第3話 揺り籠にまどろむ螺旋(6)

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第3話 揺り籠にまどろむ螺旋(6)

 ハオリュウは耳を疑った。  カイウォルは、今、なんと言ったのか――。 「殿、下……?」  恐ろしいものを見る目で、ハオリュウは自分の正面に座る麗人を見つめる。  ()の人は、優しく促すかのように、わずかに首を傾けていた。直線的ではない眼差しの柔らかさに、ハオリュウはどきりとする。  惹き込まれる前に視線をそらさねば――とっさにそう思うが、そのときには目が離せない。 「驚かせてしまいましたか。……君の気持ちも考えず、配慮が足りませんでしたね」  自分の至らなさを恥じるように、カイウォルは微笑む。 「……っ」  気遣う素振りなど、演技に決まっている。突然の爆弾発言は、作為的なものだ。カイウォルは、相手から冷静な判断力を奪うことで、自分に有利なように話を運ぼうとしている。――そう分かっていても、ハオリュウの心臓は早鐘のように鳴り続けた。  血の気の失せた彼の顔に、満足したのだろうか。カイウォルはふっと目をそらす。  視線から解放され、ハオリュウの体から、どっと汗が吹き出した。ほんのわずかな時間だったにも関わらず、長い間、捕らわれていたような気がしてならなかった。  そんなハオリュウの様子を知ってか知らでか、カイウォルは静かな眼差しで硝子ケースを見つめながら、独りごつように告げる。 「この『ライシェン』を作ったことで、女王陛下の『〈神の御子〉を産む』という使命に目処が立ちました。『ライシェン』の体はまだ未熟な胎児ですが、もう少し成長させたのちに凍結保存して、時期を選んで女王陛下の御子として『誕生』させます」  そこでカイウォルは言葉を切り、自嘲めいた笑みを浮かべた。ハオリュウは不審に思い、眉をひそめる。 「私は、これで解決したと思いました。これでもう、妹を悩ませるものはなくなった、と。……浅はかな自己満足です」  美麗な眉が寄せられ、ハオリュウから見える横顔が苦悩に歪む。 「しかし、妹は――アイリーは涙ながらに言いました。『実の兄と結婚なんて、嫌。……ううん、ヤンイェンが異母兄だからではなくて、好きな人ではないから嫌なの』」  カイウォルは嗤いをこらえるように口角を上げた。そして再び、ハオリュウと向き合う。 「女王として、あってはならない発言です。そんな我儘が許されるような立場ではありません。勿論、私はお諌め申し上げました」  低く、くつくつと喉を響かせ、カイウォルは小刻みに肩を震わせる。 「アイリーは『好きな人』などと口にしましたが、実際に誰か()い仲の者がいるわけではありません。あの子に近づける人間など、ごくわずかな限られた者だけですから、いれば私には分かります。――あの子は、ただの夢見る少女です。女王陛下などと呼ばれていても、そのへんの町娘と変わらない、どこにでもいるひとりの小娘なのです」  嗤いながら、カイウォルは切なげに目を細めた。頭を振り、胸のつかえを吐き出すように呟く。 「そして私は――、そんな妹を不憫に思ってしまった……。……愚かな兄です」 「……」  ハオリュウは、沈黙することしかできなかった。  そもそも彼は、カイウォルという人間が嫌いなのである。そんな相手の嘆きを聞かされたところで、何を感じればよいのだ、という疑問しか浮かばない。  ただ、ハオリュウだって血の通った人の子であるので、女王の境遇には同情はしている。実の兄との結婚が嫌だというのは、もっともな感情だろう。そこは否定しない。  だが、カイウォルはこう言ったのだ。 『ハオリュウ君。ヤンイェンではなく、君が『女王陛下の婚約者』になりませんか?』  ここで何故、ハオリュウにお鉢が回ってくるのか。藤咲家の当主とはいえ、彼はまだ結婚などとはほど遠い、たった十二歳の子供だ。どう考えたって、陰謀の匂いしかしない。 「殿下。お苦しい胸中、お察し申し上げます」  ハオリュウはまず、深々と頭を下げた。内心はさておき、臣下としての礼儀だ。 「ですが、何故、私などにお声を掛けてくださるのですか。大変な名誉とは思いますが、私は女王陛下よりも三歳も年下の若輩者。家督を継いだばかりの若造です。どう考えても、女王陛下にふさわしいとは思えません。女王陛下にはもっとお似合いの殿方と幸せになっていただきたいと思います」  女王の婚約者に、と言われて、まず初めに疑問に思ったのが年齢のことだったが、他にもおかしなことがある。藤咲家という家柄に問題はないが、彼の母親はカイウォルが卑下している平民(バイスア)だ。『不憫な妹』を託すような相手ではないだろう。  だいたい、女王は実の兄との結婚が嫌だというだけではなくて、普通の娘のように恋愛をしたいと言っているのだ。彼女が望んでいるのは、これから、まだ顔も知らない理想の男性と出逢い、恋に落ちることだ。  そう、例えば、異母姉メイシアのように――。  今回の作戦のために、ハオリュウは久しぶりにメイシアに会った。ルイフォンの溺愛ぶりは相変わらずだったが、異母姉のほうもなかなか大胆になったように思う。異母弟としては複雑だが、彼女が幸せであることは間違いない。 「ハオリュウ君。君なら、アイリーの気持ちが分かるのではないですか?」  カイウォルの声に、ハオリュウの思考は遮られた。  しかも、またわけの分からないことを言ってくる。ハオリュウは鼻白みながらも、それを顔に出さず、丁重に答える。 「殿下は何故、そのようなことをおっしゃるのでしょうか。私はまだ子供です。女性の気持ちを察して差し上げられるような、大人ではございません」 「そんなことはないでしょう?」  柔らかな声が誘い込むように紡がれ、カイウォルが微笑む。  燦然と輝く太陽のような、まばゆいばかりの美貌。冷たく光る黒い瞳が、ハオリュウを捕らえる。  深い黒が(あぎと)を開ける……。 「君は――、君の姉君に……何をしましたか?」 「――――え……」  心臓が凍りついた。  大切な異母姉は、汚い貴族(シャトーア)の世界からは消えたはずだ。  それなのに何故、カイウォルが口にする……? 「君の姉君――メイシア嬢は、平民(バイスア)の、それも凶賊(ダリジィン)の男に恋をしました。決して許されぬ相手と知りながら、その男と添い遂げたいと願いました……」  囁くように、歌うように、さえずるように……、カイウォルが異母姉の想いをなぞる。 「君と、君の姉君は、異母姉弟なのに深い絆で結ばれていました。私にも異母兄弟はたくさんおりますが、君たちのように仲は良くありません。君たちは不思議で、羨ましい。――そんな君が、大切な姉君の想いを知ったなら……どうするかなんて分かりきったことですよね」  くすりと、カイウォルが嗤った。  そして、ハオリュウは悟った。  カイウォルは、メイシアが生きていることを知っている――!
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