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第3話 揺り籠にまどろむ螺旋(8)
「どういうことでしょうか?」
ハオリュウは眉を寄せる。
既に、女王とヤンイェンとの婚約が発表されているにも関わらず、『ハオリュウを婚約者に』というのは、要するにヤンイェンを失脚させようという陰謀の誘いに他ならない。
だが、何故、ハオリュウなのだ?
意図が読めない。
しかし、カイウォルは自分の正しさを確信しているようで、余裕の笑みを浮かべた。
「君自身が言ったでしょう? 君はまだ若い、と。ええ、そうですね。法的にも、常識的にも、君の歳で結婚などあり得ないでしょう。――だから、です」
「?」
「君がアイリーの婚約者になれば、あの子が結婚するのは六年先。だから、少なくとも、あと四年は、具体的な準備には入らないでしょう。その時間が、あの子が真の相手を見つけるための猶予となります」
「!」
「あの子が願う通りに相愛の相手と結ばれたときには、君には申し訳ないですが婚約は破棄します。その際、君に不利なことは、いっさいないと約束しましょう」
「……」
「逆に、あの子の望みが叶わなかった場合には、潔く君と結婚してもらいます。そのときには、あの子も女王という立場に自覚があるでしょう」
「……」
「女王陛下の結婚を延期にできるほどに歳が若く、道理をわきまえていて、家柄も申し分ない。そんな人物など、君をおいて他にいません。――若いだけなら幾らでもいるでしょうが、あの子が相手を見つけられなかった場合に、私の義弟となってもよいと思える者はそうそういないのです」
「……」
「君が平民の血を引いていても問題ありません。相手が誰であっても、女王陛下は『ライシェン』を産むのですから。むしろ、君が女王陛下の夫となれば、国民は諸手を挙げて喜ぶでしょう。君は平民に人気がありますからね」
言いたい放題だ。
だが、破綻はない。荒唐無稽に思えた話が、実に理に適っているように聞こえる。それが恐ろしい。
感情が顔に出てしまったのだろう。カイウォルが口の端を上げた。
「ご不快でしたか? ですが、君を手に入れたいのなら、上辺を取り繕うよりも、率直な気持ちを伝えたほうが、よほど効果的でしょう? そのほうが君は安心する。君はそういう人間です」
「殿下……」
「『女王陛下の婚約者』という地位は、君にとって魅力的ではありませんか? ……確かに君は、権力に執着するタイプではありませんね。ですが、君が断れば、藤咲家に害を為す者が『女王陛下の婚約者』になるかもしれませんよ」
カイウォルは、冷ややかに嗤った。
口では妹のため、と言っているが、今まで摂政として国を治めてきた彼に、野心がないわけはないだろう。妹の我儘を口実に、うまいことヤンイェンを排除しよう、というあたりが本心ではなかろうか。
王族のヤンイェンだからこそ、カイウォルのライバルとなり得る。ハオリュウのような、ただの貴族が女王の婚約者――ひいては夫となるのなら、後ろ盾を買って出ることで、カイウォルは権力を保てる。
そして、ハオリュウが邪魔になったときには、暗殺という手段だってある。
『ライシェン』さえ生まれていれば、女王の夫に用はないのだから……。
ハオリュウは、ぶるりと体を震わせた。
〈七つの大罪〉と王家の関係、そして『ライシェン』の存在――重大な秘密を知ったハオリュウを、カイウォルが解放するだろうか。
この館に呼ばれたこと自体が罠だったのだ。
かといって、臣下の立場のハオリュウが、会食の誘いを断れるはずもない。初めから詰んでいた。
「返事は急ぎません。大事な話ですから、よく考えてほしいと思います」
すっと寄り添うように、カイウォルが囁く。
寛容に見せかけて、その実、圧を掛けている。
「話が長くなってしまいました。そろそろ食事にしましょう。王宮のシェフを連れてきましたから期待していてください」
そして、この研究室で為されるべき話は終わり、一同は地下をあとにする。
去り際、ハオリュウはふと後ろを振り返った。車椅子の背越しに見える、『ライシェン』――白金の産毛をゆらゆらと漂わせ、培養液の中で眠る胎児。
天空神の姿を写し取った彼は、天から贈られたのではなく、穢れた地上の陰謀と欲望によって作り出された。
彼は『人』なのか、『もの』なのか。
未熟な体はグロテスクでもあり、哀れでもある。彼にどんな感情を抱くべきなのか、ハオリュウには分からない。
ただ、ひとつ、言えるのは……。
――これは『命に対する冒涜』だ。
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