2人が本棚に入れています
本棚に追加
一
ストーブの上のあたりめが、しだいに丸まってきた。
まるで生きているかのように、ゲソの部分はうねうねと動いている。
ひっくり返し、さらに焼く。頃合いを見て、藤岡はあたりめを皿に移した。
「あちっ」
指先の熱さに耐えながら、藤岡はあたりめを裂いていった。
皿の端にマヨネーズを盛り、その上から七味唐辛子を振りかける。あたりめには、軽く醬油をかけた。
やはりストーブの上で燗をしていた日本酒をおちょこに注ぐと、藤岡はひと息に呷った。体がかあっと熱くなり、五臓六腑にしみわたっていく。あたりめを噛みながら、酒を注ぎ足した。
「おいおい、うまそうじゃねえか。俺もスルメで一杯やりてえな」
背後から声がした。店長の西村だ。『にしむら』という、なんのひねりもない名前の雀荘は民家そのままの作りで、畳の十畳間に座卓が二卓置かれている。いま卓に着いている四人はみな、座椅子で胡坐をかいている。
「知ってますか、西村さん。江戸時代の中頃、博奕打ちがスルメじゃゲンが悪いってんで、あたりめって呼ぶようになったんですよ」
「スルメはスルメさ。ゲンなんか担いだって、今日の藤岡君はもうオケラじゃねえか」
「まあね」
「藤岡さん、いつも強いけど、たまにタコ負けするよな。ま、そんなことでもないと俺は勝てないけど」
藤岡の一番近くに座る丸山が言った。あたりめを噛みながら、藤岡は丸山の手を覗いた。
④赤⑤三四五23455567
テンパイしている。三六筒待ちのタンピン赤。ドラは一萬で、場に三枚見えている。
赤ドラが普及して、十年が経つ。きっかけは昭和三十九年に開催された東京オリンピックで、五輪にかけて五筒を特別な牌にしようという企画が持ちあがった。花札やトランプのほか、麻雀牌も手がける任天堂が赤五筒を製造し、その後全国に広まった。
いまでは、ピンズだけでなくマンズやソーズにも一枚ずつ赤を入れる雀荘が増えてきた。ここ『にしむら』も、一枚ずつ赤が入っている。
丸山はダマテンのままだった。三色への手替わりを見ているのだろうが、三色にするには、二五八索のいずれかを引いて、かつ三筒でアガらなければならない。
リーチをすれば、三色にならなくても出アガリの満貫だ。ツモって裏ドラがひとつでも乗れば跳満になる。赤牌の登場によって、リーチはさらに強い役になった。それをわかっていない連中が多い。
「あ、ツモっちゃったよ。三色に変わるかと思ったのに。タンピンツモ赤、一三〇〇・二六〇〇の一枚」
言いながら、丸山は裏ドラをめくった。四索が見えた。
「あっ! リーチしてりゃ裏三で倍満だったよ。こんなことあるかねえ」
悔しそうに、丸山は手牌を崩した。
ここ『にしむら』のレートは千点三百円のウマが三千円・九千円。一発と裏ドラ、門前の赤に祝儀が千円つく。リーチをしていれば、いまのアガリによる収入は祝儀込みで一六八〇〇円となる。特に意味のないダマにしたがために、丸山はそれを逃したのだ。
丸山もその対面にいる田辺も、大した腕ではない。丸山の下家に座る西村は店長だけあって二人よりは打てるが、門前にこだわりすぎたり、自分の手しか見えないところがある。
気になるのは、西村の対面に座る新規客、石神だ。
年齢は西村より少し上、五十を少し過ぎたくらいか。鳥打帽をかぶり、無精ひげを生やしている。
なにより眼を引くのは、右腕だった。肘から先がなく、袖がぶらぶらしている。南方戦線で失ったと、自分から語った。麻雀をやるには不利に思えるが、石神は左手だけでもほかの三人と変わらない速さで、器用に山を積んでいる。
石神はかなり打てる、と藤岡は感じていた。
いいタイミングで抜けることができた。しばらく、不自然に思われない程度に観察しよう。
酒を飲みながらも、藤岡は神経を研ぎ澄ました。
最初のコメントを投稿しよう!