2. 魔法のエンジン

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 駅の階段を上るにつれて煤煙(ばいえん)の臭いが強くなる。外に出て見上げると、密集した工場から突き出した無数の煙突が、空に向かって一斉に煙を吐き出していた。  病気の父に代わって工場で働きだしてから、まる二年になる。初めのうちはこの街を覆う煙のせいで目と喉が痛くて大変だったが、さすがに慣れた。  職場である工場の汽罐室(ボイラールーム)に向かう。古びた扉の前で、一つ大きく息を吸う。  気持ちを切り替える。  扉を開けると同時に押し寄せる熱気と騒音に負けじと、声を張り上げる。 「ご安全にいっ!」  大声で挨拶をすると、騒音のなかから威勢のいい「ご安全に」の挨拶が幾つも返ってきた。汽罐長(きかんちょう)が禿げ上がった頭を手拭いでつるつると拭きながら、満面の笑みを向ける。 「ご安全に。そういや瑠奈(ぼう)、今日は試験の結果が出たんだろ。どうだい、鴻のボンボンに勝ったか」 「負けちゃいましたよう。二点差でした」 「はー、凄えな瑠奈坊は。そんなん、目に入ったゴミくれえの差じゃねえか。こりゃ『魔法のエンジン』の実現化も夢じゃねえな」 「あはは、ありがとうございますっ。じゃ、急いで着替えてきますね」  「魔法のエンジン」の一言で、力が(みなぎ)ってくる。  そうだ。私には夢がある。「高等中学首席卒業」の肩書を武器に大きな工場で雇ってもらい、そこで私が考えた「魔法のエンジン」を完成させる、という夢が。  今はまだ大まかな構想しかないけれど、このエンジンはきっと社会の役に立つ。うまくいけば、石炭の産出量が少ない幾望国を救う一助になるかもしれない。それに。 「お父ちゃん、待っていて……」  病弱な体に鞭打ちながら私を育ててくれた父に、楽な暮らしをしてもらえるだろう。  作業着に着替え、三つ編みを帽子の中へ押し込み、ゴーグルを嵌め、手拭いで口元を覆う。  日勤のおっちゃんと拳を突き合わせて交代の挨拶をする。これから十時間、夜食の饅頭を食べる時以外は汽罐室に籠りきりだ。  焚口(たきぐち)を覗くと、炎の轟きがお腹に響き、熱と光が顔面を襲った。  汽罐室の端まで一輪車を走らせる。赤いペンキで「石炭」と書かれた壁から突き出した、太い鉄パイプの下に一輪車を置く。傍らのレバーを力任せに押し下げると、パイプの先からがらがらと石炭が吐き出されてきた。  両手に力を込め、石炭が山積みになった一輪車の持ち手を握る。 「……れ、……れ……」  走りながら、いつもの呟きが唇から零れる。  腰を入れ、石炭にスコップを突き刺す。石炭が均等に広がるよう注意しながら焚口に放り込む。  炎の声が変わる。耳を澄ませ、もう一度石炭を放り込む。  手拭いの下で汗と共に呟きが流れ落ちる。 「頑張れ、頑張れ、頑張れ……」    私には夢がある。  高等中学を首席で卒業し、大きな工場で「魔法のエンジン」を完成させること。  人々の生活を変えること。  父の病気を治し、楽な暮らしをしてもらうこと。  それが全て。そのためにはなんだってする。それ以外には何も望まない。  何も、望まないんだから。
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