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近成さん視点
私はいま、澄ました顔をして美味しいコーヒーを飲んでいる。
けれど心中は叫び出したいほどで、実は手のひらにびっしょり緊張の汗をかいている。
間部くんだ。
かなり外見は変わっていたけど、あの不思議な雰囲気や眼差しは変わっていない。
まさか、ふらりと入ったお店で会えるなんて思ってもみなかった。
間部くん、このコーヒー店で働いてるんだ。
奥まった席からは、間部くんのいるカウンターはあまりみえない。
だけど、お客さんに対応する声が聞こえてくる。
声の記憶って、一番はじめに忘れていくらしいけど.......うん。優しくて通る間部くんの声だ。
間部くんは、高校生のときから身長がうんと高かった。
他の男子よりも、頭がひとつ分背が大きかったから、どこに居てもすぐにみつけられた。
わいわい騒ぐ明るいタイプではなかったけど、とりわけ暗いわけでもない。
クラスの仲のいい男子数人といつもベランダで喋ったり、たまに一人で図書館に行っていた。
静かな湖を思わせる間部くんの独特の雰囲気は、あの頃他の誰も持っていなかった。
どっちかといえば大人っぽくて、落ち着きがあって、ふっと目線を外して笑う。
時々長い前髪から覗く目元に、密かにドキッとしたり。
私は間部くんとたくさん話をしたことはなかったけど、二人だとぽつりぽつり話をするそのテンポが好ましかった。
天気や先生の癖、ベランダからみえる隣町の銭湯の煙突の話。
テスト範囲や部活のこと、たまに休み時間に目が合うと、ふっと下を向いてしまう仕草も何だか好きだったな。
だから、私には間部くんが少し特別にみえていた。
同級生のどの男子よりも、もっと話がしてみたかった。
間部くんは密かにモテていたようだけど、いざ告白に挑む女子は私の知る限りではいなかったと思う。
文化祭の買い出し係になったときに、なにか間部くんとの思い出が欲しくて、一方的に犬の散歩に付き合ってもらった。
まさか、まだ覚えていてくれたなんて。
絶対に、自分勝手な用事に振り回された面倒な思い出として記憶に残っていたんだろうな。
いまの間部くんをみて、こんなに格好よくなったのも当然だなと思った。
あの時はひっそりとした格好よさがあったけど、いまは全世界に向けたものに感じる。
目がみえ隠れしていた前髪はセットされていたし、目元のすっきりとした二重とばっちり視線が合った。
すっと通った鼻筋も、形のよい唇も、そのまんまだった。
間部くんを、こんな風にまた素敵に変えた人がいるのかな。
淡い恋心だったものが、ちくちく痛み出す。
「ち、近成さん、これよかったら」
その声にテーブルから目線を上げると、エプロンを外した間部くんが立っていた。
温めて砂糖がとろりと溶けだした、シナモンロールの乗った皿を私のコーヒーの隣にそっと置く。
「あっ、ええっ! いいのかな」
「うん、あともし持ち帰るなら、これ使って」
そう言って、カフェのマークが入った小さな紙袋を渡してくれた。
「お腹減ってるから、全部ここで頂いちゃうかも」
「それなら、よかった」
ふっと笑う顔は、あの頃の面影が残っている。
「.......あー.......あの。もし、待ち合わせとかでなければ、少しだけ一緒していい?」
間部くんの顔は、私にもわかるほど赤くなっている。
照れてる。
なんで? 久しぶりに同級生に会えたから?
その、胸を掻きむしりたくなるくらいの可愛いさ。久しぶりに会えて、かろうじて澄ました顔をキープしていた私の表情筋は崩壊の一途をたどる。
私の近い席に座っている、女性たちも見惚れているようだ。本当に小さな声で「わー.......」と声が自然に漏れるのが聞こえてくる。
「.......あ、どうぞどうぞ! 待ち合わせとかじゃないから大丈夫だよ」
向かいの椅子に間部くんが座る数秒のあいだに、深く深呼吸をこっそりする。
あらためて向かい合うと、気恥ずかしくてたまらない。
「ほんとに、お久しぶりです」
私まで赤くなってしまったのを誤魔化したくて、ぺこりと頭をさげた。
「うん、本当に久しぶり」
見つめあったまま、しばしの沈黙。
「あ、あの。今日はなにかあって、こっちに戻ってきたの? ごめん、僕は近成さんがどこへ引っ越したのかも知らなくて.......」
「いいの、だって先生たち以外には知らせなかったからね。父が、ちょっと色々あって.......母と二人でここから逃げるように出ていったから。どこから居場所がバレるかわからないから、友達の誰にも教えられなかったの」
不仲の両親の関係がいよいよ最悪な局面を迎え、怯える日々にピリオドを打つために逃げ出した。
「そんなに、大変だったんだ。みんな驚いてたんだ、いきなりだったから」
「そうだよね、しかも高三の秋にいきなり転校って.......どうしたって感じだよね」
月日が経ったからこそ、思い出と向き合えることができる。
「今日は、亡くなった父の部屋の片付けが終わって、部屋を引き払う立ち会いだったんだ。それでくたびれたーって、ひと休みしたくてこのお店に入ったら.......びっくりしちゃった!」
湿っぽくならないように、わざと明るく振る舞う。実際、悲しいとかの時期は過ぎ去って、残されたタスクを淡々とこなす時期に入っていた。
父の遺した荷物を片付け、部屋を引き払い、やっと区切りがついたところだ。
「僕も.......びっくりした。けど、今日近成さんに会えてよかった。休める場所を提供できてよかった」
「私こそ、こっちで間部くんに会えてよかった。もう誰の連絡先も知らなくて。地元なのに、八年もいないと知らない街みたいだよ」
ふわっと漂うシナモンロールの甘い匂いに気が緩む。
愚痴めいたことを言ってしまい、とたんに恥ずかしくなった。
「また、おいでよ」
「えっ」
「変わったところも多いけど、まだあの頃のまんまの場所も残ってるから。今度は遊びにきて。大変だったことも楽しかったことも、近成さんから話を聞きたいから」
そう言って間部くんは、今度は首筋まで赤く染めた。
わ、わ、なんか。
ここのところずっと、ため息ばっかりついてくたびれた心にじんわり沁みる。
「間部くん、聞いてくれるんだ」
「僕でよかったら、いくらでも」
そうして、ふっと視線を外して懐かしい笑い方をする。
あの頃の気持ちが、息を吹き返すのを心で感じる。
「へへ、じゃあ。早速来月お願いしちゃおうかな。私ね、今月末にこっちへ戻ってくるんだ」
父親が亡くなり、私はまた自分の育ったこの地元へ帰ってこようと決めた。
「か、帰ってくる?!」
「うん。母と二人でね。父が亡くなったのを機に、やっぱり知り合いの多いこっちに戻りたいねって話になったんだ。職場も、実はすぐそこに決まったの」
「そこ?」
「ほら、あのビルの三階、デンタルクリニックの看板みえる? 私、歯科衛生士なんだよ。あそこで働く予定なの」
間部くんは、目をこらして大きな窓の外をみる。
それから信じられないという顔をして、ため息をついて自分の顔を両手でおおった。
「.......ごめん、ちょっと自分に都合のよいことばかり起きてキャパオーバーしてる」
それって、なんだか期待しちゃいそうな言葉にドキドキしてきてしまう。
嫌がられてはいないって、そう受け取っていいのかな。
思い上がりかもしれないけど、嬉しいものは嬉しい。
「近成さん」
「うん?」
間部くんは深く息を吐いて、私をまっすぐにみた。
真面目な顔だ。こちらも佇まいを直す。
「休憩時間が終わるから、戻るね。帰る時に、僕の淹れたコーヒーをテイクアウトで渡したいんだ。絶対にカウンターに寄ってください」
「は、はい」
返事を聞くと、間部くんは小さく手をふって戻っていった。
その背中を見送りながら、私は勝手にゆるむ口元に手をあてた。
シナモンロールをぺろりと頂き、食器やトレーを下げてカウンターへ顔を出した。
さっきオーダーを取ってくれた男の子が、にこにこと対応してくれる。
「はるさんから、お代はいただいています」
あっち、と指さされた先で、間部くんがコーヒーを淹れていた。
すっと伸びた背筋に、繊細な指先の動き。
「.......かっこいいなぁ」
ぽろりとこぼすと、男の子がニッと笑う。
「今日のはるさん、特にかっこいいんです。なんてったって、お客さんに会えたから」
「私?」
「はい。はるさん、八年も片想いしてる人がいるって有名なんですよ。モテるのに、全部誘いとか断っちゃう。だけど、いまのはるさん、めっちゃキラキラしてる.......片想いマスターのオレにはわかります。八年ぶりの再会を目の前でみて、確信しました」
「八年.......」
「あの人、長いながい片想いをしてたんですね」
私の眼差しに気づいて、下を向くベランダにいた高校生の間部くんの姿が、いまの彼に重なってみえた。
間部くんはコーヒーをカップに入れ、紙袋にも入れてくれた。
わざわざこちらにきて、渡してくれる。
「これ、お土産。なるべく熱いうちに飲んでくれたら嬉しいけど、難しいか」
「来月から、仕事帰りに通うよ。ありがたくいただきます」
「うん.......紙袋の中、絶対みてね。必ず、絶対に、忘れずに.......ね?」
押しの強さに負けて、わかったと返事をして名残り惜しく店をでた。
とたんに、さっきのことが出来すぎた夢に思えてくる。
だけど、右手には間部くんが持たせてくれた紙袋がある。
駅のそばで歩き、空いたベンチに腰掛けた。
空は夕暮れの色に染まり、夜に塗り替えられる手前だ。
紙袋を、あける。
熱いうちに間部くんの淹れてくれたコーヒーが飲みたくて、そうっと取り出す。
すると。
紙カップからの熱を防ぐスリーブに、電話番号とトークアプリのID。
『僕の連絡先です。』とメッセージが綺麗な字で。
その横に、笑った犬の顔と苺がひとつ描かれていた。
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