逃れる者

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     二  最初の半荘(はんちゃん)は、西村がトップで石神は二着だった。ピンフへの手替わりがないカンチャン待ちで即リーチを打ってくるあたり、やはり石神は打ち慣れている。  次の半荘は、石神の圧勝だった。  麻雀そのものの腕もいいが、それだけではない。積み込みとすり替えをやっている。石神が積んだ山を見れば、それはわかった。三年かけて、藤岡は『にしむら』で使う牌のほぼすべてを判別できるようになっていた。しかし、石神の動きには不自然さがまったくなく、そして速すぎるため、いつすり替えたのか見抜くことができない。  丸山も田辺も、石神のイカサマには気づいていないだろう。西村も疑いは抱いていても、確信までは持てていないはずだ。ガン牌でなければ、藤岡も気づかなかった。それほどの早業だ。 「藤岡君、ラジオ消してくんねえか。俺はどうも、洋楽のロックってやつは好きになれねえ」  不機嫌そうに、西村が言った。 「えーっ。ディープ・パープルとか結構かっこいいじゃん。『紫の炎』なんか、最高だね」 「田辺ちゃんはヒッピーにもかぶれてたからなあ。もう大麻なんてやってないだろうな」 「古い話持ち出さないでよ、西村さん。いまは音楽があれば充分さ。藤岡さんは、ロックは嫌いかい?」 「ビートルズにローリング・ストーンズ、クイーンあたりは好きだよ」  ラジオを消しながら、藤岡は答えた。 「いいねえ、ストーンズ。俺の人生も、ローリング・ストーンだ」 「ただのろくでなしじゃねえか。なんとか言ってやれよ、丸山」 「若い連中の趣味はわからないが……俺は、百恵ちゃんが好きだな」 「おう、百恵ちゃんはいいよな。石神さん、あんた音楽は?」 「いやあ、俺は音楽のこたぁよくわからないもんで……。まあ、美空ひばりは好きですよ」 「いいねえ、美空ひばり」  しみじみと言って、西村がセブンスターに火をつけた。  次の瞬間、石神の手が動いた。自山左端の上ヅモの牌を、手の内と入れ替えた。三人の対局者は、当然誰も気づいていない。石神の視線が、自分にむけられた。気づかないふりをして、藤岡はショートホープに火をつけた。  次巡、石神はツモと発声し、手を開いた。 「三〇〇〇・六〇〇〇の三枚」   赤三枚使いの跳満。石神が入れ替えたのは、赤五索だ。石神の前の山の左端には、通常の五索が置かれている。 「うわあっ。赤三のダマッパネかよ」  田辺が、千点棒を三本と千円札を三枚、石神の方へ(ほう)った。 「じゃあ、俺はそろそろ」  言いながら、藤岡は腰を上げた。 「なんだ、帰っちまうのか。なんなら、いくらか回してもいいんだぜ」  言った西村の表情には、明らかに不満の色が浮かんでいる。 「もう飲んじまったし、今日はもう勝てる気しませんよ」 「……そうか。また電話する」  片手を挙げ挨拶すると、藤岡は『にしむら』を出た。  牌をかき混ぜる音を背に、藤岡は空を見あげた。白い息が、星空に溶けていく。  ショートホープに火をつけ、藤岡は自宅へむかい歩いた。  翌日は、『にしむら』へは行かなかった。仕事も、近所の家に頼まれてドアを修理しただけだ。  決まった仕事というものはない。職人の真似事をしたり、材木屋や農業の手伝いをしたり、声がかかれば、藤岡はなんでもやっている。  生活には、困っていない。麻雀さえやっていれば、生きていくだけの金はなんとかなる。それで、充分だった。  深夜に、西村から電話がかかってきた。 「……今日も石神が来たよ。ほとんど、やつのトップだった。藤岡君、おとといはやつの麻雀見てたろう。なにかしらサマをやってると思うが、どんな技かわかるか?」 「さあ……。多分、積み込みやすり替えの類だと思うけど、正直速すぎてまったくわからないですね」  ほぼすべての牌を判別できることについては、当然誰にも話していない。ガン牌は、藤岡が『にしむら』で勝つための最大の武器なのだ。 「怪しい動きを見せたら、腕でも押さえちまうか」 「それはやめた方がいいですよ。万が一なにも出てこなかったら申し開きができないし、今後はアヤをつけることすらできなくなっちまう」 「うーん、正夫を呼ぶしかないか……」 「……そうですね」  正夫は電器屋の息子で、東京の大学に通っていたが、中退して二年前にこの町に戻ってきた。麻雀の腕は達者で、サインを使った『通し』もできる。これまでにも玄人(バイニン)と思われる新規客が現れると、藤岡と西村、そして正夫の三人がかりで撃退していた。 「田辺も丸山も、すっかり石神にびびっちまった。これ以上、よそ者に好き勝手させておくわけにはいかねえ」 「……俺だって、もとはよそ者ですよ」 「藤岡君はもう、この町の一員さ。あんたに勝たれる分には、俺は構わねえと思ってる。ともかく、明日は頼むぜ」 「はい……」  電話を切ると、藤岡は煙草を一本()った。  左手一本であれだけの技を遣う石神は、間違いなく手練れの玄人だ。  しかし結局のところ、西村に睨まれたら打てなくなってしまう。藤岡のおとといの負けも、たまに見せる演出だった。そうやって、トータルではしっかり勝ってきた。今回も、極力自分がアシストに回り、三人がかりで石神を潰す。  考え事をしているうちに、眠りに落ちた。
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