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「これで、何度目だろう…」
思わず、呟きが漏れた。
莉子との付き合いは、わずか5ヶ月で終わった。伊南にしては、長く持った方だったが。
自分が悪かったのだ。5月からずっと、別の女に心奪われていた。おかげで上の空だった。そんな恋人があるだろうか。愛想を尽かされても、文句は言えない。
(莉子に悪いことしたな…)
飛鳥井に、ちゃんとしろと言われて、心掛けていたつもりだったのに。
伊南は、しばらく自重しようと思った。深い反省を込めて。
「ねえ、私、伊南と別れちゃった」
ラブホの天井を見ながら、煙草を燻らしている男に向かって、莉子が話しかける。乱れたベッドには、さっきまでの情事の痕跡がそこ此処に残っていた。
「ふーん…」
男は、気のない返事をした。飛鳥井諒だった。
「私、フリーになったんだよ。これで、諒くんとも堂々と付き合えるね!」
莉子の言葉に、飛鳥井は白けた表情をした。
「俺、特定の彼女、作んない主義だから。それに、友達の元カノなんて無理!論外だよ」
煙草を枕元の灰皿に、捨てる。
「だって、伊南のヤリかすってことじゃん。無いわー」
「なんで?だって…諒くん…」
さっさと起き上がって、服を着る。
「また、ヤリたくなったら、連絡していいよ。けど、俺からの連絡は、期待しないでね。じゃあね」
莉子を残して、部屋を後にした。
秋が日を追うごとに、深まってくる。
(朱音に会いたい…)
講義を聴いたり、実習をしたりしている間は、集中しているので、思い出す事はない。けれど、一人になって、ふっと気が抜けた瞬間に、込み上げてくる思いに、どうしても蓋をすることができない。
(弓道場に行ってみよう)
これは、純粋に矢を射てみたい気持ちからだと、自分に言い訳をする。
木曜の午後、瀬下とともに弓道場へ向かう。ずいぶん久しぶりだ。でも、ここに来れば、朱音に声を掛けることに、なんの不自然さもないはずだ。弓道のことを話せば良いのだから。
「榊センパーイ!お久しぶりです」
射場に入った途端、数人の女子に囲まれた。中でも、あの胸のデカい子が、グイグイくる。
「私、やっと、的前に立てるようになったんです。見てもらえませんか?」
確か、増渕って言ったっけ。7キロほどの、軽い弓を抱えている。
断る方法を思いつかない。
「…いいよ」
答えながら、周囲を見回す。
(…いた!)
一番、端の的に向かっている朱音の姿を見つける。
ドキンっ!と、心臓が跳ねる。雰囲気が以前と変わった。少し痩せたみたいだ。横顔の頬のラインが、艶かしい。切れ長の眼が、真っ直ぐに的を見つめている。
ため息が出るほど、蠱惑的だ。
一度、見てしまったら、もう押さえが効かない。
(欲しい…彼女を自分のものにしたい…)
視線を外すことができない。
矢を打ち終わった朱音が、伊南の視線に気付く。
慌てて、射場を出ていく。
ハッとして、周囲を見た。増渕たちが、朱音をあからさまに、睨んでいた。
(まずいこと、したな。彼女に嫌な思いをさせてしまった)
それきり、朱音が射場に戻ることはなかった。
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