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「どうぞ、中にお入りください」
彼女が戸惑い顔のまま僕を促す。
「いえ、僕はここでいいんです。何ならこのまますぐに帰ったっていい。ただ、あなたが僕を呼んだ理由だけ教えてくれれば」
彼女の迷惑になりたくなくて、僕はそう言った。
だが彼女はますます苦しそうな顔をして、「どうぞ、中に」ともう一度言った。
「今、父が外出しておりますので、今のうちがいいと思います」
理由を教えてくれるまでは帰らないつもりだったので、僕は言われた通り彼女の家に入った。
洋風の外観だったけれど、中に入ると田舎の祖母が暮らしていた家のような匂いがした。
その理由は、僕が通された和室六畳の部屋の中にあった。
床の間に飾られていた仏壇の、まだ煙をあげている線香の匂いだ。
「先月、母が亡くなりまして」
僕はその時、僕が呼ばれた意味にようやく気づいた。
小さな写真たての遺影の中で、娘とよく似た顔つきで優しく微笑んでいる四十代の女性に目が釘付けになる。
「あなたとネットでやりとりしていた『シオン』は、ここにいる私の母です」
小さな卓の上に置かれたパソコンを開いて、詩音さんが言った。
「母のパソコンを私がもらうことになって、初期化して使おうと最近になってパソコンを開いたんです。母の手帳に書いてあったログインパスワードは、あなたの名前でした」
「……お母さんは、お病気で?」
「はい。もう五年ほど長く入退院を繰り返していました」
遺影から目を離さない僕の左斜め前にわざわざ移動し、彼女は頭を下げる。
「母が私の名前を使ってあなたを騙していたことをお詫びします。本当に……申し訳ありませんでした」
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