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薄暗い部屋のベッドにもたれかかって、テレビを見ていた。ドキュメンタリー番組だった。 今回の主人公は人気若手俳優。今波に乗っている俳優だ。別にその俳優に特別興味がある訳ではないが、あえてその番組をボーと見ていた。エンターテイメントな世界に生きているだけあって、言っている事に勢いや説得力があった。生き生きとしていて、言う事もカッコいい。いや、カッコつけているのか…。 そもそもドキュメンタリーってなんなのだろう。ノンフィクションだよな。だったらカメラがまわっている時点で自然じゃない。思いっきり不自然だ。なぜなら、どんな人間だってカメラに取られているという認識があれば、その時点で無意識に自分を作ってしまうだろう。そう、これはただカメラに目線を合わせず、遠くで素の自分という演技をしているだけ。本当のドキュメンタリーとは「動物の生態」とか今問題になっている「地球温暖化」とか、あれこそ本当のドキュメンタリーだろ、なんて思う。 しかしこのインタビューしている女性は随分と胸がデカい…。んー、よーく考えてみると男で「おっぱいが嫌いだ」って言っている奴は見たことがないな…。たぶん、百人いたら百人好きだとは言わずとも嫌いだとは言わないだろう。 例えば、「ワシは貧乳が好きなんじゃー」と叫ぶ折り畳み式の杖を持った老人がいたとする。でもそれはけして胸が嫌いだから言っている訳ではなだろうし、ただ「おっぱい」の好みだ。「まな板に梅干しが興奮するッス」という体育会系ムッツリスケベも同様、きっとSEXをする時は口に優しくキスをして、ジワジワ下半身に向かって愛撫する。その過程で胸のエリアはスルーするなんてことはせず、愛おしく軽く梅干しを味見すると思う。 とはいえ、やっぱり大抵の男は大きい胸が好きだ。人間は自分にない物に惹かれる生き物だし、デカければそれだけ意識する。極端にデカ過ぎる「おっぱい」はどうかと思うが、胸はやっぱり適度に大きければ嬉しく、触り心地がよければ喜び、色が淡ければ、なんか得した気分になる。そういう生き物が男である。   もちろん、ボクにだって男である以上同じことが言える。そこだけは健全な青少年だ。一丁前に理想の「おっぱい」像があり、彼女にその理想の胸がついていたら福引が当たったくらいの喜びがある。逆に理想とかけ離れていたとしても生ガキにあたるくらい苦しい思いはしない。別にあるんだから良いじゃん、くらいに思うだろう。ただ、本当に何もないのは寂しいと感じる。多少は気なる。きっとセックスするたびに「うちは貧乏だからって今日も日の丸弁当かよ、これじゃあ放課後までもたないよ」と思いながら空を見上げるかもしれない。  そんな事を考えていると、テレビの中の人気若手俳優君がまたまたカッコいい事を言っている。 「俺は努力したからって成長するとは思ってないですよ。だから努力する事は当たり前だと思います。才能があるかどうか、運があるかどうか、その二つがとても重要だと考えています。でも、才能がないからと言って努力もしないで、あーだ、こーだ、言ってる奴はムカつきますね。そういう人間は腐ってると思います」  もっともだと思った。 今の言葉を聞いて現在の自分は…どうよ。 ちょっとは努力してるつもりだから、腐りかけか? いや、腐ってるな。 はぁ、人間も果物みたいに腐りかけが一番おいしいなんて事はないのか? うん、ないな。確実に不味い。だいいち、ボクを果物にたとえても食欲が湧かない。即、生ゴミ行き。  でもさ「実は人間も腐りかけが美味しんだよ」そう言ってくれたら人生変われる気がする今日この頃…。  ボクの名前は、鈴木 修(おさむ)。  引きこもり歴5年の一七歳。
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