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Ⅰ
さくさくと雪を踏みしめながら、たまにそこにふざけて埋まりながら、二人進んでいる。静かな白の世界に僕らの笑い声だけが響いている。
冬は寒いし食べ物も取れず退屈だ。だから大抵のみんなは寝入ってしまう。でも一斉に寝入るわけでなし、リズムはまちまちだ。僕のような眠れない奴は暇つぶしにスピカのお屋敷へ本を読みに行く。そこに行くと同じように目の冴えた奴らが、暖炉の火を囲んで本を読んでいる。
それでも冬に起き続けているなんてモノはいない。渓谷唯一の人間、リズも冬眠りを覚えてからはスピカのリズムに合わせて眠っているようだった。そんなこんなで、本格的な深雪が到来する頃には一人残らず眠りにつくのが常のことだった。
そんな深雪の真っ只中に目が覚めてしまう馬鹿者がこの僕なのであった。
なので僕はもう一人の馬鹿者、ピクシーと渓谷を抜け出し、ある場所へ向かう。このピクシーは、ただただ真っ白く美しいだけの空間で特に何もすることがなく落胆していた僕を見つけ、この秘密を共有してくれた素敵な変わり者だ。
パウダースノーを孕んだトルネード、それが作り出すミステリーサークル、水晶のような大氷柱、ケラッハ・ヴェールの唸り声、シャーベットみたいな雪の丘は天然の滑り台、薄青い空、一層鏡のように光る湖面、ジャックフロスト、、、外の冬は案外おてんばで面白い。外の冬を見ていると、渓谷の冬がどれだけ雪深いことかを教えられる。冬の楽しさを彼が教えてくれたようなものだ。
そして、今向かっているそれはとりわけ美しいのだ。
と、前を歩くピクシーが立ち止まり、振り返ってきた。視線の先を見やると、白い丘の上に何かがいる。
近づいていくと、果たしてそれはヒトだった。女のヒトが馬のそばに佇み、白い息を吐き出しているのだった。目を凝らしたその顔にどうも見覚えがあった。気付かれないように近づいたところで声を張り上げる。
「もしかして、”狂戦士”のタバサちゃんかい?」
「はぁ?!」
こちらを向いたシトラス色の瞳に確信を持つ。
数年前に僕らのホーム”不見の渓谷”に押しかけてきて、我らがリーダー、星竜・スピカとバトルロワイヤルをかました女戦士の片割れだ。数年ぶりにお目にかかる彼女はすっかり大人びた顔つきになって、髪も背も伸びている。そんな彼女は、小綺麗ながら飾り気のない冬着姿で、顔を見知っているモノでなければ一国の王女だなんて気づかれまいと思えた。
「随分久しぶりだねぇ。すっかり大人っぽくなった」
「お前たちは相変わらずのようだ」
「一人なのかい? ”相言葉”のノエルちゃんは?」
「置いてきた。今日は本当に一人さ」
「きみ、お姫様だよね……? 一人でいいの?」
ピクシーがこう口を挟むと、「お姫様が一人で雪原をうろついていてはいけないかい?」と返ってきてしまったので、彼はまだ何か言いたげな口を閉じざるをえない。
「お役目に疲れると一人で抜け出してくるんだ。といっても普段はこんなに遠出はしないのだが、最近城に籠りきりだったからな。久しぶりにこちら側まで来た」
その言葉を受けて、ふうんと零す。
「お姫様の役割ってそんなにあるのかい?」
僕の問いに彼女は、ふふ、と笑みを漏らした。その笑みが、唇の隙間をぬって、寒空に凍てついて絵になった。
「中でもわたしは特殊かもな……わたしは第6特殊戦闘部隊補佐官で、、、ああ、国の戦闘部隊の中でも、害をなす妖魔を相手にする魔法戦士たちの師団、隊長がNo.1ならわたしはNo.2だ。ただ同時にわたしは国王第一王女。ここ数年、前線に出ていないんだ」
「戦闘がしたくてたまらないってこと? やっぱり戦闘狂じゃないか」
彼女が強いとは思っていたけれど、実際相当の地位にいるようで目を丸くする。
「違う。いや違わないが……わたしが嘆いているのは男女の格差と身の上さ。男は外で文武をふるい、女は家を守る。そしていづれわたしにもその責務が。
ああ、いや、本当はそんなことを言いたいわけではない……環境や景色はどんどん変わっていく。変わらないのは己が心だけ――けれどずっとずっと、好きなことばかりをしているわけにもいかないのさ」
“責務って? 避けることはできないの?”と、まさしく質問しようとしたことを先回られ、僕は口をつぐむ。
「そんな現実、飲みこんだつもりだったのに……」
タバサちゃんの眼差しはどこか諦観の色を浮かべていて怪訝に思っていると、シトラス色の瞳が僕らを映した。
「結婚の話が出てしまった」
結婚とは、恋愛をしたモノ同士が一緒にいることだ。一緒にいることに名を欲したカップルの儀式。だからといって四六時中べったりなんて奴はいないわけだし、一緒に過ごしていくことに変わりはないのだから、別に結婚なんかしなくてもいい。それでも例えば、”一人でも、二人でも、別の誰か大勢の中にいたとしても、とりあえず自分には一人確かな味方がいるのだわと思えることが、結婚のいいところよ”なんてメイから聞き出したことがある。
「結婚とはどんなものだろう」
どんなものと言っても……僕らも顔を見合わせ首をひねる。
「スピカとリズの結婚式、きみも参列しただろう?」
「そうじゃなくてだな……全くの他人同士が少しづつ距離を縮め合って、夫婦として人生を歩むということが、結婚だ。きっかけは出会いだったり、知り合いの仲介だったり、、、わたしはお見合い一択さ。それまで、誰か一人への愛なんて、ましてや恋なんて微塵も興味なかったしできないと思っていたのに……けれど、これも王女の大事な責務なのだよ。父上を困らせてばかりいられない。在りたい姿と在るべき姿とは、イコールになり得ない……けれど、抵抗感は拭えない」
「抵抗感があるなら、止めればいい」
僕は思ったことを口にした。
「そんなのごっこ遊びだ。不確定な気持ちで恋愛ごっこをして面白い?」
「わたしは兄妹のいない、町唯一の王女だ。先に言ったように、町を守護し、後継ぎを産み参らすことがこれからのわたしの在り方で、大切な責務なのだ」
「そこにきみの心は、幸せはあるの? あるならば僕は何も言わないけれど、”好き”がない生活は生きている心地がしないものだ」
「”好き”は在る・無しではない。見つけるものだ。恋愛を知らぬまま結婚したとしても、結婚してから恋愛すればいい。一緒に生きるからこそ好きになる努力をするのだ」
「じゃあ子供は? 後継ぎを産むだなんて、そんな器みたいな考えは悲しいよ。好きなモノ同士だから子供が、」
「器なんだよ! 女に生まれた時点でわたしは!」
それまで静かに話してくれていたタバサちゃんがやおら大声を上げる。寒空にその叫びは、切るように、切り裂くように、僕らの耳を突き抜けた。
叫んで悪かった、と直ぐに謝ってくれた彼女は息を吐く。
「お前たちは、自由だ」
タバサちゃんは空を仰ぎ、凛々しい空気をその身に染み込ませるように目を閉じる。
「結婚してもしなくても良くて、子孫だとか国の未来だとか、繋ぎ、遺すことを考えず、あるがままを生き、この地が変わるに任せ受け入れる……お前たちのリーダーが人間のお嫁さんを娶ったとしても、順応する……」
「それは違う」
黙って聞いてやりたかったけれど、僕は噛み付くように口を挟む。
「僕らが人間を受け入れたのは、あの慣習が本当に慣習として、永く永く続いてきたからだ。人間をお客さんとして迎える心構えがすっかり出来上がっているからだ。その気になれば僕らは、誰でも殺せるんだよ」
……後半は嘘だ。妖魔は根底に悪意があるので、騙し、困らせ、大概何でも殺せると思う。けれど僕らはそこから外れた、悪意の薄いマイノリティ(一部例外はいるにしても)。だから僕らは集い、あの渓谷で暮らしている……
僕の主張にタバサちゃんは、そうか、と呟き遠くを眺めやる。
「本人から聞いた話だが、姉さんはそちらへ行く前、恋愛をしたことがなかったという。スピカ竜が最初で最後のパートナーなんだと」
にやりと可笑しそうに笑う彼女の顔をみてほっとしかけるも、直ぐに真顔に戻ってしまって、表情がコロコロ、見ているこっちが落ち着かない。
彼女はあのドラゴン夫婦のことを、実は快く思っていないのだろうか。
「あの頃のわたしはとにかく、姉さんを取り返したくてがむしゃらだった。そしたら、悪役のはずだったドラゴンが実は穏やかでお人好しで」
それまでじっとしていた馬が、彼女の心の機敏を感じ取ったのか、首を伸ばしてすり寄る。それに微笑み彼の(オス馬だ)鼻づらを撫でてやる手つきが優しい。
「矛盾してるんだ、結局は。大好きな人に幸せになってもらいたいけれど、その役目はきっと素敵な人。仕事熱心で、優しく利他的で、お金遊びをせず、姉さんを心から大切に想う人……本音、そこにわたしたちはいなくてもいいと思えなかったエゴだ。相手が人間なら簡単に会いにいけるから……これに気付いたのはあの日、実際に二人を目の当たりにした時だったのだがな」
でも僕らは知っている。彼女がスピカとリズの子供を取り上げたことを。とうとう生まれるんじゃあないかと噂していた頃、あの時のように突然現れてオンバ様の家兼助産院に入り、懸命に仕事をしたと。その子の産声を聞いた時二人とも泣いて喜んでいたと。それを言うと、「ついこの間までこの思いに至らなかっただけさ。それに、命を前に余計な感情は失礼だ」と最もな回答をもらった。本当にリズを慕っているのだなと思った。
「姉さんは骨の髄から人間なんだよ。そのパートナーは人間じゃあないんだよ。価値観が種族規模で違くて、上手くやっていけているのだろうか……
偏見なんだ、結局は。形だけを人に真似たところで何になろう? 古来より人間と妖魔との異類婚姻譚は存在するが、わたしは疑っているのだ。本当に最後まで添い遂げたのだろうかと。人と妖魔の恋愛は真なるものなのかと。わたしの中で未だに決着がついていないということに、自分の結婚を前にして気付いてしまった……ノエルとな、あの日あの夜、何はともあれ見守ろうじゃないかと話したくせに、二人の結婚に納得して、飲みこんだはずだったくせに、わたしだけが古い価値観の中で置いてけぼりをくらっている。何だか自分が嫌になって、冷たい空気を吸いたくて出歩いたら、お前たちに遭遇したということだ」
一息に話し終えたタバサちゃんが大きく息を吐くと、白い息の塊が、絵になる間もなく空気の中に融けていった。
ああそうか、と思い至る。目の前の彼女がやけに大人びて見えるのは、外見だけではない。数年前、初めて会った時の彼女の一人称は”あたし”だったはずだ。それが目の前の彼女は”わたし”と言っている。
人間は、言葉から大人になっていくらしい。そのことに何だか、物寂しさを感じてしまう。
僕ら妖魔は数百~数千年も生きる。変化魔法で好きな姿にはなれるけれど、普段のこの姿は自身のルーツや性格によって形作られるものだ。ニンフは大半を若い女の子の姿でい続け、シルフィードは少女の姿、ゴブリンは強い皮膚を持った子鬼、ピクシーは、洗礼を受ける前に亡くなった子供の霊が変化したモノ、といった具合に。
僕ら変わらないモノにとって、変わっていくモノとは、勝手に置いて行かれていっているような気がして、寂しく、ちょっとだけ羨ましく映るのだった。
そして今彼女は、変わらないところと変わろうとしているところの只中にいる……
「一緒に来るかい? 暇つぶしと物見になるよ」
じっと彼女の話を聞いていたピクシーが初めて口を開いた。
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