逃れる者

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     四  清算が済むと、石神はすぐに出ていった。 「助かった、って言い方も変だが、藤岡君が打たなきゃ、ツモられてたんだな」  西村が、石神の次のツモ牌である九索を摘まんで言った。 「俺も追いついたんですけどね」  言いながら、藤岡は自分の手牌と山を崩して、かき混ぜた。実際には、手牌はばらばらの状態だった。 「結局、ほとんど藤岡さんのひとり負けになっちゃいましたね……」 「仕方ないさ。あいつを負かすのは無理だったが、勝たせはしなかった」 「ま、藤岡さんなら、今日の負けはすぐ取り戻せるでしょうしね。西村さん、俺、腹減っちゃったなあ」 「うどんなら、すぐに作れるが。藤岡君も食うか?」 「いや、帰りますよ。さすがに今日はくたびれちまいました」 「今日は悪かったな。まあ明日からまた来てくれよ」  適当に返事をして、藤岡は『にしむら』を出た。  時刻は十七時を少し過ぎたくらいだが、すでに陽は落ちている。風が冷たかった。コートの前を()き合わせ、藤岡は足早に駅の方へむかった。  五分ほどで、石神に追いついた。ボストンバッグを肩にかけ、右の袖は風に(なび)いている。背を丸めた後ろ姿は、どこか寂しそうに見えた。  声をかけると、石神は無言でこちらを見た。  そのまま並んで歩いた。少しして、石神が口を開いた。 「なぜ、九索を切った? 俺の次のツモは、六索だったはずだ」  石神の口調がさきほどまでと違う。本来は、こういう話し方なのだろう。 「やっぱり、わかってたんですね。あの雀荘で使う牌は四セット。それを憶えるのに、俺は三年かかりましたよ。石神さんは、二日で憶えちまった。かなわねえや」 「二日間で使ったのは、二セットだ。それに、俺が憶えたのは半分ってところだ。ただ、あんたがすべての牌をわかっているとは思ってた」 「そこまでお見通しだったんですか」 「眼と手の動き。あとは切り方、残し方を見ればわかる。しかし、あのドラ爆は失敗だったな。あれが反撃のきっかけになった」 「そうですね……。まあ俺も最後の意地で、石神さんに祝儀の一万円オールは引かせたくなかったんですよ。たとえ俺がひとり負けになったとしてもね」 「なるほど……。そうやって店や客の懐をうまく調整しながら、勝ち続けてるんだな」 「まあそんなとこです。ところで石神さん、腹減ってませんか。駅舎の中に、立ち食いそば屋があるんですよ。餞別代りに、奢ります」  話しているうちに、勝負の時とは違う石神のくだけた態度に、藤岡は親しみを覚えていた。 「そうだな。じゃ、お言葉に甘えて」  笑った石神の顔の皺が、いちだんと深くなった。  駅に着いた。  立ち食いそば屋に入ると、藤岡は月見そばを注文した。石神はかけそばをネギ抜きで頼んだ。 「ネギがあると、すすりにくいからさ」  言って、石神はかけそばに七味をたっぷり振りかけると、勢いよくすすりだした。見事な食いっぷりだ。  藤岡が半分も食べないうちに、石神はかけそばを平らげてしまった。くつろいだ表情で、石神は爪楊枝を使っている。 「すり替えだけじゃなく、食うのも早いなあ」 「ふっ。奢ってもらった礼と言っちゃなんだが、面白いこと教えてやるよ。俺が右腕を失ったのは、南方じゃないんだ」 「えっ。じゃあ戦争に行ったってのは……」 「戦争には行ったさ。南方は地獄だった。思い出したくもないよ。だが、俺が右腕を失くしたのは、東京だ」  石神の方を見ながらも、藤岡は箸を動かしていた。石神が丼に爪楊枝を投げこみ、話を続けた。 「もう四半世紀ほど前かな。やくざが仕切る賭場で、サマをやったんだ。当時は未熟でな、すぐにばれちまって、言い訳する間もなくこれよ」  にやりと笑いながら、石神は左手で手刀を切ってみせた。 「ふうん。賭場で腕を落とされたなんて言ったら、雀荘じゃ打たせて貰えないですもんね」 「そういうことだ。その後は死に物狂いで技を磨いて、ようやくここまでになった」 「石神さんほどの玄人に出会ったのは、初めてですよ」 「ひと昔前は、俺よりすごいやつがごろごろいたもんだけどな。藤岡さんはいま、幾つだい?」 「三十一です」  藤岡は、丼に箸を置いて答えた。 「俺よりふた回り下か。ここに来る前は、東京か?」 「ええ……。そんなことまで、わかるもんなんですか」 「なんとなく、匂いでな。それと……あんた、以前は活動家かなんかだったろう?」 「……それも、匂いってやつですか」 「まあな。俺と同じ、逃れる者の匂いだ」  藤岡はショートホープに火をつけた。三年前、警察によるローラー作戦が実施されるという情報があり、藤岡は都内のアパートを引き払い、この町に移ってきた。そのことについて、誰にも話したことはない。  石神は黙って、藤岡が煙草を喫い終えるまで待っていてくれた。 「……次は、どこへ行くんですか?」 「特に決めてはいないが、北へ北へと行こうと思ってる」 「冬だってのに、わざわざ」 「北国の方が、長く打つやつが多い。俺も稼げるってわけよ」 「そういうもんですか」  石神が切符を駅員に渡した。鋏を入れる音が、人気の少ない駅舎に冷たく響いた。 「ごちそうさん。達者でな」 「石神さんも、お元気で」  頷き合い、石神と別れた。  駅を出た。いつの間にか、雪がちらついている。  警笛が鳴った。電車が来たようだ。  藤岡は少し立ち止まったが、すぐにまた歩き出した。      * * *  年が明け、二月も中旬に入った。  藤岡は、『にしむら』のストーブで餅を焼いていた。  焼けた餅を、汁粉の椀に入れた。食べながらテレビを見ていたが、大して面白い番組はやっていない。藤岡は、チャンネルのつまみをガチャガチャと回した。結局、ニュース番組に落ち着いた。 「――青森で、雪に埋もれた身元不明の男性の遺体が発見されました」  アナウンサーの声に、藤岡の箸は止まった。年齢は五十代とみられ、全身に暴行を受けた形跡があり、右腕が肘の先からないという。 「どうした、食い入るように見て。なんか面白いニュースでもあったか?」  コーヒーカップを手に、西村が部屋に入ってきた。 「いや、別に」 「もうぼちぼち、来る頃だな」  相槌を打ち、藤岡はテレビを消した。  ほどなく丸山と田辺が来て、ゲーム開始となった。  藤岡は起家だった。サイコロを振り、配牌を取っていく。  どこかで、ウグイスの()く声がした。  今年は少し早いな、と藤岡は思った。梅はもうぽつぽつと花が咲いているし、窓から差しこむ陽の光は、おだやかで暖かい。  積み込みはしていないが、手はまとまっていた。タンピン赤のリャンシャンテン。  藤岡は北から切った。一瞬、石神のことを思い出したが、すぐに忘れた。  ウグイスが、また啼いた。      (了)
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