ポケットを叩く、できる限りやさしく

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「まじでありえん」 「すみません……」  両膝をつき、両手のひらは神に供物を捧げるかのごとくそろえて頭上に掲げている。  その両手のひらの上で、彼女が怒り狂っている。激おこである。 「おい」 「はい」  そういえば激おこって上位互換みたいなのあったよな、と意識が現実逃避し出したところで天から彼女の声が降ってくる。 「『寝てていいよ、着いたら俺が起こすから』って言ったのはどこのどいつだ? 恋人の存在忘れるってどういう神経してたらそんなことできるんだ? コートのポケットだったから不幸中の幸いだったけどもしパンツのポケットとかだったらそのまま洗濯機に放り込んでたんじゃないの? てか幸いってなんだよ全然幸いじゃねえんだわ」 「うっかりしていて……」 「ふざけているのか?」 「本当にごめんなさい」  思い出した。激おこの最上級は激おこスティックファイナリアリティプンプンドリームだ!  昨夜、友人たちとの飲み会の中、ジョッキの影でうとうとし出した彼女をそっとコートのポケットにしまった。そのことをすっかり忘れ帰宅した俺は眠った彼女をそのままにコートをハンガーにかけ自分だけベッドにダイブし寝落ちしてしまった。  ちなみにハンガーラックは玄関にあり、彼女は早朝、寒さに叩き起こされたということだ。 「おい」 「はいすみませんごめんなさいもうしませんこの度は本当に大変申し訳ございませんでした二度とこのようなことがないよう肝に銘じますのでどうか今回だけは何卒お許しくださいませんでしょうか」 「次はないからな」  顔を上げる。今日初めて目が合った彼女は、うんざりした顔でこちらを見下ろしていた。 「まだ寒いんだけど」 「お茶をお淹れします!」 「珈琲にして」 「承知しました!」  両手にぎゅっと包み込むと、彼女は長く深いため息を吐いた。 「小指姫、到着いたしましたよ」 「……それやめてって言ってるでしょ」  ポケットを叩くと、まだ眠たげな彼女のくぐもった声が聞こえた。  あの後も何でもない顔で彼女はポケットの中に入ってくれる。確実に『次はない』のだろうけれども。  幸せな現状にひたひたに浸る俺は、彼女がポケットから顔を出すのをそっと待った。 
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