ふるえる願望天

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 「えっ」昴が驚いた声を出すと、男は陶器の茶碗を目の高さに翳しながら、「本にもなっとるし、文学賞も獲ってんで」と付け足した。  父が小説を書いていたなどという話しは、母からも祖父からも聞いたことがない。首をかしげる昴に向かって、男は静かに語り始める。  今から十数年前。父がホラー新人賞に投じた作品が最終選考まで進み、見事、大賞を受賞したのだ。その出来事をきっかけに父は作家デビューし、全国の書店に涸沢仁平の名がクレジットされた書籍が並んだ。初めのうちは売れ行きもよかったらしいが、今は絶版になっているという。 「デビュー作やし荒削りなとこもあるけど、そこそこ胸糞悪いから読んでみ?」  そう言って、男は懐から黒い文庫本を取り出した。タイトルは『不浄仏の怪』。胸糞悪いと警告されつつも昴が手に取ったのは、単純に興味があったからだ。これが物書きとしての好奇心からくるものか、それとも父への情なのかはわからない。 「あなたは、父の━━━いや、涸沢仁平のフアンだったのですか?」 「ある意味ではフアンなのかもしれんな。まあ、手に取ったきっかけは、担当編集者が同じやったからやけど。その人、千景(ちかげ)さんいうて、涸沢仁平と親しくしとったからな」
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