おんな心

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おんな心

「課長!里美先輩が駅に着いた様です。」 真田の携帯に兼子から連絡があった。 「守山さん、御願いできますか。」 直美は、八王子駅への出迎えを守山へ頼んだ。 さすがに、企画課に誰も居ないのは不味いので、兼子がしんがりを努めていたが、直美から連絡を受けた長沼は、午前中で仕事を切り上げても良いという許可を出した。 うずうずしていた兼子は、長沼へ御礼を言うと、八王子駅を目指した。 あまり詳しい事は分からないが、真田の為ならばと思えば、黙ってはいられない。 と、言うよりは何をするにしても、皆と一緒!直美、木下、小平、そして真田。 この先、自分には素敵な仲間が居る。勿論、恋人の三上も。 ただ、40年間もの間、自分を捨てた男性を想い続ける事が出来るのか? もし、三上が私を捨てて何処かへ行ってしまったら・・・あり得ない!そんな事は絶対に! 彼が転勤になっても、国内は勿論、海外だって南極だって何処へでも私は航と一緒に付いて行く。 でも、もし、航が行きたくないと言ったら・・・ 航には大切な友達が出来ているのかもしれないし、秘かに想いを寄せている可愛い女の娘がいるのかもしれない。 私は、説得出来るだろうか? 出会ったからには、別れは必ず訪れる。 何を考えているんだろう私!? 先の事など、色々と考えても仕方ない。 三上と一緒に生きる。 彼を愛している気持ちは本当の気持ちだから。 あれこれと思っていると、終点八王子のアナウンスが流れて来た。 兼子は、八王子駅へ着くと守山の車へ乗り込み、程なく弥生の家へ到着した。 直美から水本弥生を紹介されると、 「先生のペンネームは、水沢さんの水の字を使ったんですか?」 これまでの経緯を知らない兼子であったが、皆の顔色と和やかな雰囲気で大体の事は察しがついた。 「そうよ、彼の水を頂きました。それから本は、絵本の本、ペンネームでも意味は必要ね。」 弥生はそう言うと微笑んだ。 「しかし、本当に美人ばかりですね。真田先生の会社の方は。」 守山は、八王子駅のロータリーのコンビニの前で、兼子を拾って乗せて来たが、面識がなく、顔が分からなかったので、いささか不安であったが、 真田から、歳は20代の前半。セクシー系の美人が先輩です。と教えられただけであったが、若い女性が数人居るなかで、迷う事なく兼子に声を掛ける事が出来た。 守山は、40歳を越えてはいるが独身である。此処に居る事はちょっとした刺激である。 弥生は、夕飯の準備をすると言ってキッチンへ入ると、 「俊太郎さんの大好物だったものを作りますからね。」 こうなれば、直美も木下も兼子も小平も黙ってはいられない。 「手伝います!」4人はキッチンへ入った。 「冷蔵庫にある材料で、あなた達で出来る物があったら御願いね。私が作る物は、すいとん。だから汁ものは作らなくとも良いですからね。」 すいとん? 「課長、すいとんってご存知ですか?」 小平は不思議そうな顔をした。 「小麦粉を団子状にして色んな野菜と一緒に煮るのよ。」 すいとんは、大平洋戦争中の主食として食べられたが、当時は物資の不足で味付けも悪かった。 今では、十分にだしに工夫が出来るので。野菜とのマッチングで、とても美味な料理に仕上がる。直美の得意料理でもあった。 四人は失礼してキッチンの冷蔵庫を開けると、食材となる野菜、肉、魚は揃っていた。 直美は、蒸し茶碗を確かめると、 「私は、茶碗蒸しを作るわね。」 「私は、鮭の照り焼き。」 「じゃー私は豚肉の南蛮炒め。 「そうくるなら私はチャーハン!」 弥生と4人は、顔を見合わせて笑った。 「水本先生、皆さん、私の役目は終わりましたので、そろそろおいとま致します。それから水本先生、真田先生とのツーショットは紙面に載せたいのですが宜しいでしょうか?」 守山は、そう言うと身支度を始めた。 「あら、守山さんの為に作るのに。」 「恐縮です。お気持ちだけ頂きます。」 「その新聞、もちろん送ってくださるわよね。」 弥生がそう言うと守山は、 「もちろんですよ水本先生。」 さすがに守山は、女性だけに囲まれて居るのにも限界を感じていた。 安曇野から三枝が来るので、真田を乗せて帰る事もなくなったわけである。 「課長、私も何か手伝いましょうか?」 「ありがとう、真田さん。それじゃ食器を用意してね。」 真田は笑顔で「はい!」と返事をして茶碗や皿を棚から取り出した。 「真田は絵を描けば天才なんだけど料理はね。」 兼子が冷やかす様に言うと、 「先輩・・・」 泣き出しそうな顔で直美へ寄り添った。 実は、真田は料理には、まったくセンスがない。 皆とキャンプやバーベキューを年に数回行うが、真田が全く調理をしないのを不思議がった兼子に、センスの無い事を見破られてしまった。 レシピに添って、キッチンタイマーや秤等を使えば、それはそれなりに誰でも調理は出来るが、 味見や加減が上手く出来ない。 そのおっとりとした性格もあってかキッチンには似合わない。 どうやら全ての五感は、芸術性にもっていかれた様である。 兼子は、そんな真田へ料理を教えてあげるつもりでいたが、 水沢俊太郎のもとへと行ってしまった。 「真田さん、ちょっとこっちへ来なさい。」 弥生は、真田を呼んだ。 「この味付けはどうかしら?」 弥生は、すいとんのだし汁を小皿によそうと真田へ渡した。 真田は、恐縮して口に含むと、 「あっちー!」 そう言うと小皿を置いて、苦笑いした。 「猫舌さんね。」 そう言うと弥生は、声を出して笑った。 「それでは味見が出来ないわね。」 弥生は、もう一度、だし汁を小皿によそうと、 「まずは、小皿に唇を少しだけあてて熱に慣れるのよ、いきなり口に含んだら駄目よ。」 弥生は、そう言うと新たによそっただし汁を真田へ渡した。 言われた通りに、唇で熱さを感じ取り、ゆっくりと流した。 「うわー美味しいです先生!」 「それじゃーね、野菜を一緒に切りましょう。」 「はい!先生。」 直美は、微笑ましくその様子を見ていたが、 兼子と小平は、同じ想いでその様子を見ていた。 それは、 弥生は、直美に似ている。 真田は、小麦粉とそば粉を団子または、棒状にすると、引きちぎっては鍋のなかに入れて行く。 醤油味のさっぱりとした、すいとんの出来上がりである。 直美達のこしらえた料理も食卓へ並べられた。 そして、皆が席に付いた時、直美の携帯が鳴った。 鳴らした相手は、三枝である。 もう直ぐ着くので、車の駐車場所を教えて欲しいと言った電話で、弥生の弟子である周防が対応した。 いよいよ弥生に会える。 三枝は、期待と若干の不安を抱いて弥生と対面した。 直美から三枝を紹介された弥生は、 「あなたが三枝さんね。遠くからご苦労様、これからちょうど夕飯ですよ。」 弥生は、そう言うと三枝に近寄りテーブルの椅子を引いて座らせた。 「ありがとうございます。もうお腹がペコペコです。これは、安曇野の特産品のわさび漬けと、実家の工場で加工している林檎ジャムです。」 三枝はそう言うと弥生へ渡した。 「水本先生、このわさび漬けに少し醤油をつけて、温かなご飯と一緒に食べると凄く美味しいですよ。」 真田はそう言うと、キッチンから小皿と醤油を持って来たが、 「真田、チャーハンにも合うの?」 いつもの兼子の突っ込みである。 「そうね、チャーハンには合わないかな。」 「ですよね〜課長、先輩には合うかも。」 ちょっとした真田の兼子への逆襲である。 わさび漬けは、修一の大好物で、実家から毎月送って貰っている。 直美も、温かご飯にピリ辛のわさび漬けは大好物である。 「それでは、明日の夕飯に頂くわ。三枝さん、ご馳走さま。」 「さぁ、召し上がれ。俊太郎さんの大好物のすいとん。」 椀のなかみは、小麦粉とそば粉を団子状にしてちぎったものと、椎茸、南瓜、ネギ等がバランス良く盛り込まれている。 香りも良い。 「美味しい!薄口の醤油味で、蕎麦の風味も良いです。水本先生、俊太郎伯父様に良く作ってあげたんですか?」 三枝からの問い掛けに、 「それがね、三枝さん。俊太郎さんには食べて貰えなかったわ。せっかく一生懸命に覚えたのにね、アルプスの見える街に行ってしまったのよ。」 弥生はそう言うと微笑んだ。 「大学の近くに、美味しい定食屋さんがあってね。彼はいつもすいとんを注文したわ。それがこの味! 私は、絵を描くより、料理に夢中になったのよね。絶対に作ってやるって!」 弥生は茶碗蒸しの蓋を開けて香りを楽しむと、プリプリの卵をスプーンですくって口に含んだ。 「原田さん、良いお味ですよ。」 当然、俊太郎にはそんな弥生の気持ちを知るよしもない。 三枝は、40年が経った今でも弥生の気持ちを思うと、切なさを感じるが、消える事のないおんな心。 「水本先生、俊太郎伯父様の学生時代ってどんな感じでしたか?それに良かったら、おふたりの馴れ初めを教えて頂けますか。」 三枝にとって、俊太郎の若かかりし頃の様子は、とても興味がある事で、今の俊太郎と重ね合わす事が出来る。 「俊太郎さんは、とても優しい人!私は彼のそこにひかれた。でもね、頑固で意地っ張り!特に芸術の事になるとそれが酷くて……随分と友達をなくしたの。そもそも芸術家ってそういう人が多いから。」 さらに弥生は話す。 「俊太郎さんとは、校内の水彩画の発表会の会場で知り合ったのよ。あの人は、私が創作した絵本の絵を食い入るように見てたの。私が、声を掛けたのよ。どうですか?なかなかの作品でしょ!って言ったら。」 弥生は、口を押さえながら笑った。 「物語に興味はないが、あなたの絵は生きている。だから、ちょっと付き合ってくれないか。俊太郎さんはそう言うと、私の腕を引っ張って彼の家へ連れて行かれたの。そして、私に彼が描いた木々や花、浅草界隈の風景画を見せて、私にどう思うって聞くのよ。私は、素晴らしいと思ったわ。そして名前を聞いたの。水沢俊太郎!」 弥生は昨日の出来事の様に話す。これには皆んな弥生の俊太郎への想いが読み取れた。 「同じ大学でも面識がなかったけど、名前は知っていたわ。凄腕の芸術性を持った学生!ただし、変わり者。」 弥生はそういう言うと、懐かしさの余りであろう、笑った後にぼーっと一点を見据えた。 「それから彼とのお付き合いが始まった。でもね、映画を見たり、あの頃流行りのフォークシンガーのコンサート、銀座や原宿、横浜でのデート…何ひとつなかったわ。彼の部屋で、絵ばかり描いてた。 だけど、浅草界隈のレストランや喫茶店へは良く行ったわよ。ビートルズやボブディランを良く聴いたわね。」 俊太郎と過ごした日々を懐かしみながら話す弥生の表情は、とても可愛らしい。 あの日に帰りたい。そんな思いではなく、今、弥生はあの日の俊太郎と会っている。 いつでも帰れる!いつでも会える! あの日の弥生は、今の弥生と変わらない。 おんな心とは、一途になれる可愛らしさである。
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