優しい嘘つき

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「そうですか」  僕は仏壇の前に膝を折り、彼女に断ってから短くなっていた線香の横に新しい線香を挿した。先端に火をつけた後、両手を合わせる。 「……どうしてログインパスワードが知らない男の人の名前なんだろうって、不思議に思いました。本当はそのまま手をつけず、何もかも初期化するつもりだったんですけど、どうしても気になって母のSNSを見てしまいました。……最初は信じられませんでした。母が私たち家族に内緒であなたのような恋人を作っていたなんて。そんな人じゃないと思ってたのに」  家族なのに、母のこと何も分かってなかった。  彼女は寂しそうにそう呟いて、目を伏せた。 「あなたのことも許せないと思いました。でも、通信のやりとりを見ていたら母があなたを騙していたんだってすぐに分かりました。母は名前も顔も私のものを使って、12歳も年下のあなたのさらに年下を装っていたんです。ですから……」  彼女は僕に向かってゆっくりと土下座した。 「今までのこと、本当に申し訳ありませんでした。母のことはもう忘れてください。お願いします」  頭を下げたままの彼女に伝わるはずもないと思いながら、僕はうなずいた。 「分かりました。わざわざご連絡いただき、ありがとうございました」  土下座を返すと、彼女の頭が浮き上がる気配がした。 「ネットの世界なんて、最初から信じていませんから大丈夫です。僕にももうパートナーがいるので、お気遣いなさらないでください」 「そうですか……」  ホッとする彼女の声がした。  僕はその後、彼女とほとんど会話することもなく、数分後にはその家を出た。  長い駅のホームの端の自販機でブラックの缶コーヒーを買って、自宅の最寄駅まで連れて行ってくれる電車に乗り込んだ。    
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