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客人の言葉が気になって、僕は必死に目を開けた。羽織から顔を出すと、逆立った赤髪の若者が立っている。龍族の持つ鋭い瞳が僕を見た。
「赤い……龍?」
「そうだ、ちび。何でこの真冬に起きている? それとも、地上から翔波にさらわれてきたか?」
「しょ、翔波様は僕をさらったりしない……」
「おや、龍の気性をよく知らぬと見える。そんな甘いものではないぞ?」
ニヤニヤと笑う姿がすぐに見えなくなったのは、翔波様が両手で僕の目を塞いだからだ。
「阿呆を見ると、其方の清らかな瞳が汚れる」
「え?」
ぴしりと大きな家鳴りがしたかと思うと、ごおっと風が巻き起こる。おろおろしているうちに目隠しが外され、目の前にいたはずの赤龍の姿は消えていた。
翔波様の御屋敷にお世話になってから、ゆっくりと日が過ぎる。
僕は大層立派な部屋を用意され、何不自由ない生活を送っている。屋敷の中は暖かく、身の回りの世話をする者もつけられて至れり尽くせりだ。
何か僕でも出来ることはないかと言えば、侍女たちは笑って首を振る。地上が春になるまでおくつろぎを、と返されるばかりだ。
春、という言葉で思い出したことがある。
「よろしいか、若君。次にお目覚めの春には……様の元にお仕えすることになります」
確か、じいやがそう言っていた。あの時は冬ごもりの直前で、僕はもう眠くて仕方がなかった。お仕えする先もろくに覚えていないなんて、我ながら呆れる。
(……春までに思い出せるかな)
一緒に生まれたしっかり者の弟がいれば、と情けないことを思う。体が大きくて優しい弟はいつも僕を助けてくれた。まだ屋敷でぐっすり眠っているのだろう。
翔波様は僕をご自分の屋敷に連れて来た翌日から、度々外出されている。初春のお役目は済んでも、龍族は忙しい。雲を呼び雨を降らせることが出来るから、人界に呼ばれることも多い。それに、翔波様は天帝様のお気に入りでお呼び出しも多いと聞く。
僕はそうっと障子を開けて縁側に出た。地上にある僕の屋敷と違って、翔波様の屋敷は天界にあるから、昼間はいつも晴れている。地上は冬なのに、翔波様の屋敷の庭には美しい花々が咲き誇っていた。
庭に出て歩き始めると、広大な屋敷には幾つも渡り廊下がある。その廊下を龍の眷属たちが何段にも重なった箱や包みを持ってぞろぞろと移動していた。まるで屋移りをするかのようで、僕は渡り廊下の端へと近づいた。
「新年を迎えるのも忙しかったが、新たなお住まいの準備はさらに大ごと」
「ご婚儀の為にろくにお帰りにもなれぬとは、主様もお気の毒な」
「無事に天帝様のお許しが出るといいけれど」
(――ご婚儀?)
聞いたばかりの言葉で、たちまち頭の中がいっぱいになった。
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