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年の瀬も迫った師走の休日。
博之は一人、鎌倉市農協連即売所にいた。
通称、鎌倉市場。
20軒ほどの農家が、地場の野菜を直売している。
スーパーなどでは見られないような野菜が彩り豊かに並べられ、目にも鮮やか。
それらを目当に、大勢の地元の人や観光客たちが訪れている。
鎌倉が好きな博之は、自宅のある横浜市内から電車に乗って、年に1,2度は訪れる。けれど、向かうのはいつも鎌倉八幡宮方面。反対方向にあるこの市場に来たのは初めてだった。
鎌倉人参を物珍しそうに見ていた博之は、
「面白いですよね?」
急に声をかけられ、びっくりしてその主を見た。そこでもうひと驚き。
「えっ!?」
今度は声が出た。職場の後輩の路子の、いたずらっぽい笑顔があったからだ。
「路子ちゃん!なんで?」
「山崎さんこそ、なんでいるんですか?」
「俺?俺は鎌倉が好きだから」
面白くもない返事。こういう時、ユーモアのある返しの出来る人が羨ましくなる。
「一人ですか?」
買い物客で賑わう周囲を見回して、路子が訊く。
「うん。本当は妻と来る予定だったんだけど、急に仕事が入っちゃってね」
「そうなんですか。寂しいですね」
「あぁ、いやいや」
そう言われると照れる。
40歳になるが、子供のいない博之は、同い年の妻とは未だ恋人同士のようだ。それは、職場でもちょっと有名なのだ。
「で、路子ちゃんは?」
「私は一人ですよ」
「いや、なんでここにいるの?」
「あ、そっちか」
笑う顔がみるみる赤くなってくる。
25歳。人懐こいけど、どこか純情でぶっきら棒な彼女は、
「一応、農家の娘なんで」
とだけ言って、目の前に並んでいる野菜に目を向けた。
「あぁ、そっか。それで」
たまたま会社の休憩室で一緒になった時、「私は二宮の農家の一人娘」だと言っていたのを思い出し、なるほどと頷いて、博之も改めて野菜を見る。
やや小ぶりだが、色とりどりの野菜が、所狭しと並んでいる。
「きれいだね」
「そうですね」
「これ、買って帰ろうかな」
「いいんじゃないですか。今は根菜が旬ですから、美味しいですよ」
葉付きの人参と大根を1本ずつ手に取った博之に向ける路子の表情が、農家の娘だ。
購入した人参と大根を袋に入れてもらい、二人は市場を出る。
「ははは、面白い」
隣を歩く路子が、突然笑い声を上げた。
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