番外編 妙音天の愛 

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番外編 妙音天の愛 

 ――気に入らない。  龍族のあの若造めが、可愛い私の白蛇と共に宙から降りてきたとは。  先日行われた春の宴を思い出して、私は大いに気を悪くしていた。  手に持った弦楽器、ヴィーナの音に乱れた気が入り込み、思うように弾き続けられない。小さく息を吐くと、共に楽を奏でていた妹の手も止まる。 「兄上、何をそんなに()ねてらっしゃるのです」 「別に、拗ねてなどおらぬ。少々、春の宴を思い出しただけのこと」  まあ、と鈴を鳴らしたような声で妹が笑い出す。私たちは双子で、共に楽を奏でる神だ。勘のいい妹は、私の不機嫌な理由を察したのだろう。 「雲から落ちたところを助けたのでしょう? まさに白龍ですわ、勇ましいこと」 「そもそも円珠を雲に乗せたのは、あの白龍だと言うではないか。落とすような目に遭わせる方がおかしい」 「あら、まあ。兄上はあの子を可愛がっておられること」  妹に憐れみを含んだ目で見られては、これ以上言い募る気も失せる。そうだ、私は白蛇が可愛い。長らく地上にいた妹が、天に帰って告げた時から。  ――兄上、とても愛らしいものを見つけましたよ、と。  あれは、いつだったか。今よりも、ずっと昔の事。  神々は地上にいる間、人間たちが造った(やしろ)に住んでいる。我らの姿を模した人間たちは、地上のあちこちに社を造り、神に祈りを捧げる。その声に耳を傾け祥を分けるのも神の務めだ。  妹は私よりもずっと好奇心が旺盛なので、よく地上に出かけて天界を留守にする。地上に生ける者たちを愛し、神々の中でも地に留まることが多かった。たまには共に参りましょうと誘われても、天から見るだけで十分と断った。それに、妹が留守の間は天界の楽を一手に引き受けて、なかなかに忙しかったのだ。  ただ、妹の土産話はいつも面白かった。長閑な我らの生に比べ、地上の生き物たちの生は瞬く間に移り変わる。今回も、あまりにも楽し気に話すのでつい顔を向けたのだ。妹は両手で光の輪を作り、その中に一人の子どもの姿を映し出した。  真っ白な髪に大きな黒い瞳の可愛らしい童子が、泉の前に立っている。 「これは蛇族の長の子。地上の私の社の近くに、特に清浄な気の集まった霊泉があります。そこに時折やってきて、水珠を作る練習をしているのです」 「……水珠とは、もしや蛇の若水か? あれはそう簡単には作れぬだろう?」  この子なら作れますわ、と妹は微笑む。地に稀なる白蛇ですもの、と。  地上に住まう蛇族には、時折、霊力の高い白蛇が生まれる。白蛇は己の霊力と月神の恵みを合わせて、清浄な水から若返りの水珠を作ることができるのだ。 「ただ、まだ子どもですので、なかなかうまく作ることができません。何度も水珠を作ろうと試みる姿が愛らしくて、気配を感じるとつい眺めてしまうのです」
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