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世界は6年ほど行動を制限されていた。感染症や真偽がはっきりしないテロ情報がきっかけで最低限の生活圏から出ないこと、関わらないことを強いられた。自宅、職場、生活を継続するための買い物、通院。娯楽は最小限にせざるを得ない。そんな生活。前半に蔓延った死と隣り合わせの感染症。外を出歩くものは悪と言わんばかりの……彼らにとっては正義の行動だったのだろうが、平穏に暮らしたい人間達の心を委縮させるには充分な環境があった。
どんなことも長くは続かない。ゆっくり、もしくは急速に世界は元に戻ろうと動き出した。当然、窮屈だった人間達も元に戻ろうと動き出す。そんな時だ。
これはどうしたことか。菊島 合歓は唐突に自らの異変に気が付いた。手にはスマートフォン。メール画面を開いたまま合歓の手は硬直していた。
ご無沙汰だった友人にメールしようと思ったのだ。けれど、打ち方を忘れたように手が、体が硬直してしまった。頭の中も真っ白だった。文面が浮かばない。合歓は自分を落ち着かせるように深呼吸をした。浮かばないはずがない。
「なんで……」
指が動かない。スマートフォンが振動した。職場からのメールだ。明日の午後からの予定を変更して朝から来られないかというものだ。合歓は9時から21時まで開館する図書館にパート勤めをしている。特に予定があるわけじゃない。大丈夫と返信してホッと息をついた。ちゃんとメールできた。気を取り直してやろうとして……同じ現象が起きる。電話にしてみようとしてもダメだ。
「別に、焦って会う必要はない、よね」
モヤモヤする気持ちを振り払うように呟いて気分転換のヨガをやり始めた。最初は体が硬くて向いていないと思ったけれど、ほんの少しずつ伸ばせる箇所が増えるのはうれしかった。自宅で、1人で運動するのが思いの外自分に合っていてすっかり習慣化した趣味だ。少し汗ばむくらいやって、シャワーを浴びて、本を読んで眠る。穏やかないつもの生活。
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