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第7話 万華鏡の星の巡りに(5)
「ほう。あなたが私の相手を?」
「ああ。リュイセンだけに戦わせるわけにはいかないからな」
「あなたは、貧民街で私と対峙したときのことを忘れたのですか? 私にまったく歯が立たず、駆けつけたエルファンの小倅によって、命からがら助けられていたではないですか」
「さて?」
ルイフォンは余裕の笑みを浮かべ、挑発するように言い放つ。
「俺は細かいことは気にしねぇんだ」
――勿論、ルイフォンは覚えている。
まともにぶつかれば、あっさり返り討ちに遭うのは目に見えている。貧民街での出来ごとは、忘れ得ない屈辱であり、教訓だ。
それでも――。
「今度は、俺が勝つさ」
ルイフォンは口角を上げる。
何故なら、タオロンとファンルゥを光の中へと救い出すには、それしかないからだ。
『リュイセンとタオロンの力は、拮抗している』
つまり、簡単には決着がつかない。
すなわち、しばらくの間は、『どちらも負けることがない』。
だから、勝敗が決まる前に、ルイフォンが〈蝿〉を倒す。
『タオロンの敗北が決定するまで』は、ファンルゥの無事が保証されているのだから。
ルイフォンはナイフを構えたまま、間合いを取るように後ろに下がった。
「得意のナイフ投げですか?」
威勢のよい啖呵を切りながら遠距離からの攻撃とは腰抜けだと、〈蝿〉が揶揄するように嗤う。力の差を誇示するためにか、奴から積極的に動く気はないらしい。
ルイフォンは何も答えない。答えてやる義理もない。
腰を落とし、〈蝿〉を警戒するように睨みを効かせながら、それでも彼は、ゆっくりと離れていく。
ルイフォンは、愛用の投擲武器を隠し持っている。狙いの正確さには自信がある。しかし、投げたとしても、リュイセンの神速を見きれる〈蝿〉には避けられてしまうだろう。
だから使えない。かわされたら最後、丸腰の〈蝿〉に拾われる。結果として、奴に武器を与えたも同然となる。
かといって、ナイフでの接近戦も賢い手ではない。体格の差は歴然としている。
ルイフォンは更に下がる。
激しい鍔迫り合いを繰り広げるリュイセンとタオロンを挟み、〈蝿〉からは死角になるように位置を測る。途中、横目に化粧台の存在を把握し、椅子の配置を確認する。
――!
背中が、目的のものに触れた。
『彼女』の硝子ケース――おそらく、〈蝿〉が最も大切にしているもの。
だが、それこそが目的だとは悟らせない。
彼は、硝子ケースとストレッチャーに退路を断たれ、後がないことを焦るかのような驚きの表情を作った。
〈蝿〉は、一瞬だけ、不快げに眉をひそめた。
他人が『彼女』に触れたことを嫌悪しているのだろう。しかし、すぐにルイフォンを小馬鹿にしたように口元を歪ませる。
ルイフォンは、自分を阻んだものの正体を確かめる仕草で後ろを向いた。
――その瞬間が、勝負だった。
彼は、硝子ケースの操作パネルに手を触れ、高速で指を走らせた。
ルイフォンと〈蝿〉の間では、リュイセンたちが刀を交えている。だから、手元は見えていないだろう。しかし、ルイフォンがパネルに触れたことは分かったはずだ。
「――!? 貴様ぁっ! 何をした!?」
大音声が響き渡った。
地の底から轟くような威圧の怒りに、部屋を巡る鏡が震えた。激しく打ち合っていたリュイセンたちも、思わず手を止める。
ルイフォンは、素早く振り返る。毛先を彩る金の鈴が、この場を一刀両断するように、綺麗な円弧を描きながら輝く。
「俺は、医学的なことは門外漢だ。けど、『酸素濃度』とか『液圧』とかいう設定値を、いい加減な値に変更することはできる。勿論、正しい値に戻すことはできねぇけどな!」
ルイフォンは、高らかに宣告した。
刹那、〈蝿〉の顔が恐怖と憤怒で、どす黒く染まった。
「『ミンウェイ』――!」
まるで体重を感じさせない足の運びで、〈蝿〉が跳んだ。長い白衣の裾がはためき、邪魔だとばかりにリュイセンたちを押しのけ、一直線に向かってくる。
ルイフォンは、横目に位置を確認しておいた椅子を蹴倒し、〈蝿〉の行く手に障害を作った。そして彼自身は窓に向かって逃げる。
〈蝿〉は、ルイフォンの姿など見ていない。まっすぐに『彼女』に向かう。椅子を飛び越え、ひた走る。
怒りの矛先は間違いなくルイフォンであるが、〈蝿〉にとって、彼を追うことよりも『彼女』のパネルの値を適正値に戻すことのほうが、比較するまでもなく重要だった。
実は……。
ルイフォンは、設定など変えていなかった。
さすがに、ミンウェイの母親かもしれない『彼女』を危険な目に遭わせるわけにはいかないだろう。
だが〈蝿〉は、ルイフォンが手を下したと信じた。たとえ信じなかったとしても、自分の目で確認しなければ気が済まないはずだと、ルイフォンは読んでいた。――卑怯かもしれないが、〈蝿〉の気持ちを利用した。
〈蝿〉が『彼女』にたどり着く。操作パネルに手を伸ばす。
その瞬間。
窓際でタイミングを測っていたルイフォンは、遮光カーテンを一気に開いた。
薄暗かった部屋に、まばゆい陽光が流れ込み、鏡に跳ね返って乱反射を繰り広げる――!
「眩し……!」
〈蝿〉の口から声が漏れた。
――と同時に、眩しすぎる光量によって、操作パネルの表示が薄ぼんやりとしか見えないことに気づく。
「お、おのれ……!」
屋外での携帯端末の使用の際に、画面の光度を調整しないと非常に見にくくなる。ルイフォンにとって身近な不自由を利用した、たわいのない奇策。
しかし、一刻も早く『彼女』の安全を確保せねばと焦る〈蝿〉には、効果てきめんだった。
〈蝿〉は、完全に動転していた。窓辺から舞い戻ってきたルイフォンが、背後を取っても気づかぬほどに。
室内になだれ込む、燦々と輝く太陽の光
この光は、救いの光であり、導きの光だ。
闇に囚われているタオロンとファンルゥを救い、ルイフォンを勝利に導くための――。
ルイフォンは、袖に隠した刃を右手に滑らせ、無機質な顔で〈蝿〉の背中を見やる。
暗器に塗られた毒は、ひとたび体内に入れば、丸一日は目覚めることがない。その間に、〈蝿〉を鷹刀一族の屋敷まで運び込む。
タオロンは脱出に協力してくれる。
ファンルゥの腕輪の毒針の仕掛けは、〈蝿〉の脳波がスイッチだ。奴が意識を失っていれば無効。そして館の外に出れば、リモコンの範囲外で無効になる。
――これで、終わりだ!
ルイフォンは無慈悲な眼差しで、肘から先を鋭く振り下ろす。
指先から飛び出した菱形の刃が、ぎらりと煌めき、彗星のように長い尾を伸ばした……。
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