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鴻君に向かって声を荒らげるのは間違っている。父の病気や罐焚きの現状を知らない彼からしたら、何を言われているのか訳がわからないだろう。それはわかっている。けれども細かな説明をする心の余裕はなく、煤のような絶望がざわざわと膨らんでいく。勢いで部屋の外に出ようとする私の両腕を、彼が強く掴んで押さえた。
心の隅に僅かに残っていた冷静な自分が、随分と熱い手だな、と思う。
「待って。お父様のことはわからないけど、無断欠勤じゃなければ大丈夫なんだな」
「多分。でももうこんな時間」
「落ち着いて。大丈夫だから。高梨さんの勤めている工場って、どこ。電話番号は」
焦る私と対照的な、静かな声で訊いてくる。
「と、十和田金物製造。電話は、多分、ない」
「じゃあ、母屋に郵便所直通の気送管があるから、それを使って工場長宛に欠勤する旨の手紙を送ろう。気送管速達なら一時間もしないで工場に届くはずだよ。ついて来て」
そう言いながら背を向け、早足で部屋を出る。私は言われるがままに小走りで後を追った。
この家は二階建てらしく、二階には今いた部屋ともう一つの部屋があって、廊下で繋がっている。吹き抜けから見えるエントランスは磨きこまれた大理石製の床だ。
促されるまま隣の部屋に入る。ここは書斎と呼ばれる部屋のようで、本棚には革で製本された綺麗な本がびっしりと入っている。
だが机に置かれた本はどれも質素で、その上使い込まれてしなしなだ。
これと同じ本を私も持っている。中学の教科書だ。
「工場長の名前は」
「え?」
「手紙は俺名義で書く。さっき医師に診断書を書いてもらったから、それも同封しよう。そうすれば本人が手紙を書くより、大変な事態っぽいだろ」
ペンをくるりと回し、いたずらっぽく片目を閉じてみせる。
それを見て、心臓がアルコールをかけられたように熱くなる。
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