第2話 権謀の館(1)

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第2話 権謀の館(1)

「もうすぐ、庭園の門が見えます。ここから先は会話を控えましょう。あとは、計画通りにお願いします。……お気をつけて」  車の後部座席に座ったハオリュウが、険しくも力強い声でそう言った。いよいよだという意気込みが伝わってくる。 「任せろ。お前も、気をつけろよ」  ルイフォンは、座席の下に作られた隠し空間から、くぐもった声で答えた。  こちらも気合い充分なのだが、狭い場所であるため音が籠もった。文句を言うつもりはないが、大柄なリュイセンと密着せざるを得ない、窮屈な状態である。蒸し暑くないようにと、しっかり効かせてくれた空調がありがたかった。  道すがら、目印があるごとにハオリュウが位置を教えてくれていたので、そろそろだとは思っていた。それでも、はっきり告げられると、さすがに鼓動が早まる。  その気配を察したのだろう。リュイセンが「やっとだな」と頼もしげに囁いた。鷹刀一族特有の、低く魅惑的な声がいつもよりも穏やかに響き、安心感を(いざな)う。 「ああ、そうだな」  多少の虚勢が混ざりつつも、ルイフォンは口角を上げ、好戦的に笑った。  ほどなくして、車は音もなく停車した。  ハオリュウと門衛と思しき者の声が、幾つかのやり取りを交わしたあと、門扉の開く音がして車が再び動き出す。  数週間もの間、門を抜ける方法を模索していたのが嘘のように、車はあっけなく庭園内への潜入を果たした。  舗装された道のせいか、緋扇シュアンの運転が意外にうまいのか。傾斜の重力を感じつつも、たいした揺れを感じることなく、車は滑らかに走っていった。  やがて、緩やかにブレーキが掛かる。ルイフォンたちからは見えないが、館の正面玄関に着いたのだろう。ここからが緊張の時間だった。  貴族(シャトーア)の当主であるハオリュウは、ここで降りる。介助者であるシュアンも、当然、ここから付き添う。  そして。  残された車は、エンジンはそのままに摂政側の人間に鍵を預け、車庫に移してもらうことになっているのだ。そのとき、ルイフォンたちが隠れていることがばれたら、ハオリュウ共々、絶体絶命に陥る――。 「……」  ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。  前方の扉が開き、シュアンが出ていく気配。トランクが開けられ、車椅子が降ろされる振動。後部ドアから、ハオリュウが出ていく物音……。  車の外に、複数の人間がいるのを感じた。歓迎の言葉と共に、彼らはハオリュウを案内しながら消えていく。  残った気配は、ひとつ。  車が揺れ、運転席に人が乗り込んだのが分かった。シュアンよりも手荒な運転で、車が動き出す。  ルイフォンとリュイセンは、じっと息を潜めた。  あらかじめ入手しておいた庭園の見取り図によれば、車庫は館の半地下だ。使用人たちの出入り口を兼ねた造りで、そこから直接、建物内に入れる。この館は、もともと過去の王が療養するために作らせたものであるから、食材を始めとする物資を車で運び込みやすいようにできていた。  時間にして、ほんの数分。これを乗り切れば、ひと安心なのだが、ふたりにとっては永遠にも近い長さだった。  ――――……。  運転していた人物の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。周りの気配を探っていたリュイセンが、指先でちょいちょいとルイフォンをつつく。車庫には誰もいない、ということだ。  ルイフォンは、安堵の息をついた。  座席下の隠し空間から這い出し、運転席の影に身を潜めながら携帯端末を操作する。まずは車庫の監視カメラをダミー映像に切り替えるのだ。前もって準備してあったので、半地下の薄明かりの中でも作業に支障はなかった。 「リュイセン、車から出るぞ」  狭い空間からの解放感を味わっている暇もなく、すぐに移動だ。  カメラを無効化しても、直接、誰かに出くわしてしまったら元も子もない。車庫で見つかれば、間違いなくハオリュウとの関係を疑われるだろう。一刻も早く、この場を離れる必要があった。異母弟を心配しているメイシアのためにも、ハオリュウに害が及ぶことは絶対に避けねばならぬのだ。  出発前、メイシアはいっさいの不安を口にしなかった。  ただ彼のそばに寄り添い、彼と目が合うと澄んだ眼差しで微笑んでくれた。それから、ほんの少しだけ彼の肩に頭を預け、そっと指先を絡める。  そして、柔らかに告げるのだ。 『信じているから』――と。  以前、彼女の父親を救出するために、ルイフォンは斑目一族の別荘に潜入した。あのときの彼女は、今にも泣き出しそうな顔で彼を見送った。後ろ髪を引かれる思いで屋敷をあとにしたのだが、現在の彼女は違う。  彼女が、心細くないわけがない。本当は彼だって、失敗を恐れている。  でも、彼女が笑ってくれるから、彼も強気で笑い返せる――。 「メイシアのことを思い出していたか?」  不意に、リュイセンの声が響いた。 「え?」 「顔が、だらしないぞ」 「……すまん」  ルイフォンは、自分の顔をぴしりと叩いて引き締める。 「まぁ、緊張で張り詰めているよりはいいさ。今日は、長丁場だからな」  苦笑混じりに、そんな言葉が漏らされた。リュイセンこそ焦れる気持ちでいっぱいだろうに、泰然といえる笑みだった。  リュイセンは変わったな、とルイフォンは思う。どこが、というほどには大きな変化ではないが、雰囲気に余裕ができた気がする。 「そうだな。今日は、長い」  ルイフォンもまた、大きく構えることにする。  夜まで待ってからの、作戦開始だ。  寝込みを襲う形で、ほぼ一撃で〈(ムスカ)〉を昏倒させ、睡眠薬を投与する。それから、タオロンの協力をあおぎ、車を使って〈(ムスカ)〉の身柄を運び出す。ハオリュウとも、鷹刀一族とも関係なく、〈(ムスカ)〉が自分から庭園を逃げ出したふうを装うのだ――。
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