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引き戸を開けると、タヌキがいた。
二月の終わり、牡丹雪の降る昼下がり、笠をかぶったタヌキが五匹。母屋の隣、農作業小屋の入り口に並んだ。
一人暮らしの爺を訪ねてくるのは、山のタヌキくらいだ。
「おお、秋以来だな。さあお入り。雪をはらって」
タヌキたちは笠を外すと頭を振るって雪を落としてから、敷居をまたぐ。その間にわたしは丸椅子をよけて、ストーブに太い薪をくべた。
「なかなか春は来ないな」
わたしが言い終わらないうちに、タヌキたちはストーブをぐるりと囲んで暖を取り始める。
タヌキの体に着いた雪がとけて、湯気になっていく。独特の獣くささにむせかえり、わたしは建付けのよくないガラス窓をなんとか細く開けて空気の流れを作った。追加した薪のおかげで暑すぎるくらいだったから、ほどよい暖かさになった。道中疲れたのか、早々に土間に寝そべる奴もいる。
「今日はどうした?」
わたしが尋ねると、後ろ足で立ち上がった一匹のタヌキが首に下げた札を見せた。
いつもの《たべものと、こうかんしてください》と書かれた札だ。裏面も変わらず《わるいたぬき》だ。
「何と交換するんだい?」
いつものように風呂敷を背負ったタヌキはいない。
一回目はりんどう、二回目に来たときは野菊を持ってきた。
タヌキ、義理堅いのだ。
手ぶらで来るのはなんだか解せない。それにこのタヌキは、いつものタヌキとは違うようだ。なんだか体が小さい気がする。
「何もないのに、食べ物をくれだなんて悪いタヌキだな」
わたしがちょっと意地悪っぽく笑うとタヌキは困ったように前足をもじもじと動かした。やがてぱっと顔を上げ、土間に散らばる笠を五枚重ねて、わたしに差し出した。
ヒト用よりもだいぶ小さな笠だ。誰かが編んでくれたものか、造りがしっかりしている。わたしの他にも、タヌキたちとやり取りしている者がいるらしい。
わたしは笠を受け取ると、小屋の隅の毛布をめくって麻袋を運んだ。
「これと交換だ」
袋の中からサツマイモを取り出すと、寝そべっていたタヌキもひょいと起き上がって、みんなでわたしを取り囲んだ。
もったいつけてタヌキたちに渡したが、サツマイモはあまり太くない。何度か自分でも食べてみたが、甘みが少なくてお世辞にもおいしいとはいえなかった。
美味くもないサツマイモに喜ぶタヌキたちにばつの悪さを感じて、わたしは小屋の天井からつるした干し柿を外して渡した。
甘い香りに気づいたのか、十個の黒いつぶらな瞳がキラキラと輝く。
「柿の実をとってもかまわないが、てっぺんのは残さないといけないよ。木守り柿だ。神様への捧げものだからな」
わたしの話に、タヌキたちはこくんとうなずいた。
「ジャガイモも掘りつくさずにな。少し残しておけば、次の年も収穫できる」
聞いているのか、いないのか。うなずきながら、タヌキたちはもうサツマイモと干し柿にかじりついていた。わたしもストーブにかけた薬缶で茶を入れると、一息ついた。
外を見ると、まだ大きな切片の雪がわさわさと降っている。
暖かい日に降る雪だ。最近は天気さえよければ、陽光だけで暖かく感じられる日もある。でも、いったん荒れれば真冬に逆戻りだ。
芽吹く春までまだ時間がかかる。
妻が亡くなって以来、出すことのなかった雛人形を今年は飾ろうか。
そんなことを思っている間に、タヌキたちは丸くなった腹を抱えてストーブの周りで眠っていた。
「我がもの顔だな」
わたしは小机の上から、農作業用具のカタログを持ってきて老眼鏡をかけた。今更、最新の農機具など買うことはないが、肥料や種苗のページは丹念に見ていく。
秋、十五夜の頃に野菊を持ってきたタヌキたちは、庭の木に実ったブドウや梨をもいで軒下に積んだ。
果物をちょっとした山になるまで積み重ねると、六匹そろって一斉に食べ始めた。
小さく歓声をあげてブドウや梨に夢中なタヌキたちを見ていて、子どもや孫たちが小さかったころを思い出していた。
――おじいちゃんちは、宝の山だね。
そんなふうに言ったのは、孫のツバサだったかアオイだったか。
ゆでた枝豆や小さな月見団子、河原からとってきたススキを簡素な祭壇に飾り、みなで縁側に並んで月を見た。
そんなときもあったなと、ブドウを一粒口にして眉間にぎゅっと皴が寄った。思わず吐き出したわたしを、タヌキたちが不思議そうに見あげた。
「す、すっぱいじゃないか」
いや、甘いところなどひとかけらもない、ただすっぱいブドウだった。それなのに、タヌキたちは食べる手を止めない。
ためしに梨もかじってみたが、これといった味のない水気を含んだ果肉だ。
他の収穫物、サツマイモは細く、ジャガイモはモグラにかじられて凸凹だった。年も年だしと、前ほどまめに畑の世話をしなかったからだ。タヌキたちが喜べば喜ぶほど、自分のだらけた暮らしを恥じた。
「タヌキたちはよくても、百姓のプライドが許さん」
机から鉛筆を取ろうと椅子からを腰を上げると、扉を叩く音がした。開けてみると、少し大きめのタヌキが立っていた。頭に雪を積もらせ、唐草模様の風呂敷をしょって。
「ああ、おまえ」
わたしが声をかけると、タヌキはぺこりと頭をさげた。
こちらが、いつも札を下げているタヌキだろう。中へ入らせると、タヌキは首から外した風呂敷をほどいて見せた。
最初、明るく光る玉かと思った。風呂敷の中には、福寿草があった。黄色い小さな花がふたつ、寄り添って咲いている。根には土がついているから、どこからか掘り返してきたらしい。
「こんな雪のなかで、よく見つけられたな」
わたしは福寿草を空いていた鉢にひとまず入れて、タヌキをストーブのそばに座らせた。タヌキは眠っている五匹を見て小さくため息をついた。
ほんとは交換品の福寿草を携えて一緒に来るはずだったのかも。もしかして、五匹は勝手にわたしのところまで来たのかもしれない。
「悪いやつらだな」
よほど腹が減っていたのかもしれない。わたしはタヌキに芋や近所からもらった落花生をすすめた。タヌキは丁寧にお辞儀をすると、食べずに広げた風呂敷の真ん中に置いた。それからわたしをじっと見た。
タヌキの言わんとすることが分かると、わたしはちょっと笑ってしまった。
「わかったよ」
わたしは、あるだけの芋と干し柿、それから落花生と南瓜も風呂敷に置いた。タヌキは手早く包み直すと、ひょいと担いで首のところで風呂敷の端を結んだ。
それから、寝ていたタヌキたちを起こして回る。気づけは窓の外は薄暗く、牡丹雪は粉雪に変わっていた。
戸口に六匹並んだタヌキたちは、わたしにお辞儀をすると、外へと出ていく。
「ちょっと待ってくれ」
わたしは一度はもらった笠を一枚一枚、タヌキの頭に戻していった。
「全員分無いと困るだろう」
わたしの昔の農作業用の笠を、荷物を背負ったタヌキにかぶせた。
タヌキはわたしに一礼すると、積もった雪をこいで帰っていった。うちの角の街灯が橙色の明かりを灯す。やがてタヌキたちの列は、雪に隠れて見えなくなった。
小屋に戻ると、やけにがらんとしているように感じた。
タヌキたちに保存食をすっかり渡してしまった。ほんとに悪いタヌキだ。
おまけに、タヌキたちのせいでひざや腰が痛くてやめていた農作業までやろうとしている。
「肥料代や苗代(なえだい)だって馬鹿にはできんのだぞ」
タヌキたちのせいで散財だ。こうなったら今年の秋には、甘くて大きな芋やブドウを食わせて丸々と太らせてやろうじゃないか。
ストーブの炎に照らされた福寿草は、小さな春だ。
明かりをつけて、注文票に数字を書き入れた。
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