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Ⅲ
水音がした。
目を丸くしたアスレイの顔にぶわりと朱が広がったと思ったら、もう彼女の姿は消えていた。あるのは沈黙と水溜まり。その水溜まりも瞬く間に水面になじんで、見えなくなった。
「水に、、、溶けてしまった?」
「あいつ身体が熱いと溶けちゃうんだ。あれは照れたんだよ」
「大丈夫。そのうち戻るから」
僕らが交互に答えるとタバサちゃんは、ふうんと返して、尚水面を見つめていた。
全く見事だった。この豪胆なお姫様は、アスレイですら気付いていなかった、いや心の奥底には存在していて、でも見ないふりをしてきただけかもしれない彼女の美しさを教えてあげたことで、彼女の中に巣食う憂いを蒸発させてしまったのだ。
それでもアスレイの冬の葬式は続くのだろう。けれど、悲壮と哀愁の只中で、こんなことをして何になると自問して、、、そんな彼女の行いが、きっと確かに報われていると、慰めではなく言ってもらえた。それで今は十分だろう。
「わたしはきっと、認めたかったんだ」
ぽつり、風の唸りに紛れそうな言葉を拾って、彼女を仰ぎ見た。
「種族だとか、身分だとか、重要なのは外聞じゃあない。心があれば十分だ」
独り言にも近い呟きはどうにも、タバサちゃんが自身に教え聞かせるような調子があった。彼女の頬も両手も霜焼けで真っ赤だ。
「今更ながら、姉さんの相手がスピカ竜で良かったのだろうと、今度こそ本当の意味で、良かったと、心から感謝できる」
――僕ら妖魔は心に敏感だ。ウンディーネやエンプーサなんかは罵詈雑言の類を受けると泣いて逃げ出すほど、僕らは心に敏感だ。
心にないこと、なんて、心にないなら言えるわけがない。だからこれは、心にあるからこそ言える言葉。
じっと水面を見つめていたタバサちゃんが顔を上げる。その表情は差し込んできた光に照らされたからだけでなく、どうにも晴れやかなものだった。
「ねえタバサちゃん、結婚するならどんなヒトがいい?」
ふと最初の話題を口にする。タバサちゃんが振り返る。
「城で王女様をやっているより、剣を振るう方が気分が良くて、馬一頭で勝手に出かけて、意固地で、口調も上品ではなくて、素直になるだけでここまで時間がかかるひねくれ者。こんなわたしを面白がってくれる人なら上等だ」
そう言って、本日一番の笑顔を咲かせたものだから、僕らもすっかり愉快になって笑ったのだった。
ーー
それから地元民の噂では、氷舞を舞うアスレイはやはり泪を流すものの、以前より憂いの表情を感じられなくなったという。
ハンノキの高き梢より、 汽車はいまや夜にたゆたひ、
きららかに氷華をおとし、 ウェールズのあしたをわたる
見晴るかす段丘の雪、 天青石まぎらふ水は、
なめらかに川はうねりて、 百千の流氷を載せたり
ああ きみがまなざしの涯、 もろともにあらんと云ひし、
うら青く天盤は澄み、 そのまちのけぶりは遠き
南はも大野の果てに、 日は白く水底に燃え、
ひとひらの吹雪わたりつ、 うららかに氷はすべる
[The story goes on.]
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