6.エス

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6.エス

「風祭って、S?」  おれの数メートル先を歩いていた漆原が振り向かずに尋ねた。 「エス?」  鸚鵡のようにそのまま聞き返す。 「サディストのS」 「ちがうけどなんで?」 「ちがうけどなんで?」  今度は漆原のほうが復唱した。 「どエスじゃなきゃ出てこないだろ、その言葉は」  思わず笑ってしまう。漆原はげんなりした表情で振り返った。わずかに体を揺すってリュックを背負いなおす。 「なんでついてくんの」 「べつに理由はないけど」  はぐらかすように答えると、漆原は居心地悪そうに手提げバッグを胸に抱えた。再びおれに背を向け、駅に向かって歩きはじめる。 「なあ、漆原」  小柄な背中に話しかけたが、無視された。 「シカトすんなよ」  漆原は答えない。おれの存在をないことにしようとしているかのように黙々と歩いている。 「漆原」  ほとんどはしるような速度で進む漆原に追いつこうと歩幅を広げる。漆原の背中が弾みはじめている。運動は苦手のはずだ。それほどおれのことが疎ましいということか。 「ブロックすんな」  漆原が足を止めた。すこし離れた場所で距離を保ちながら、おれも立ち止まった。線路沿いの道だ。電車が通り過ぎ、わずかな時間が空く。  車輪が線路を擦る摩擦音のなか、漆原が再び振り返った。身を守るかのように両腕でコットンバッグを抱えている。なにが入っているのか、いつも大量の荷物を持ち歩いている。これまで気にならなかったことがなぜか気にかかる。 「悪いんだけど」  通り過ぎて行く電車が残す雑音にかき消されそうなほどの小さな声で、漆原はいった。 「これからバイトだから」 「バイトしてんの? なんのバイト?」 「……なんでそんなこと聞くの」  漆原の声には警戒心が混じっていた。 「漆原はおれのこと知ってんのに、おれは漆原のことなんも知らないって、フェアじゃないじゃん」  すこしの間迷ってから、漆原はいった。 「本屋さん」 「どこの?」 「駅前」  必要な単語だけを簡潔に答える。 「アパレル系かと思った」 「アパレル?」 「ファッションに詳しいだろ」 「あれは……付け焼刃の知識だから」  小説の話になるとたちまち羞恥心を露にする。確実に相手を追い詰めることのできる強力な武器だ。 「うちの学校、バイト禁止じゃなかったっけ」 「ちゃんと許可取ってる」  おれも担任に相談したことがあるが、家庭環境など特別な事情がない限りは許可されないと却下された。逆にいえば、特別な配慮を受けられるだけの事情が漆原にはあるということだ。  漆原がどこに住んでいるのか、兄弟はいるのか、親の仕事はなんなのか、なにひとつ知らない。フェアにしたいというわけではないが、興味があった。 「バイト何時に終わんの?」 「なんで?」 「終わったあとメシ食わねえかなって」  他意があっての誘いではなかったが、漆原の警戒がつよまるのが伝わってきた。 「夜はべつのとこでもバイトあるから」 「掛け持ちしてんのか」 「お弁当屋さんで」 「終わるの何時? 待ってるよ」 「だめ。深夜までだから」 「深夜?」  さすがに驚いて尋ねた。 「深夜バイトも許可取れんの?」  漆原が視線を逸らす。学校には申請していないのだろう。 「いくつバイトしてんだよ」 「3つ。家でできるデータ入力のバイトも」 「そんなんもあるんだ」 「業務用パソコンとポケットワイファイが支給されるから」  そのパソコンをつかって小説を書いているのだろう。口数がすくない漆原の言葉や態度の端をたどって真意をつかむコツがつかめてきた。 「なんでそんなに働いてんの」 「べつに……」 「なんかほしいもんとかあんのか」 「……風祭に関係ないじゃん」  突然態度が急硬化して、おれは戸惑った。口調を変えて、いった。 「3つもバイト掛け持ちしてよく小説書く時間あるな」 「コンテストの賞金とか、あとは、出版されたら、すこしだけど原稿料と印税ももらえるから」  質問の意図を微妙にはずした答え。ときどきおなじようなことがある。読書量や語彙から考えて読解力不足はありえないから、作為的なのだろう。または、コミュニケーション能力と言語能力とは必ずしも比例しないということかもしれない。 「話したいなら明日学校で聞くから」  無理矢理話を終わらせて、漆原が再び背を向ける。あからさまにおれを避けてはいるものの、学校を休むことはない。真面目な性格だということは、小説のモデルにしていることをわざわざ直接告白するところからも想像できる。 「なあ、漆原」 「なんだよ、もう」  さすがにしつこいと思ったのか、険しい表情を向けてくる。 「おまえ、なんでおれに念押ししねえの?」 「念押しって?」 「小説のこともバイトのこともさ、内緒にしてって頼んでこないじゃん」  もし自分が漆原の立場なら、たとえ口約束であっても言質を取っておきたくなるところだ。当然の疑問だと思ったが、漆原はどうしてそんなことを聞かれるのかわからないとでもいうように眉間に皺を寄せた。 「だからさ、おれがだれかにしゃべるかもしれないとか、心配じゃねえの?」 「ああ」  そういうことかと頷いて、漆原ははっきり答えた。 「べつに心配じゃない」 「なんでだよ。おまえのサイトとか漫画とか、学校のやつらに見せるかもしれないじゃんか。ドラマの件だってまだ公表されてない情報だろ。もしおれがSNSとかに暴露したらまずいことになるんじゃねえの」  漆原はきょとんとした顔になった。首を傾け、いった。 「風祭はそんなことしない」  なにげない一言は、意外なほど鋭くおれの胸を突いた。 「やば。遅刻しちゃうから。明日学校でね」  スマホのディスプレイで時刻を確認して、漆原は慌てて駅のほうへはしっていった。今度は追いかけなかった。厳密にいうと、呆然としてしまい、動けなかった。漆原の言葉が胸の奥に深く刻まれ、そこから血流に乗って全身に広がっていくようだった。
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