1. 学生時代

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(捜しに来るかも知れない)  六時までにホテルに戻ればいい。まだ二時間ほどある。達哉は、哲学の道に向かった。会えるかも知れない……そんな淡い期待を持って。  彼女が落とした、茶屋の前辺り。ベンチがあるのを見つけ、座ってしばらく待ってみることにした。 (そもそも、哲学の道で落としたなんて、わからないかもな……)  持ち物からして、あの三人組は地元の高校生だと思い込んでいたが、それもどうだかわからない。地元だとして、必ずここを通るとも限らない。  それでも何となく、ここにいれば会えそうな予感がしていた。  それは、案外早く現実のものとなる。 「わぁ、寒い!」  突然、背後で茶屋の扉が開き、バタバタという足音とともに女の子の声が聞こえた。  目を向けると、女子高生三人が店を出て、楽しげにお喋りしながら銀閣寺方向に歩き出していた。 (あれ、今朝の!)  後ろ姿に見覚えがあった。反射的に立ち上がって駆け寄り、 「あの、すみません」  背後から声をかけた。賑やかな声が一瞬で止み、三人が一斉に振り返る。  全員が「なに?」という表情で達哉を見ている。その一番左に、目的の子はいた。 「……これ」 『人間失格』を、ぶっきらぼうにその子に差し出すと、少々怪訝そうな目で達哉を見、本に目を落とす。 「あっ……」  吐息のような小さな声を上げ、本を手に取り、確かめるように本を見てから、達哉をメガネ越しに上目遣いで見て、 「ありがとうございます」  驚きと喜びの混じった瞳を向けた。  傍で連れの二人が、「なに、なに?」という空気で達哉と彼女を見ている。 「……よかった。渡せて」  後の言葉が見つからず、でも終わりにするのが惜しくて、何とか言葉を搾り出すと、 「はい。ありがとうございます、本当に」  本当に嬉しかったのだろう。彼女の声が少しの興奮を含んでいるように聞こえた。 「温子、先に行ってるから」  京都訛りを残して立ち去ろうとする連れの二人に、 「あーっ、待って」  慌てて追いかけていき、達哉を振り返ると、笑顔のままもう一度頭を下げて去っていく。 「えー、いいの?」 「もったいないわぁ」  からかうような声が、遠ざかる三人の後ろ姿から聞こえてくる。左端の彼女が小さく首を振っているのが見えた。 (あっけないな。いや、こんなもんか……)  渡せてよかったと思うより、がっかりしている自分に気がつき、 (なに期待してんだ!)  そう自分を戒めてみた。
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