参 祝いと水珠

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参 祝いと水珠

 彼らの主は、もちろん翔波様だ。翔波様はこれまで独り身だったけれど、ついに婚姻を結ぶお相手が出来たのか。龍族は天界の神々と同じぐらい長い寿命を持ち、番う相手に一途だと聞く。きっと翔波様と同じように立派な方に違いない。  なぜか体から力が抜けて、その場にしゃがみこんでしまった。花々の美しさに目を奪われていたはずなのに、今や目の前に咲く花の輪郭すらうまく捉えられない。 (……お祝いを、言わなくちゃ)  そう思うのに、まるで大きな塊で塞がれているかのように胸が重い。体を丸めたまま、ぎゅっと目を瞑った。 (ああ、あの時もこうして体を丸めていた)  ふっと幼い頃の思い出がよみがえる。天帝様の宴に初めて、父と共に呼ばれた時のことだ。立派な御殿の中には僕よりもずっと大きな神獣や神々がずらりと並んでいて、怖くて仕方がない。父が挨拶回りをしている間にこっそり庭に逃げたら、たちまち迷ってしまった。どこにいるかもわからず木陰で泣いていると、優しい声がする。 「そんなところで、どうした?」  顔を上げたら、凛々しい顔立ちの若君がしゃがんでこちらを見ていた。澄んだ瞳は御殿の中の方々と違って、少しも怖くなかった。 「あ……あの、怖くて」 「怖い?」  話を最後まで聞いた若君は、そっと僕の頭を撫でた。不思議なことに心が軽くなって、強張っていた体が楽になる。 「其方も私も、水に繋がる力を持っている。気の相性が良いのだ。私が怖くないか?」  こくりと頷くと、幼い僕を抱き上げて父を探してくれた。その若君が翔波様だったのだ。  天帝様の宴にはその後も呼ばれる機会があり、翔波様は僕を見つけると、そっと外に連れ出してくださった。庭園の泉水を使って小さな虹を作ったり、雲をたくさん集めて乗ったりと、温かい思い出がいくつも浮かぶ。 (あの頃から、僕は翔波様に助けられてばかりだ)  翔波様の婚儀の話を聞いてからは、屋敷の中が日に日に華やいでいく気がする。翔波様はよほどお忙しいようで、滅多にお屋敷に戻らない。お祝いを告げる機会もなく、一日がやたらと長く感じられる。僕にも婚姻のお祝いに出来ることはないかと考え続けた。 「そうだ!」  ぱっと浮かんだ思い付きに思わず頬が緩む。侍女たちに近くに清水の湧く場所はあるかと聞けば、龍族の屋敷の庭には必ず清水が湧いていると言う。ほっとして、月が高く昇る時をじっと待った。
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