先に立たぬもの

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──ああ、疲れた。でも何に疲れたのかすら分からない。脳内をぐるぐるとその文字列だけが渦巻き続ける。疲れた、疲れた、疲れた。吐き出すほどの衝動性も持たぬその言葉は、脳内に、腹のうちに。渦を巻いて細かい疵を残しながらゆっくりと積もっていく。 「──」 人生は途方もない道のりの旅路。停滞し錆びついた空気と、喉の奥から舌先にも乗らぬ希望を飲み下しながら毎日足を進めていく。終わりは見えない。ある日突然来るのかもしれないし、前触れと共に徐々に終わっていくのかもしれない。俺は懺悔と後悔という足枷を両足につけたまま、ずり、ずるりと毎日地上を這いずる。傍から見ればなんと哀れなことかと思うだろう、なんと醜いことだと思うことだろう。 「──」 見えぬ枷は途轍もなく重い。人としての道を歩むたびにその重みは増し、俺を苛む。思慮と手を取り合う前の幼子のままで時を止めてしまえたならば、いや、いっそ理性もなにも持たぬ一介の獣であれたならば。この枷の重みも知ることはなく今でも自由に駆け回れていたんだろう。口惜しい、口惜しい。理性というものを人間に与えた神が居るのならば、いま一度必要性を説いて聞かせて欲しいところだ。 人としての生は喜びに満ちている。 だがしかし、それ以上の苦悩に満ちている。 それは全て、理性の存在があるゆえだ。 「──」 ──俺は重い足を引きずりながら冬の海辺を静かに歩き続ける。靴の裏が砂を擦る音が波音にさらわれていく。凍てつく潮風が頬を打つ。煩雑な情報の削げ落ちてあるがままの音だけが満ちたその場所は、どこか、俺を許してくれているような気さえもした。 「──」 どうか許してほしい、許してほしい。 人としての生を疎む俺を許してほしい。 一介の獣に成り果てられない俺を許してほしい。 枷をつけたまま醜く歩む俺を許してほしい。 人としての生を疎みながら、 まだ人として歩む俺を許してほしい。 「──ごめん」 ──それは、誰に対しての謝罪だったのだろうか。 握り締められていた右手の中のスマートフォンからは小さな音で繰り返し機械的な音声が流れ続ける。 ──── 「冬の海って寒くねえ?」 「でも静かで空気が澄んでるから好きだよ」 「そんなモンかね……あ、帰ったら今日は鍋にしよ。君も俺も身体が冷えてるしさ」 「さんせーい。帰りにお酒を買って帰ろうか」 「お、いいじゃん。じゃあ今日は散歩はこの辺りにしとこ」 ──── 無機質な声は、ただ、非情な事実を繰り返し伝える。 『この電話番号は現在使われておりません』 この懺悔は聞き届けられることはない。 この後悔は生涯抱え続けなければならない。 喉の奥には吐き出す宛もない「会いたい」の四文字がへばりついて離れない。 「──」 俺は浜辺を歩き続ける。 ずり、ずるり。ずり、ずるり。 俺は君の居ない日々を歩き続ける。 懺悔と後悔の足枷をつけて歩き続ける。
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