3.告白

1/1
前へ
/37ページ
次へ

3.告白

「こんなとこに呼び出してなんの用?」  振り向いた謙太郎の顔を見た瞬間、なけなしの勇気が水に沈んだわたあめのように萎んでいく音が聞こえるようだった。 「ごめんね。実はその……」  訝しげな視線を受け止められず、下を向く。夕暮れのキャンパスにはほかにだれもいなかったが、運動部の威勢のいい声が遠くに聞こえていた。 「やっぱいい。なんでもない」 「なんだよ。気になるじゃん。いえよ」 「いい。やめとく。せっかくきてもらったのにごめん」  謙太郎の脇を抜けて教室を出ようとしたが、すれ違う前に腕をつかまれた。聞き手の左手にバッグを提げていたため、右手で理久の手を取り、振り向かせる。 「理久」  低い声で名前を呼ばれ、体が硬直する。 「最近変だぞ、おまえ。どうしたんだよ」 「べつに……」 「なんか悩みでもあんの」 「ないよ。そんな悩みなんか……」 「おれにもいえないことなのか?」  謙太郎は昔から強引な性格で、そのつよい視線にとらえられると、理久にはなにもいえなくなってしまう。 「もし……」  言葉が喉の奥で絡んでうまく出てこない。黒縁眼鏡の奥でせわしなく眼球を動かしながら、理久は呟いた。 「もし引かれたら嫌だから」 「なんでだよ。引くわけないだろ」 「謙太郎に嫌われたら……」 「嫌いになんかならない」  つよい口調だった。腕をつかむ手に力がこもる。  しばしの沈黙の後、理久は決意を固め、瞼を閉じた。固く目を瞑ったまま、いった。 「ぼく……ぼくはもしかしたら……ていうかたぶん、男子が好きかもしれなくて」  声が震え、語尾が掠れた。謙太郎の反応を見る勇気はなかった。 「そっか……」  謙太郎が小さく呟く。その呟きの意味を読み取るのが怖くて、理久は両手で顔を覆った。 「引いた?」 「引いてねえよ」  心外というように首を窄める。 「そうなのかなとは思ってた」 「そっか……」  おなじように呟いて、理久は視線を上げた。幼い頃から見つめ続けてきた幼馴染みの笑顔が目の前にあった。 「そんくらいでおれが態度変えると思ってたのかよ」  謙太郎の言葉に、理久は再び視線を落とした。謙太郎の顔から笑顔が消える。 「え、もしかして……」  理久は顎が鎖骨に埋まりそうなほど深く俯いた。 「おれ?」  謙太郎の声が頭上を揺蕩う。 「おれのこと好きなの?」 「ごめん……」  かろうじてその一言だけ発したが、謙太郎には伝わったようで、驚いた顔で立ち竦んでいる。 「いや……」  再び教室を沈黙が支配する。いたたまれなさに耐えられず、理久は今度こそ立ち去ろうと謙太郎に背を向けた。 「じゃ、そういうことだから」 「待てよ、理久」  突然腕を引かれ、体勢を崩した理久を謙太郎が咄嗟に支える。互いの顔が触れあいそうなほど近づき、視線が絡んだ。慌てて距離を取ろうとしたが、謙太郎は理久の体を離そうとせず、むしろ背中に回した腕を腰に巻き、さらに密着した。 「謙太郎……」  突然抱きしめられ、理久は混乱していた。行き場のない手をぶらりと垂れ下げ、謙太郎の肩ごしに教室の壁を見つめていた。 「理久」  理久の細い体をきつく抱きながら、謙太郎は低い声でいった。 「……どうしよう、理久」  焦点が合わないほどの距離で見つめ合う。昔から知っているはずの、しかしはじめて見る謙太郎の表情に、理久の胸はどうしようもなく高鳴っていた。謙太郎が囁く。 「おれ、理久がかわいい」   「こんなとこに呼び出してごめん」  日が沈んで薄暗くなった図書室に入ると、小柄な男が待っていた。読んでいた本を閉じて席を立つ。 「いや、べつにいいけど……」  部活が終わったばかりで汗を吸ったユニフォームの袖をつかい、鼻を啜る。なぜこんなところに呼び出されたのかわからず、緊張し、警戒していた。目の前の男はかなり小柄で、ひとりのようだったから、喧嘩を売られるというわけではないようだが、用件がまるで想像できないのは不気味だった。 「えっと……」 「あ、ごめん。ぼくのことわからないよね」  おれの戸惑いを察したように、相手は椅子を避けるようにおれの前に移動した。 「4組の漆原」 「ああ……よろしく」  なにが「よろしく」なのか自分でもわからない。はじめての経験におれは完全に困惑していた。 「おなじクラスになったことあったっけ」 「ううん、ない」  一度でも言葉を交わしたことがあれば思い出せるはずだ。しかし、名前を聞いてもまったくピンとこない。部活でも特別授業でも見たおぼえがない。なぜ相手がおれのことを知っているのかさえわからなかった。  とりあえず、物騒なことにはならないようだ。不安を抱いていただけに、安堵していた。いちおう運動部に籍を置いてはいるものの、不良グループや諍いには縁がなく、腕っぷしにも自信がない。  因縁をつけられるのでなければ、部活の勧誘だろうか。しかし、3年の夏でもう部活動は終盤に差し掛かっている。もし女子であれば真っ先に告白を想像するところだが、当然それもちがうだろう。 「で、おれになんか用?」 「あ、ちょっと待って」  警戒心を隠しきれていなかっただろう。漆原は慌てて席にもどり、大きな手提げバッグをまさぐった。  宗教かネットワークビジネスの勧誘だろうか。署名の協力でも求められるのかもしれないと思ったが、バッグから出てきたのは一冊の漫画だった。 「この漫画、知ってる?」  差し出された漫画をひとまず受け取った。『ぼくらの恋には込み入った事情があって。』とやたら長いタイトルにも『URU』という対照的にやたら簡素な原作者名にも表紙の絵柄にもおぼえがなかった。ぱらぱらと捲ってみたが、内容にもなにも思い当たらない。考えるまでもなかった。表紙をひと目見ただけで、少女漫画だとわかる。それも、おそらくは男同士の恋愛がテーマになったものだ。  そういうものが存在することは知っていたが、実際に目にするのははじめてだった。 「長えタイトル」 「漫画化されるときにタイトルが変更になって……」 「詳しいな」 「それ書いたのぼくなんだ」  ページを捲るおれをじっと見て、漆原がおずおずという。 「え、そうなの。原作ってこと?」  URUというペンネームは漆原の名から取ったのだろうか。漆原は恥ずかしそうに頷いた。 「趣味で書いてた小説をコンテストに応募してみたら、賞をもらえて。副賞で漫画化されたんだ」 「へえ。すげえじゃん」  おなじ学校に作家がいたとは。すくなからず驚かされたが、次の言葉にさらに驚かされることになった。 「そのキャラのモデルがきみなんだ」  ページから目を上げ、見知らぬ同級生を見つめた。 「なに?」 「風祭をイメージして書いたキャラクターで……」 「え? ちょっと……」  まったく想像だにしていなかった展開。パニックを起こしていないのが不思議なほどだった。  もう一度表紙を見て、中身にも目をはしらせる。帯の説明文からすると、背が高いイケメン主人公の名は「風間」というらしい。 「これおれ?」 「そう」  漆原が小さく頷く。そうとう恥ずかしいのか、耳まで赤くなっている。 「なんでおれ?」  疑問はやまほどあったが、真っ先に出てきたのがこれだった。 「おれら、しゃべったことないよね?」  唖然としているおれに、漆原は消え入りそうな声でいった。 「なんとなく……小説書いてみようと思ったけど、見本が必要っていうか、完全オリジナルだと、いまいち人物に現実味がなくて」  答えになっていない気がしたが、おれも混乱していてうまく言葉が出てこない。沈黙を怒りととらえたのか、漆原の顔色が薄くなっていく。 「ごめん、勝手に……」  青白い顔を伏せ、落ち着きなく爪を弄りながらいう。 「気持ち悪いよね」 「いや、べつに……」  怒るべきなのかもしれないが、驚きのほうが大きく、正常な判断はできそうになかった。 「ほかの奴も書いてんの」  ページを捲りながら尋ねる。 「ほかの?」  質問の意図をはかりかねたようで、漆原が首を傾ける。 「おなじクラスの奴とか……」 「ああ……や、全部風祭だけ」 「全部?」  漆原の言葉に眉を顰める。 「これ以外にもあんの」  漆原は躊躇しながらも頷いた。 「ほかにも書いてるってこと?」 「1年のときに書きはじめたから、だいたい10作くらい……」  驚きすぎて本格的に言葉が出ない。 「全部漫画になってんの?」 「漫画化されたのはこの一冊だけ。あとはネットで公開してて……」  知らないうちに自分がモデルになった小説が不特定多数の人間に読まれているという事実。衝撃が大きすぎる。 「本当にごめん」 「いや、怒ってはいないんだけど……」  小柄な体をさらに縮めて謝る漆原を見下ろし、いった。 「なんで今おれにいうの? おれこういう系の漫画読むことないし、名前もちょっと変えてるから、いわなきゃたぶん一生気づかなかったよ」  当然の質問のように思えたが、漆原はぎこちなく口籠もった。爪の先で指の付け根を擦っているのは癖らしい。 「実は、この漫画が今度ドラマ化されることになって」 「ドラマ?」  これ以上驚くことはないという予想がことごとく覆される。 「すげえな。人気なんだ」 「そうでも……」  どんな顔をしていいのかわからないといった様子で漆原が視線を泳がせる。 「今までは一部の界隈にしか知られてなかったけど、テレビで流れたら、風祭に知られちゃうかもしれないと思って。今さら名前や設定を変更もできないし……」  なるほど。本人にばれて問題になるよりも事前に打ち明けたほうがまだいくらかましということか。 「つまり、おれの許可がほしいってこと?」 「もし嫌ならドラマの話は断るけど……」  漆原は今にも卒倒しそうなほど白い顔をしている。爪で弄っている指の皮膚が赤く腫れはじめている。 「いや、べつにそこまでは」  咄嗟に答えた。 「ドラマ化されるくらい人気の漫画だったら、楽しみにしてるファンもいるんだろ? テレビ局のひととか、いろんなひとが絡んでるんだろうし」  紙の上で颯爽とポーズを取るイケメンの絵を眺めながら、いった。 「第一、このイケメンキャラのモデルがおれなんてだれも気づかないし、いっても信じないよ」  顔の周辺に花を纏ったキメ顔のページを指し示す。 「ほんとにおれ?」  おなじポーズを取ってみせると、漆原が小さく噴き出す。ずっと緊張で強張った顔をしていたから、笑った顔を見たのははじめてだった。おれとおなじ3年とのことだが、笑顔はあどけなく、中学生といわれても通りそうだ。 「なんでおれなんだよ」  もう一度、最初の質問を繰り返した。 「こういう漫画の主人公っぽい奴はおれ以外にもっといるだろ。サッカー部の櫻井とか、生徒会長の橋本とか」 「ああいうのは全然ちがう」  これまで歯切れが悪かったのが嘘のような即答だった。 「ぼくも、毎回おなじ特徴よりは、ちがうモチーフもあったほうがいいと思ったりしたけど、風祭以外には興味が湧かないっていうか、書こうとしても書けなくて……」 「ふーん……」 「あ、でも変な意味じゃないから」  漆原が我に返ったようにいう。 「変な意味って?」 「だから……ぼくが風祭に対してどうこうとかそういう気持ちはないっていう……」 「ああ」  その可能性は考えていなかった。同性を恋愛対象にする人間の存在は理解していても、身近に感じることはなかった。いわれてみれば、疑いを持たれてもしかたない状況ではある。 「漆原って、そっちなの?」 「え……」 「こういう……」  漫画の紙面を示すと、漆原が慌ててまた視線を逸らした。 「わかんない」 「わかんない?」 「ちゃんとひとを好きになったこと、まだなくて……」  そういうものなのだろうか。生まれてから17年間、男として生活して女を好きになるのが当然だと思い込み、疑うことはなかった。 「ドラマの件はOKってこと?」  なかば無理矢理に、漆原が話題をもどす。話を切り上げ、帰りたがっているのはあきらかだった。 「原作としてお金もすこしもらえるから……」 「金はべつにいいよ」  漫画の表紙を眺めながらいう。 「これ、借りていい?」 「え?」  手のなかの漫画を漆原に見せ、いった。 「いや、だってどんなふうに書かれてんのか実際読んでみないとわかんないし」 「え、でも」 「読んだら返すから」  漆原にとってもおれの反応は想定外だったらしく、目を丸くして口を開閉させている。 「じゃ、おれ行くわ」  呆気に取られてその場に立ち尽くしている作家を置いて、おれは漫画を持ったまま図書室を出た。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

56人が本棚に入れています
本棚に追加