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第4話 響き合いの光と影(2)
「ルイフォン?」
リュイセンは、端末を握ったまま動かなくなった弟分の名を呼んだ。
脇から覗けば、画面に映っているのは、如何にも豪勢なご馳走が期待できそうなテーブルセッティングである。だが、綺麗に並べられたナイフとフォークに気づくと、急に肩の凝りを感じた。いくら美味でも、こんな食事はご勘弁願いたい。
勿論、弟分の目は、こんな映像など見ていない。リュイセンにも、それは分かっていた。
「おい、ルイフォン」
「あ、ああ」
意味のない返事で応じ、ルイフォンは再び押し黙る。弟分の頭は、完全に異次元に行っていた。
長い付き合いのリュイセンには、もはや慣れっこのルイフォンの習性だ。しかし、いつまでもここで、ゆっくりしているわけにはいかない。この空き部屋は、あくまでも一時的な居場所なのだ。
衝撃の話に、ルイフォンの心はすっかり奪われてしまっているが、彼らの目的は〈蝿〉の捕獲だ。夜になって、奴がひとりで部屋にいるところを襲う作戦で、昼間のうちに居室の近くの倉庫に潜み、好機をうかがう手はずになっている。
現在この屋敷にいるのは、大雑把にいって、『〈蝿〉の一味』と『摂政の関係者』だ。
摂政たちがいる間は、〈蝿〉の私兵たちは部屋に籠もっている。そして会食の最中は、摂政が連れてきた連中も、饗応で手一杯だろう。
つまり、館中の目が廊下に向かなくなる『今』こそが、この空き部屋を出て、倉庫に移動すべき時だった。
「ルイフォン。俺たちが今やるべきことはなんだ?」
リュイセンの声が、低く諭すように響く。決して、怒気も苛立ちも含んでいないのだが、穏やかな威圧がルイフォンの鼓膜を揺さぶった。
ルイフォンは、はっ、と顔を上げた。一本に編んだ髪が背中で跳ね、金の鈴が飛び上がる。
「……すまん。倉庫に移動しないとな」
「そうだ」
まだ、部分的に意識が飛んでいそうな顔ではあったが、きちんとした受け答えの返ってきた弟分に、リュイセンは満足する。
「まぁ、お前が喰いつきそうな話だったのは分かる。だが、それは後回しだ。ここは敵地のど真ん中なんだからな」
「ああ。それに〈蝿〉を捕まえれば、もっと詳しい情報が手に入る」
猫の目が、鋭く光った。思考の戻ってきた〈猫〉がいれば百人力だ。
「ルイフォン、倉庫までの安全なルートを調べてくれ。お前なしには、俺は動けない」
そう言って、リュイセンがにっ、と笑えば、「任せろ」という気持ちの良い返事が返ってきた。
――ルイフォンは、山ほどある館中のカメラをすべて支配下に置いていた。
だが、それらをひとつひとつ、目視確認していたのではきりがない。そこで映像を解析し、廊下にあるカメラのうち、動くものを捉えたら表示するように操作した。
ほとんど無人の廊下である。ごくたまに、厨房と会食会場を行き来する、給仕の者が映るくらいだろう。――そう考えていた。
「なぁっ!?」
突然、ルイフォンが間抜けな声で叫んだ。
「どうした?」
慌ててリュイセンが端末を覗き込むと、そこには、ふわふわとした毛糸玉のような黒髪が映っていた。
あちこちに元気に跳ねまくった癖っ毛は、歩くたびにぴょこぴょこと軽やかに揺れ、天井からのカメラアングルのせいで、もともと小さな体は更に縮んで見えた。くりっとした丸い目と相まって、まるで可愛らしい小動物だ。
しかし、父親譲りの太い眉は少し内側に寄っており、きょろきょろと忙しなくあたりを見回している。その動作から推測して、迷子と思われた。
「ファンルゥ! なんでこいつが廊下に!?」
リュイセンも叫ぶ。
タオロンの娘、ファンルゥ。
娘の安全を確保するために、タオロンは〈蝿〉の部下となったのだが、彼女は確か人質として軟禁されているはずだ。
「部屋を抜け出してきた……んだろうな。やっぱり」
気の抜けたような、困ったような。どことなく疲れた感じの声でルイフォンが答える。
「――だよな……」
ふたりが以前、彼女に会ったのは、斑目一族の別荘に潜入したときのことだ。そのときも、おそらく部屋でおとなしくしているよう言われていたであろうに、建物内を勝手に探検していた。
……好奇心いっぱいのファンルゥが、素直に閉じ込められているはずもなかったのだ。
「なぁ、ルイフォン。ファンルゥが、うろついているのって、まずい……いや、危険じゃないか?」
彼女が〈蝿〉の許可を得て、部屋を出ているわけではないのは明白だった。しかも現在、この屋敷は摂政の関係者が行き来している。
子供だからといって、〈蝿〉も摂政も、甘く見てくれるような相手ではないだろう。邪魔だ、目障りだというだけで、斬り捨てられるかもしれない。
「ああ。……だから、さ」
ちらり、と。猫の目が、リュイセンを見上げる。
「ああ。ファンルゥを部屋に送ってから、倉庫に向かうぞ」
そうして、ふたりは腰を上げた。
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