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男は、煙の中でフワリと浮いて揺れている。幽霊だ。幽霊なら怖くない。聞いた。
「あんた……誰?」
「さっき言ったろ。答えられんことが多いと」
すると、男のコートの右胸に、赤い文字が閃いた。
『自ら名乗ることは出来ない』
「なにそれ」
「契約だ。幾つかの契約と引き換えに、俺はライター、煙草1カートン、そして目的を遂行する権利をもらった」
「目的って?」
コートの左裾に、また文字が浮かんだ。
『標的以外に、真の目的を話してはいけない』
「……てことだ」
「了解」
意味が全然わからないけど、不思議と嫌な気はしなかった。男は…不機嫌な顔はしているが…声に怒りもなく、ちゃんと返事もしてくれる。それに少なくとも、私は『標的』ではないのだ。面白くなってきた。
「じゃあなんで、私を助けてくれるの?」
「呪いの……」
幽霊は口を動かしたが、声は聞こえなかった。コートの左裾に、さっきの文字が光って消える。
「呪いの、なに?」
男は一層顔をしかめた。
「呪い、は言えるようだな。お前は二年前から呪いの標的になった。最後の……」
また音が消えた。なんなら姿も消えかけた。煙草まで消えかかっている。
「……詳しい説明は出来ないか。難しいな」
契約メンドくさ。ま、契約ってそんなものか。仕事辞めて失業保険もらうのも大変だったし。
「んー…まとめると、アンタは名前が言えない幽霊。理由も言えないけど、ある目的のために私に合図を送って助けてくれてる。私は二年前から呪われている。合ってる?」
「合ってる。理解が早くて助かる……あの上司もその聡明さを評価すれば、少しは仕事が楽になったろうに」
「…会社でのこと、知ってるの?」
「知っている」
男は消えかけていたが、声はハッキリ聞こえた。
「あの女は軽い呪いに唆されていたが、俺の煙草は残り少ない。コレくらいなら、と惜しんで傍観した」
「え」
「だが甘かった。女は、呪いを経てお前に八つ当たりする方法を覚え、自ら行使するようになった。呪いが引いた後も、女は止めなかった」
煙が私の方に流れて散った。
「すまなかった」
男も消え、煙草の匂いだけが残った。
薄暗い路地で、私は泣いた。あの時のことを詫びてくれた人は初めてだった。幽霊だけど。
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