第3話 揺り籠にまどろむ螺旋(3)

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第3話 揺り籠にまどろむ螺旋(3)

 ハオリュウは身じろぎもできず、硝子ケースを凝視していた。  片や赤子のほうは、彼の刺すような視線などお構いなしに、ゆらりゆらりと培養液の中を優雅に漂う……。  胎児と思しき赤子が硝子ケースの中にいる。それだけで、尋常な事態ではあり得ない。更には、赤子の髪の色は、毛の一本一本に光を溶かし込んだかのような、輝く白金。瞬きの瞬間に覗いた瞳は、澄んだ青灰色。――まるで、〈神の御子〉のような。  否。摂政であるカイウォルは、こう言った。 『次代の王』と。  この国の王は、〈神の御子〉でなくてはならない。それが決まりだ。そして、この赤子を『次代の王』と呼ぶからには、彼は〈神の御子〉なのだ。  だが、次の王は、これから女王が結婚し、子を()すことで生まれるはずだ。そのために、彼女は十五歳という若さで(とお)以上も年上の従兄と婚約し、ハオリュウの藤咲家に婚礼衣装を作らせているのだから。 「殿下、これはいったい……」  かすれる声で、ハオリュウは呟いた。  声を出したことで、衝撃の呪縛が解けたのだろうか。固まっていた体が動きを取り戻す。ハオリュウは、まだぎこちない両腕で自身を抱えた。そうでもしないと、全身が震えだしそうだった。  その一方で、彼の聡明な頭脳は、滑らかに回転を始めていた。  少し前に、ハオリュウは婚礼衣装担当家の当主として、女王に謁見した。  婚約のお祝いを述べた彼に、彼女は浮かない顔を返しただけであった。君主の態度として如何(いかが)なものかとは思ったが、彼女の気持ちからすれば、結婚など牢獄に繋がれるようなものであろう。  誰も女王個人の幸せなど願っていない。女王に求められているのは、彼女が〈神の御子〉を――それも男子を産むことだけだ。  そして、男の〈神の御子〉が生まれた瞬間に、彼女は王位を追われる。無力な赤子に玉座を譲り渡し、『仮初めの王』である女王は役目を終える。  非道であろう。  だが、それがこの国の決まりなのだ。真の王のいない時代に生まれてしまった、〈神の御子〉の女性の宿命だ。王族(フェイラ)に限らず上流階級と呼ばれる世界は、多かれ少なかれ、そんなどうしようもない規則で組み上がっている。  だからこそ、ハオリュウは、彼が婚礼衣装を手配している『もうひとりの花嫁』――最愛の異母姉メイシアを『殺した』。貴族(シャトーア)に生まれた彼女の運命を断ち切り、異母姉が望んだ相手であるルイフォンのもとへ送り出すために。  異母姉の幸せそうな顔を見れば、自分の判断は正しかったと胸を張れる。また、女王には同情の余地があると思う。祝いの口上に対して、なんの言葉も(たまわ)れなかったのも仕方ないと諦めもつく。無論、そんな王を戴くこの国の未来には、暗雲しか感じられないが……。 「……」  ハオリュウは、改めて硝子ケースの赤子を見た。  結婚したからといって、〈神の御子〉を授かるとは限らない。現に、先王は十数人ほどの子供を得たのちに、やっと〈神の御子〉である子供――現女王に恵まれた。幾人もの妾がいた王でさえそうなのだから、自分で子を産まなければならない女王の負担は計り知れない。  なるほど、とハオリュウは思った。  父王のように長い年月を苦しむくらいなら、初めから人工的に〈神の御子〉を作ってしまえばよい。――女王はそう考えたのだ。  なんの前触れもなく赤子と引き合わされたために驚愕したが、よくよく考えてみれば理に適っている。倫理的に疑問に思わなければ、実に合理的だ。 「ああ……」  ――そうか。そういうことか……。  ハオリュウはあることに気づき、思わず得心の声を漏らした。それを聞いたカイウォルの顔が好奇の色に揺れる。 「どうされましたか?」  言外の圧を持つ為政者の目線が、説明を促す。  どう答えたものか、ハオリュウはわずかに逡巡した。――が、すぐに決断を下す。  カイウォルが、どんな話を持ちかけてくるつもりなのかは不明だが、王家の最高機密ともいえる赤子を見せた以上、ハオリュウを巻き込む気は満々なのだ。ならば、何も気づかぬ愚鈍を演じるよりも、簡単にあしらわれるつもりはないと釘を刺しておいたほうがいい。 「殿下が、『〈七つの大罪〉は、王家にとって必要』とおっしゃったことに納得したのです」 「ああ、そうですか。それは良いことです」  にこやかに、カイウォルが笑う。  その笑顔を見ながら、ハオリュウは、更に一歩踏み込む。 「〈七つの大罪〉は王の要請に従い、〈神の御子〉を提供する。そうして、これまでずっと、王家が途絶えぬよう支えてきた。……そういうことですね」  人工的な〈神の御子〉は、何も今回に限ったことではないのだ。カイウォルが〈七つの大罪〉を『必要』と言ったことが、それを裏付けている。 〈神の御子〉は、簡単には生まれない。王家は、今までに何度も存亡の危機に直面し、その都度、〈七つの大罪〉に救われてきたのだろう。先王だって、女王が生まれなければ、最後の手段として〈七つの大罪〉を頼ったに違いない。  カイウォルから感嘆の息が漏れた。 「ハオリュウ君……。素晴らしいですね、君は」  常に雅びやかな微笑みで自らを飾り立て、(はら)(うち)を読ませないカイウォルだが、その言葉だけは心からの称賛だと分かった。何故なら、普段とはまったく違う、禍々しく歪んだ笑みを浮かべていたからだ。 「君の言う通りです」  カイウォルは、硝子ケースに冷ややかな眼差しを送る。 「王家に、どうしても〈神の御子〉が生まれない場合……、〈七つの大罪〉が過去の王のクローン体を作ることで王家を存続させる。これが、この国の統治者の正体です」  どこか深い憤りを感じさせる暗い響きだった。  カイウォルは〈(ムスカ)〉に命じ、椅子を用意させた。どうやら、長い話になりそうだった。
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