田は自分の部下である。 大義名分が成り立つように計らってくれた長沼に深々と頭を下げると、翌週の月曜日に、直美と木下は松本へと向かった。 「課長、式の準備等で色々とお忙しいのではないですか?」 「そうよね、後10日後。でもね、彼がすべて手配して準備してくれているの。衣裳合わせをして当日のスケジュールを私は聞いているだけなの。それより、水沢先生の為に私が出来る事を直ぐにでもしたいの。」 直美は、そう言うと窓に目をやり、流れる景色を追いかけて想う。 それは、俊太郎から貰って自分の部屋に置いてある硝子の女像。 毎日、朝夕と眺めているが幸せそうな表情は変わらない。 俊太郎がずーっと想いを寄せていた女性、園柴弥生に会って見たい! そして、あのコラムに書かれた想いは変わることなく続いているのか・・・? あれこれと思い考えているうちに、特急あずさは松本駅へと到着した。 改札を出ると、真田が待っていた。 「課長、木下主任、お疲れ様でした。」 相変わらず、笑顔の可愛い娘である。 直美は、昼食を駅弁で済ませてある事を真田へ告げると松本支社へ向かった。 「真田さん、守山さんとの打ち合わせは午後の3時、大丈夫よね?」 「はい、大丈夫です。真田さんのスケジュールは全て僕が完璧にサポートしてますから。」 運転するのは真田のアシスタント東山。 「はい主任。先程も確認しておきましたから大丈夫です。ねぇ、博明さん。」 直美と木下は目を合わせると笑いを堪えた。 松本城を過ぎると、松本支社は直ぐである。 支社へ入った直美と木下は、支社長である影山と対面した。 「原田課長、いつもお世話になっています。木下さんもお元気そうでなによりです。」 「こちらこそいつもお世話になっています。」 お決まりの挨拶ではあるが、影山にとっては直美の存在で、これまで自分が構想していた安曇野の芸術家を世に送り出す事が出来たわけである。 影山は、心から直美へ感謝していた。 「埼玉と違って梅雨時なのに、からっとしてますね松本は。」 木下がそう言うと影山は、 「松本は日本で一番、年間降水量が少ないんですよ。勿論、降る時は降りますが、以外と雨の日は少ないんです。」 「内陸性気候?中学の社会で習ったかしら。」 直美がそう言うと、 「松本は、雪も少なくて本当に住みやすい町ですよ。私はこの街が大好きです!」 この真田の言葉に、影山との打ち合わせ事項はほぼ完了したが、会社的には正式な辞令が必要である。 「真田さん、あなたの出向の件ですけど、あなた自信がとことん納得の行くまで延期しましょう。ここに居れば、もっともっと、あなたは成長すると思うわ!」 直美がそう言うと、 「真田さん、あなたは本当に成長したわ。言葉使いも変わったしね。それに顔付きも大人に成ってるわよ。」 そう言うと木下は真田に軽くハグをした。 「課長や木下主任、それに兼子先輩、小平さん、皆さんのおかげです。」 「おいおい、大事な人を忘れていないかい真田君!」 影山がそう言うと、 「支社長!いちばん感謝しています。これからも私をここに置いて下さい。」 直美は、バッグから封筒を取り出すと影山へ渡した。 「真田君、辞令を渡します。」 影山は、椅子から立ち上がると姿勢を正して読み上げようとした。 真田は、驚いた表情で姿勢を正して影山の前に立った。 「真田愛。松本支社、営業部企画課へ継続して出向を命じる。また、企画課主任を命じる。」 影山は言い終わると、真田へ辞令を渡した。 「ありがとう御座います。」 でも、主任ってのはどうも私には・・・ 「真田さん、あなたは成長したのよ。影山さんを助けてあげて。真田さんならば十分に主任は務まるわよ。長沼社長の推薦ですからね。」 さすがに直美からそう言われると、真田は姿勢を正して辞令を受け取った。 「アルプスタイムスの守山さんが、おみえになりました。」 総務課の女性が影山に伝えた。 「応接室へ行きましょう。」 影山は、そう言うと直美達を応接室へと案内した。 直美にとって、今回の出張の最大の目的である守山と対面する事になる。 応接室へ入ると、影山が直美と木下を紹介した。 直美と木下は、守山へ名刺を差し出して挨拶をすると、 「原田さん、初めまして。いつも真田先生から色々とうかがっています。」 守山は、記者になって20年のベテラン記者で、美術、音楽といった芸術関係に明るい。 「水沢先生の事ですよね。真田先生からお話を伺って園芝弥生さんを探し出しました。彼女が水本弥生と分かった時は、私もびっくりしました。彼女は水彩画では知る人ぞ知るの存在ですから。」 守山は、やや興奮ぎみに話した。 「守山さん、園芝。いや、水本弥生さんに取材と言うことで接触出来ないでしょうか?」 直美が、単刀直入に言った。 「それは差ほど難しくはありませんが・・・」 守山は、しばらく考え込むと、 「確かに彼女が書いた20年前のコラムを読むと、お相手は水沢先生だと断言出来ますが,、今でも、その気持ちが持続しているかどうか?」 しばらく、沈黙が続いた。 「それを、先ずは確かめましょう。」直美がぽつりと言った。 気持ちの持続、流れ去る時には変わってしまう事は十分にあり得る。 いつまでも変わることなく、想い続けていられるものなのか・・・ 「影山さん、私を同行させて下さい。それに木下、真田もお願い出来ますか?」 直美がそう言うと、木下も真田も影山へ鋭い視線を浴びせた。 「勿論ですよ原田さん。私も水沢先生の力に成りたい。それに、これは凄い記事が書けますよ。」 この守山の言葉に、 「まさか守山さん、記事にして紙面に載せようなんて考えてはいないですよね。」 真田が腕組みをして守山の耳元で大きな声で言った。 「真田先生、冗談ですよ。そんな事をするわけありませんよ。」 守山が苦笑いして懸命に否定した。 その滑稽な様子に皆、大笑いすると、 「原田課長。明日にでもまた詳細な打ち合わせをしましょう。今夜は温泉でゆっくりくつろいで下さい。真田君も一緒に宿泊していいよ。部屋は用意してあるからね。」 影山は、そう言うと部屋を出て駐車場へ向かった。 「やったー!」 東山が宿まで送り届けてくれた。彼は真田に接しているうちに、芸術家として成功しても真田の飾らない素直な性格とおっとりした癒し系の笑顔に魅せられて、好意を持っていた。 宿へ着いたら、さっそく温泉。 「課長行きましょう!露天風呂へ。」木下が、そう言うと直美は、 「安曇野の修一さんのお兄さんと、お姉さんに会うから先にどうぞ、私は後でいただくわ。」 直美は、俊太郎と園芝弥生の事を、ふたりに相談しようと宿のロビーで会う事になっていた。 しばらくすると、直美のスマホへ、三枝から連絡があり、直美はロビーへと急いだ。 「直美さん、しばらく。」 三枝の後ろでは、修一の兄である芳樹が微笑んでいる。 「修一から聞いて驚きましたよ。直美さん、ここでは何だから、そこの喫茶室で話しましょう。」 芳樹がそう言うと、宿の喫茶室へ三人は入った。 「もう直ぐね直美さん!あなたのウェディングドレス姿が楽しみだわ。それに、私達は姉妹になるのよね!」 そして、 「俊太郎伯父様の事なんだけど、確かに真田さんが言う通り、あの絵本の挿し絵を眺めては物思いにふけってると言うか、涙ぐむ様子を見たことがあるわ。ねぇ、芳樹さん。」 「確かに叔父さんは変わった。きっと園芝さんを今でも想い続けていると思うな。」 「何とかしてあげたいわ。それで直美さん、アルプスタイムスの記者との打ち合わせはどうだったの?」 「取材と言うことで園芝さんに接触しようと思います。」 「直美さんも一緒に?」 「はい、木下、真田さんと一緒に。」 私も会って見たそうな顔をしている三枝に、 「君は、後方待機!成り行きを見守ろう!」芳樹がそう言うと、三枝は、膨れっ面で芳樹を見た。 「直美さん!私、どうしても伯父様に園芝さんを会わせたいの!」 「それは私も同じです。」 直美も三枝も俊太郎のこれまでの生き方を否定する気はないが、永遠の女性を、今でも愛しく想い続けているのならば、願いが叶うならば叶えさせてあげたい! 「でも、園芝さんに想う人が居たら・・・」 芳樹がぽつりと言ったその言葉に三枝は、 「居るはずがないわよ。もう芳樹さん嫌い!」三枝は、両手で顔を覆った。 「ごめん、ごめん、僕も居ないって信じているよ。何たって相手は巨匠、水沢俊太郎だよ。」 芳樹はそう言うと直美へ微笑んだ。 「とにかく、園芝さんのお気持ちを確かめる事が先決です。」 「直美さん、私に考えがあるの。」 三枝は急に晴れやかな清々しい顔になると、ゆっくりと話し出した。 ・・・ 「それは名案です。あちら様の都合もあるとは思いますが上手く行けば凄い。」 直美が胸を弾ませて言った。 三枝の話しとは、 修一と直美の結婚披露宴に、俊太郎と園芝弥生を合わせようとするものであった。 問題は、園芝弥生の気持ちと時間である。 芳樹と三枝と別れた後で、直美は部屋へ戻ると三枝の秘策を修一へ伝えようと電話を掛けた。 直美は修一へ、これまでの経緯と、三枝の秘策を話すと、 「それは名案だね!三枝さんは、岸本家に嫁いでからずっと俊太郎叔父さんの世話をしていた人だから、気持ちがいっぱいあるんだよ!僕達で盛り上げよう!ホテルの担当者には僕から話しておくから、直美は園芝さんと会って、気持ちを確かめてくれ!」 やはり、園芝弥生に一日でも早く会わなければ・・・ 気持ちは焦るが、 「課長!課長!守山さんから電話です!」 真田が、勢いよく部屋へ入り込んで来た。 そして、直美へ自分の携帯を渡すと、 「もしもし、原田です。」 「あっ!守山です。園芝弥生さんと連絡がとれました。電話では何ですから、今から伺っても大丈夫ですか?」 「勿論ですよ。是非、お話を聞かせて下さい!」 直美がスマホを閉じて真田へ渡すと、 「守山さんって、ちょっと信用のおけない記者だと思っていたけど、なかなかやるじゃない。」 木下が湯上がりの浴衣姿で、額の汗を拭いながら言った。 「記者なら良い記事は書きたくなるものよ。今は彼に頼るしかないわね。」 直美は、そう言うと守山の到着を待った。 しばらくすると、守山が仲居に連れられて、直美達の部屋へ入って来た。 「お疲れでお休みのところ済みません。」 直美達は、全然!と言った顔で守山を迎えると、 守山は、それを察して、言葉を詰まらせながら話し出した。 男!守山の株を上げるチャンスである。 「まずは、取材と言っても目的が必要になる。そこで真田先生を利用しました。まさか水沢先生は使えませんから。」 「守山さん、どうぞ。私を使う?」 守山は、真田が煎れてくれたお茶をひとくち飲むと、 「やはり、私の予想していた通り、園芝さんは真田愛さんをご存知でしたよ。是非、お会いしたいと言うことです。そうなれば後はもうこっちのもの。」 さすがに、直美も木下も、真田が想像以上に著名な芸術家になっている事に少し驚いたが、嬉しさが同時に込み上げて来た。 「それで、いつお会いになれるの?」 「はい、原田さん、いつでも大丈夫ですよ。いつでも!」 守山は、得意気に言った。 「守山さん、私の絵の事に付いては園芝さん、いゃ、水本先生は何か言ってましたか?」 真田にはちょっぴり不安があった。 「真田先生の安曇野のわさび田の風景画を、昨年の秋に我が社が企画して、都庁の産業祭に展示したのが園芝さんの目に留まった様です。あの絵は、その後で影山さんに渡しましたから、今頃どこかの企業の玄関か会議室へ飾られているはずです。」 守山は、そう言うと真田へ微笑んだ。 「あの絵は、水沢先生から随分とアドバイスを受けましたから。もしかしたら水本先生は、水沢先生の絵筋を見たのかも・・・」 真田がぽつりと言った。 もし、真田の言う通りであれば、園芝弥生は、やはり俊太郎を想っていると言うことになる。 「守山さん、明日、伺いましょう!」 直美が珍しく、口調を強めて言った。 「えっ!明日ですか。」さすがに守山は、驚いた。 「守山さん、お願いね!」真田が、そう言うと、 「分かりました。これから社に戻って調整します。」 守山は、そう言うと部屋を出た。木下が守山の後を追いかけると、 「連絡下さいね、守山さん!」 守山は、振り返らずに右手を上げて応えた。 社へ戻った守山は、上司へ出張申請を申し出ると、準備を始めた。 地方新聞社の強みは、地元密着が何よりも大切だが、将来性のある安曇野を代表する芸術家、真田愛が、水彩画で著名な童話作画の水本弥生と対談すると言った企画であれば、簡単に許可は得られた。 そして、守山は水本弥生へ電話を掛けた。 水本弥生の経営する喫茶室は、八王子駅ビル内の一画にあるが、自宅は郊外の閑静な住宅街にある。 「もしもし、水本先生のご自宅でしょうか。私、アルプスタイムスの守山と申します。先日は・・・」 守山は、受話器を置くと、 「これで良し!」 明日の午後2時に、八王子の自宅で対談する約束がとれた。 守山は早速、真田へ連絡すると、朝の9時に宿へ車で迎えに行く事を伝えた。 直美はその夜、なかなか寝られずにベランダへ出て、月夜にぼんやりと霞む北アルプスの山々を眺めた。 どうして、俊太郎も弥生も本気で相手を探そうとしなかったのか? およそ40年! 流れる時は、人の気持ちを変えて当たり前である。 俊太郎の弥生を想う気持ちは、初めて彼のアトリエへ赴いた時、硝子の女像の話を聞いた時に分かった。 その透き通る体に、幸せそうな笑顔・・・両手には花束を持っている。 花束!もしかしたらブーケ!それにあれはウェディングドレス! そう想うと、直美の瞳から涙が溢れた。 時は流れても気持ちは流されない。 いや、流れない。
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